父が残した犬 それから

四人家族の我が家だが、その頃兄は結婚して家を出ていた。闘病中の父、パート勤めの母、会社員で独身の私、の三人暮らし。
そこに新たにクリーム色の子犬が加わった。

飛び跳ねるようにしっぽをブンブン振り回しながら動き回る元気な子犬。

名前は誰が決めるのか、他に案があったのか、今は思い出せないが、ある日遊びに来ていた兄が決めた。名前はジョンになった。

ジョンのお散歩は父が行く。
化学療法が始まりずいぶんと痩せた父が、生まれたことを体全体で喜ぶように跳ねるジョンを連れて歩く。

人懐っこいジョンは人に吠えない。
好奇心旺盛で、お散歩している他の犬に「君は!誰⁉︎誰⁉︎」と言うように「ワン!ワン!」と2回吠える。

立ち止まるのは他の犬を見つけて挨拶をする時。あと犬好きな人を見つけて、ワシワシしてもらう時。しっぽをブンブン振って大喜び。

ルンルンブンブン歩くジョン。
かわいい子犬のジョンを連れた父は嬉しそう。

父はジョンと歩きながら近所のおじさんやおばさんと世話ばなし。癌の闘病中だということは近所の人も知っていたのかいないのか、積極的には話していなかったから、病気の話題ではなく、もっぱらジョンのことを話していただろう。

暑い夏が過ぎ、少し涼しい風が感じられるお彼岸の頃。ジョンはずいぶん大きくなった。まだ大人ではないけれど。
闘病中の父はまた痩せた。

パートの母は50代。今仕事を辞めても次のパートはなかなか見つからないだろう。そんな話から、私が会社を辞めた。日中も父と一緒にいられるように。父は洗濯でも料理でも何でも自分でする人だったから、私がやる事は特になかったけれど。私が昼食や夕食を作るようになった。

私は朝夕とジョンと散歩に出かける父を見ていた。元気なジョンは大きくなり、力もぐっと強くなった。さらに小さくなった父にはジョンの散歩はしんどくないだろうか。
でも父はジョンを連れて散歩に行き、近所の人と出会えば世話ばなしをする。


10月が来ると父の化学療法も次の手立てが無くなった。担当医は優しい人だった。もう治療法が無いとはっきりとは言わなかったが、しばらく経過観察になったのはそういうことだったのだろう。これ以上痩せられないと思えた父は、さらに細く小さくなった。
62歳だった父はシワシワの70代のおじいさんに見えた。

成長してパワーアップしたジョンのお散歩は父にはもう無理だろう。
自然と私がジョンの散歩に出る回数が増えた。
それでも調子が良ければ父が行く。

その頃には散歩の途中でお腹を押さえてうずくまっている父を見かけることもあった。
父を引っ張りながら歩く元気なジョンだが、うずくまる父の横では「行かないの?」と不思議な顔で父が動くのを待つ。優しいジョン。

肝臓への転移で顔が黒っぽくなり痩せてフラフラと歩くおじいちゃん。しっぽブンブン飛び跳ねるように歩く明るい色の犬。そのあまりの対比がいつまでも私の目に焼き付いた。

11月、担当医はいよいよ言わなければならなかった。緩和ケアを始めましょうと。言われた父は諦め顔だっただろうか。自分もガツンとショックを受けたので、医師に向かいあった父と母の後ろ姿しか覚えていない。余命など言われなかった。治療をしないまま生きるとは。緩和ケア病棟で心のケアをしながら、ゆっくりと死を待つことだろうか。

緩和ケア病棟に入院する予約をして帰宅した。
入院の日は11月21日だった。

緩和ケア病棟に入ったらもう自宅には戻れないだろう。父はそう思っていたと思う。
11月の中旬には食事がほとんど喉を通らず。
それどころか血を吐いていた。それでも毎日お風呂に入り、トイレに行き、テレビを観る。
私が手を貸すことは何も無かったから、少しでも体にいいものをと野菜たっぷりのメニューを作った(のちにこの時食べたいものを食べさせてあげなかったことを後悔し続けることになる)。

父がジョンと散歩に行くことは無くなった。
私がジョンを連れて散歩に行く姿を家の中から眺めていた父。私は心が痛かった。

11月20日、父は朝から血を吐いていた。全く食事が取れなくなって一週間がたった。
早く入院させてあげたかった。明日には入院できる、少しホッとした気持ちがあった。

11月21日、10時半の予約だったか。
寝室から自分で起きてきた父は茶の間のいつもの場所に横になりテレビを観ていた。
「今日はしんどいな」
そんなことを言っていたと思う。

私はクルマに入院のための荷物を積んだりして出発の準備にバタバタしていた。
10時。そろそろ出る時間だよーと茶の間に戻ると母が父を呼んで泣き叫んでいた。
何が起きたのか分からなかった。父を見ると仰向けに倒れて、目から一筋涙がつたっていた。


緩和ケア病棟に入院するはずの日、父は自宅で息を引き取った。家で死にたかったのだろう。死に方は選べる。人に迷惑をかけたくない、世話にはなりたくない父らしい死に方だった。

父が亡くなった家。
我が家には母と私とジョンが残った。

これから近い将来亡くなるであろう自分。
長生きしそうな元気な犬。
5月のあの日、父がたくさんの子犬の中から一番元気だったジョンを選んだのは、亡くなる未来を見ていたからなのだろう。
私たちのために元気な犬を残してくれた。

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