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触媒雑記帳(2)~かたりすとの日常


四 雀


土砂降りの朝、マンションの玄関ロビーの前でとんとん跳ねている一羽の雀がいた。近寄っても跳ねて少し逃げるだけで飛ぼうとしない。いや、少しは飛ぶのだが膝ほどの高さまでしか上昇せず、すぐに着地してしまう。

わたしが近寄る。とんとん逃げる。さらに近寄る。少し飛んで着地する。またとんとん跳ねる。

子供の雀は長く飛べない。小学生の頃に友達と一緒にそんな雀を見つけては追いかけ回し、疲れ果てて動けなくなった雀をつかまえたことがある。その後どうしたか覚えていない。子供は残酷だ。

だけどこの雀は子供には見えないし、飛べないにしてもあまりにも飛行時間が短すぎる。羽を痛めているんだろうか。きっとそうに違いない。

馬は脚を骨折すると死ぬという。
雀は飛べなくなるとどうなるのだろうか。

わたしは傘をたたむと玄関ロビーを通りマンションの建物内に入っていった。振り返ると、ガラス越しに相変わらずとんとん跳ねている雀の姿があった。
妙に淋しい気持ちになった。

五 書くこと


最近書く時間が多くなった。
仕事をしていたときは、締切に追われていたので今とは比較にならずに多くの時間書いていた。一日中書いていたときもある。しかし健康を害して休業してから数年は何も書かなくなった。
それが今は毎日書いている。noteの影響が大きい。様々なクリエイターの方々の作品を拝見して、しばらく途絶えていた小説を書くモチベーションが高まり、新作をいくつか書いているためである。
ただ時間は午前中と決めている。
そうしないと本を読む時間が減る。映画などを観る時間もなくなるからだ。

「最近は、本を読む人よりも書きたい人が多い」
と何かで読んだ、あるいは聞いた。どちらかといえば否定的な含みで放たれた言葉だ。
確かにわたしたち昭和世代と比べたら、書く機会は遥かに恵まれている。しかし、書き手は読み手が存在しないとやっていけない。
近所にパン屋が出店してはつぶれ、出店してはつぶれを繰り返している場所があるが、確かに立地条件は良いのだろうが、なぜいつもパン屋なのか。あらかじめリサーチをしているのか疑問に思うのだが、要するにパンが供給過剰なのだ。
物書きとて同じである。
いくら出品機会に恵まれていても、本を読まないひとが増えていて、書くひとが増えているのなら、物書きにとっては極めて厳しい環境である。
そういう意味では、逆にわたしたち昭和世代は恵まれていたのかもしれない。


これは、わたしの日常を思いつくままに綴った雑記です。


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