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勝手に芥川研究#10 芥川と児童文学

 最初に一言。みなさんルイス・キャロルの不思議の国のアリスはご存じですよね。聖書に次いで世界中で翻訳されている児童文学の傑作です。多くの文豪に影響を与え、パロディでも盛んに使われるので、海外文学を読む上でも聖書と同じく必須の文学になっています。ルネマグリットの絵まであり、文学に限らずその影響は計り知れません。
 日本でもたくさんの方々が翻訳しており、わたしも若い頃に読みましたが、このたび我慢できずに芥川龍之介&菊池寛共訳の「アリス物語」を購入しました。現代の文体も読みやすいですが、個人的に大正時代の文体の方が好きだし、何よりも芥川先生が好きですから(笑)。買って正解でした。味わい深く優しい気持ちのこもった文章で、挿絵も美しい。子供がいたらプレゼントしてあげたい。この本を読んでいると、芥川龍之介は子供が好きだったんじゃないかなと思ったりします。

アリス物語


 さて、今回はそんな芥川が書いた児童文学について考えます。彼が残した児童文学は、いずれもよく出来ており他の作品にあるようなどんでん返しがなくプロットが王道な上に、持ち前の緻密な文体が芸術性を高めていて傑作あるいは秀作ばかりです。切支丹ものにしても王朝ものにしても、あるいは現代物や晩年の鬱々した作品(わたしはそれが好きだけれども)にしても、評価する声もあれば酷評されることも多い彼の作品ですが、こと児童文学に関しては悪く言うひとは余りいないのではないでしょうか。
  
 芥川の作品で児童文学に分類されるものは主に以下の八作品です。
「蜘蛛の糸」「犬と笛」「魔術」「杜子春」「三つの宝」「アグニの神」「仙人」「白」
 このうち、日本の児童文学の始まりとされる鈴木三重吉が創刊した「赤い鳥」に掲載されたものが五作もあります。(「蜘蛛の糸」「犬と笛」「魔術」「杜子春」「アグニの神」)。
 「トロッコ」が児童文学に分類されることもあるようですが、ラストのオチを読めば、あれは大人の文学であり児童文学ではないとわたしは解釈します。
 雑誌「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉については、わたしは詳しくないのですが、とにかく単なるお伽噺や説教話を語るだけの散文ではなく、高い芸術性を備えた小説を求めていたようです。実際、赤い鳥に掲載した作家には芥川の他に有島武郎や北原白秋などそうそうたる面々が名を連ねています。この雑誌の創刊を機に近代児童文学が始まったと言われるほどですから、「赤い鳥」の重要性がわかります。
 そしてその雑誌に最も多く寄稿した流行作家が芥川でした。鈴木三重吉が芥川作品を気に入っていたのか、それとも芥川が児童文学を書くことを好んだのか、わたしにはわかりませんが、「赤い鳥」が近代児童文学に果たした役割を考えれば、芥川も近代児童文学に大きく貢献した一人であると考えることができます。

 さて、さきほど挙げた八つの作品で特に傑作だと思うのは、「蜘蛛の糸」「杜子春」「仙人」「白」の四つです。
 「蜘蛛の糸」と「杜子春」は極めて有名なので説明は必要ないと思います。比較的、知られていないのは「仙人」と「白」でしょうか。
 芥川の児童文学は、他の芥川作品とは全く異なり、徳を積めば神様からご褒美がある、自分のことだけ考えるような利己主義な人間は罰せられる、という信賞必罰とも言える展開が特徴です。残酷なオチや、どんでん返しは用意されていません。例えば、わたしの一番好きな「白」という作品は大正十二年に発表されていますがすでに神経衰弱に陥っており、心身ともに弱った晩年の時期に入っているにも関わらず、きれいな救いのある話になっています。
 おそらく芥川は基本的に子煩悩なのでしょう。子供に悲しい話を聞かせることができない気性なのだと思います。
 一方で、個人的には、小中学校の教科書に「白」のような作品を載せるのは正攻法だけれども、ワイルドの「幸福の王子」のような残酷な童話を載せて人間の愚かさを子供のころに教えて置くのも有りだと思います。ただ「フランダースの犬」とかは、昔アニメで普通に子供向けに放映されていましが、あれなんてキリスト教信者ではない人からしたら、努力しても報われない典型のような悲惨な話なので傷つきましたね。わたしは教育者ではないのでどちらが良いのかわかりませんが。
 最期に私が一番好きな「白」について感想を述べたいと思います。ネタバレを含みますので、まだ読んでいない方はご注意ください。
 「白」は、犬が主人公の物語です。ふとした臆病な行動によって、本来白かった毛が黒い毛になってしまい、飼い主から野良犬扱いされて、家を出る羽目になります。途方にくれる白ですが、もう死んでしまいたいという思いから、自らの命を顧みない勇敢な行動に出て人の命を救い、その数々が新聞に報じられて義犬と称されるまでになります。新聞各紙の記事を書き連ねる描写は秀抜で、田端周辺から名古屋、小田原まで、いかに広範囲にわたって白が活躍したかがわずか数行でわかるようになっています。
 そうして疲れ切った白は最終的に元の飼い主の家に帰るのですが、いつのまにか黒い毛が元の白い毛に戻り、飼い主から「帰ってきた!」と喜んでもらってめでたしめでたしとなるわけです。
 さて、西洋の意地悪な童話ならどうしたでしょうね。徳を積んで白い犬になったものの黒くないので「義犬」とはみなされなくなり、人間から足蹴にされるとか、何とか家に帰ろうとしたものの玄関口で息絶えて飼い主が見つけたときは白だったとか、そういう悲しい結末にしそうな気がします。でも芥川はそうしなかった。子供にはハッピーエンドを見せたい、それが彼の児童文学に対する姿勢なのでしょう。あくまで個人的な見解ですが。

 児童文学については掘り下げたいけれど知識不足なので、今回はここまでとします。ありがとうございました。


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