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引越しました
この春に中学生になる娘とともに北関東に引っ越した。
穏やかな瀬戸内海、美しい夕焼けの広島とサヨナラ。
主人の仕事の都合で北関東の市から広島に移り住んで9年。
うち後半3年はコロナ自粛期間だった。
この3年はほとんど県外に出ることもなく、どっぷりと広島に浸かり込んだ。
そのため結婚前から3年ほど住んだ場所に戻ったからと言って「慣れ親しんだ地元」という感覚はなく。
スーパーも医者も、頭の中の地図さえも鮮明なものは何ひとつない。
心機一転、新しい土地でのスタートとなんら変わらないまさに新生活となった。
北関東では広島から引越してきた人は珍しい。
そのため、心配された娘の転校はクラスで面白がられ、すんなりと楽しくスタートを切った。
私自身はコロナで3年以上会わなかった親族や友人と怒涛の再会を済ませ、6月、ようやく生活も馴染んできた。
しかし人に会ってはならないと植え付けられた感覚はなかなか抜けず、世間にコロナ前の日常が戻っても
「そういえば母は近くにいるんだっけ」とふと思い出す。会おうと思えば会えるのに、母と会うことさえ億劫に感じる。
これもコロナ生活が残した爪痕か。
さて。引越してきて、ひとつ気づいたこと。
3歳から広島で育った娘はさておき。
私はそもそも北関東で育ち、東京での進学就職を経て、北関東に戻り数年後結婚した。
言葉はどちらかというと標準語、たまにイントネーションに北関東が出るくらい。
しかし、この9年でネイティブ広島弁を毎日聞き続けた結果、自分ではかなりの広島弁の使い手と自負するまでに至った。
しかし広島では「言葉がきれいだねー。標準語だねー」とよく言われた。
言われたそばから「そうじゃろ」と返してるにもかかわらず笑
地元に戻った今は「広島弁がすごいね!」と会う人々に言われる。
そこではたと気付いた。
広島人が言う「言葉がきれいだねー」はイントネーションだったのだ。
おそらく言った本人らも気づいてない。
私が「じゃろ、じゃけん、しとる、しとった」言ってることに。
そう!
私が習得したのは広島弁の語尾のみだった!
標準語の言葉に語尾広島弁。
染みついたイントネーションはなかなか矯正できないものだ。
だから今日もイントネーション標準語、語尾のみ広島弁で流れるように話している。
住んでるうちに自然と元に戻るじゃろうけ、今はそのまま思いつくまま広島交じりの言葉を話しよる。
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