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「かき氷の孤独」~#シロクマ文芸部「かき氷」参加作品

「かき氷始めました」小さな黒板にチョークで書かれた文字が目に入った。
 猛暑の中得意先回りで東京郊外に来たものの、午前中から四〇度に迫る酷暑でワイシャツは汗だく、頭から流れる汗が眼に入って目眩を覚えるほどだったので一休みしようと駅前の通りに店を探していた矢先だった。
 何でもいいからエアコンのきいた店で一息つきたかったから、男は迷わず店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ!」暑さで消耗しきった男とは対照的に威勢の良い声が飛んできた。エアコンの冷気が男の燃えるような熱気を急激に冷ましていく。
 だが店の中を一瞥して男は目を丸くした。てっきり飲食用のテーブルが並んでいるものとばかり思っていたのだが、店内にテーブルはなく眼鏡のフレームが壁や床置きスタンドに所狭しと飾ってあるだけだった。腰を下ろせる丸い椅子が二つほどカウンターの前にあるだけだ。
 外の看板を見て飲食店かと思いきや、なんのことはない、眼鏡店だったのである。
「眼鏡屋さんだったのか。かき氷ってあるからてっきり食べ物の店かと思いましたよ」男は少し皮肉交じりに言った。
「かき氷ありますよ。メロン味とオレンジ味しかないですが」黄色いポロシャツ姿の痩せた初老の親父は金縁の眼鏡越しに男の様子を伺うとカウンターから声をかけた。
 かき氷か。暑さを冷ますには丁度良いかもしれんな。「じゃあメロン味を頼む」男はカウンター席に座った。店長はかき氷をすぐに運んできた。
「眼鏡屋でなんでかき氷をやってるんだい」男はメロン味のシロップと氷の冷ややかな感触を舌で味わいながら聞いた。
「そりゃお客さんを呼ぶためですよ。お恥ずかしい話ですが、眼鏡屋の看板だけでは閑古鳥でして」
「なるほどね。そこにきてこの猛暑か。客引きには丁度いいかもね」男はあっというまに完食して代金を支払った。
「ついでに眼鏡も見ていってもらえるとありがたいんですが」店長は頭を掻きながら言った。そりゃそうだ。そちらが本職なのだから。自分は眼鏡を使わないからサングラスでも見ていくか。と、結局あれこれ物色しているうちに、数千円のサングラスをひとつ買ってしまった。かき氷で客引きをして、眼鏡を買わせるか、うまいこと考えたな、そう思いながら男は店を後にした。
 店を出て暫く通りを歩いているとまた看板が目に入った。
「かき氷やってます!」男は目をしばたいた。先ほどと似たような小さな看板だった。店の前に言ってみると電気店だった。
 今度は電気店か!このあたりは、どこでもかき氷をやっているのか?
 さすがに電気店に用はないので、男は素通りしたが、その先の路地を入った先に小さな商店街を見つけたので寄ってみることにした。次の取引先に持って行く手土産を買いたかったからだ。
 商店街に入ると目を疑った。右を見ても左を見ても、奥までぎっしり埋まった店舗のほとんどに小さな看板が立てかけられ、「かき氷やってます!」と書いてあった。
 不思議な気分になりながらも手土産、できれば和菓子などを買わねばと、商店街を見て歩く。牛丼店、蕎麦屋、ラーメン屋、定食屋などの飲食店は納得がいくが、散髪屋、文房具店、書店、衣料品店、家具店など、食べ物とはまったく無縁の店にも「かき氷あります!」の看板があった。パチンコ店にまで看板がかかっている。
 男は軽い目眩を感じながら、洋菓子でも和菓子でもいいから菓子類を売っている店を探した。数軒先に見つかった。やはり同様の看板がかかっている。ため息をつきながら和菓子店の暖簾をくぐる。かき氷はさきほど食べたばかりだからいらないと言ったら、店長は少しがっかりしたようだった。しかし、相応の値段の和菓子を買ったので機嫌良く送り出してくれた。「毎度あり!」
 男はかき氷だらけの商店街を足早に抜けると、取引先へと向かうのだった。

 連日四〇度近い酷暑のせいか、列島はちょっとしたかき氷ブームだった。あちらこちらにかき氷店ができた。本業とは全然関係のない店までかき氷を扱うようになり、早々にかき氷の客引きが出始めた。また、かき氷を頼んだら一杯数万円とられたというボッタクリの苦情が相次いだ。かき氷ありますよと客引きをしてついていったら美人局だったという事件まで起きた。風俗店がかき氷を客寄せに使うようになったため、PTAや町内会が問題視し、「かき氷撲滅運動」が起きた。市町村でもかき氷による客引きを禁じる条例が相次いで制定され、かき氷を巡る騒動が相次いだ。
 それだけではない。あまりにかき氷が流行りすぎて氷不足になり、氷の値段が跳ね上がった。同時に冷蔵庫や冷凍庫、電気代などの関連製品の値段も高騰した。氷の取り合いが発端となる暴力沙汰や事件も後を絶たなかった。「かき氷殺人事件」という小説がベストセラーになり、その作品が処女作だった若者はミステリー界の新星ともてはやされた。「かき氷ブルース」という歌が流行り、無名だった演歌歌手がスターダムを駆け上がった。テレビは朝から晩までかき氷のグルメ番組ばかりだった。
 そんなかき氷バブルともいえる夏の狂騒が続いた。

 しかし例年になく歴史的な酷暑が長く続いたとはいえ、季節は必ず巡る。
 五月に始まった夏は十月には衰えを見せ、十一月には完全に終わりを告げた。
 それはかき氷バブルの終わりでもあった。
 かき氷の看板だらけだった商店街からひとつふたつと看板が姿を消し、真冬には皆無になった。同時に悪質な客引きも消えた。
 氷の値段も通常価格に戻り、経済は落ち着いた。
 また、一世を風靡した小説家も歌手も次の作品が続かず、いつのまにか人々の口の端に上らなくなっていった。

 男はふと思いついて以前来た商店街の入り口に立っていた。
 見ると、つい数ヶ月前には盛況だった商店街は閑散としており、道端にボロ雑巾のように捨てられ、取っ手の折れた看板が木枯らしに吹かれてカタカタと鳴っていた。
 看板には「かき氷はじめます!」と書かれていた。
 男はかき氷の孤独を見た気がした。


本作はシロクマ文芸部参加作品です。いつも企画ありがとうございます。


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