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「おフランスで一番なのは」~青ブラ文学部参加作品

「おフランスでは、小説が一番ざんす」踊り子姿の妖艶な女性がグラスを揺らしながら言った。アペロはシャンパンだ。膝の上で黒猫が居眠りしている。
 夏の夜、パリのリヴォル通りの北にある小さなフランス料理店で数名の紳士淑女がテーブルを囲んでいた。貸し切りなのだろう。他に客はいない。
「コレット。まだ食前だ。飲み過ぎるなよ。それにフランスで一番の芸術は音楽だ」ビロードのコートを羽織った若い紳士が真面目な顔をして言った。立ち上がってピアノまで優雅に歩くと、<妖精の園>を弾き始めた。その音で黒猫が目を覚ましたのか大きなあくびをするが、音色の気持ちよさにまた眠ってしまった。
「あらモーリス。あたしはそうは思わないざんす」コレットは色香を隠そうともせずふっくらした脚を組んでラヴェルに言った。「その曲は素敵ですけれども」
「聞き捨てならないな。フランスといえば絵画だろう」高齢の燕尾服を着た紳士が長い顎髭を指で撫でながら不満げに言った。「ああカミーユよ」涙目だ。
「モネ君。確かに君の絵画は素晴らしいがフランスといえば詩だ。そして何より猫だ」   
 痩せこけた亡霊のような老人が左肩に載せたシャム猫を撫でながら弱々しい声で言った。「ぼくの頭の中をあちこち歩き回る、ちょうどアパートの中のように歩く、美しい猫。逞しく、優しく…」ぶつぶつ呟き始めたのでコレットが遮った。
「なんであなたがここにいるのよ、シャルル。棺桶から出てきたざんすか?」   
 コレットの黒猫が膝を降りて、ボードレールの肩に乗ったシャム猫と一緒になってじゃれあい始めた。
「棺桶の中は退屈でな。たまに抜け出すのだ」 
  ボードレールの幽霊は申し訳なさそうな顔をしてそれきり口をつぐんだ。
「いやいや、フランスといえば、哲学だよ」前掛けをした子供がオレンジジュースを飲みながらいきなり大人びた口調で言った。
「おやおや相変わらず生意気ざんすねえ、サルトルちゃんは」コレットがくすくす笑った。
「数学も忘れてもらっちゃ困るよお」サルトルの隣に座っていた少年が口を挟んだ。「コレットおばちゃん、ごはんまだ?」
「もうすぐ来るざんすよ、ヴァイユちゃん」
 喉が渇いたのか、皆一斉にアペロを飲み干す。一息入れた後、思いついたようにボードレールの幽霊が言った。
「それにしてもコレット、どこでそんな言葉遣いを覚えたんだ?」
「そうそう。さっきから不思議に思っていたのさ」ラヴェルも<妖精の園>を弾くのを止めて席に戻っていた。皆がコレットを訝しげに見つめている。
「ほら、あそこを歩いている痩せた人いるでしょ。あの人に教わったざんす。ジャポンの古い遊郭言葉なんですって」
 その痩せた男は、彩り豊かな料理を盛り付けた皿を両手に、彼らのテーブルにやってきた。「リューノスケって名前よ、彼」
「お召し上がりください」リューノスケはテーブルに料理を並べてコレットのグラスにワインを注いだ。「このワインは『kappa』と呼んでください。二十年ものでございます」
 Kappaをテイスティングしたコレットが「C'est bon!」と答えた。リューノスケは皆のグラスにKappaを注いで立ち去っていった。
 腹を空かしていたのか、全員が一斉に料理を口にした。そして我慢できないとばかりに口を揃えて叫んだ。
「美味い!おフランスでは、やっぱり料理が一番ざんす!」

(了)


本作は青ブラ文学部参加作品です。いつも企画ありがとうございます。


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