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11、 手のひらの土と、つまみ食いの豊かさがもたらすもの #エディブルガーデン

ああこれだな。よく読むメデイア 住まいマガジン びお にて、連載「農的な暮らしがつなぐ「私たちの都市計画」」が始まったのが今年6月ごろ。すぐにつぶやきました。インフォーマルで短いけれど、私自身すごく覚えているつぶやきです。

その約半年後!ついにそのエディブルガーデン(エディブルウエイ)をみる機会に恵まれました。その写真がトップの写真です。薮枯(ヤブガラシ)の染め物たち。絞りが入ってそれぞれ誇らしげにはためいています。

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10月20-21日、千葉県は松戸、千葉大学周辺を会場に行なわれていた、「科学と芸術の丘」展。

「自然、地球、宇宙」がテーマとなった、科学と芸術の国際フェスティバル。会場である千葉大学園芸学部も出展されていて、先の連載の執筆者である、研究・実践者である方にもお会いすることができたのです。

(科学と芸術。これもまさに興味関心の真ん中にあることなので、それはこちら (3、共鳴した言葉 「バイアスを乗り越え、複数の地図を持て」 #アートサイエンス ) を。今回はエディブルガーデンを中心に綴ります。)

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人生フルーツ」という映画があります。そしてこの映画は私の着想の源泉となっています。老夫婦が非常にドラマチックな運命を辿り、土を耕し続けたその様は、日本のひとたちの心の拠り所はなんたるかを揺り動かしてくれる存在として広まってきていると思っていて、まぎれもなく私もその1人です。

その映画に出てくる、手のひらの土。そしてぺろっとベロを出して、つまみ食いする仕草。

(「科学と芸術の丘」展のエディブルガーデンの土壌。本当にフワフワでした)

そこにあるふわふわした土を触る行為も、ああ美味しそうだなと思ってつまみ食いする仕草。幼児か大人かで区切れない、なぜか「ついつい、」してしまう。何か本能的な感覚に近いと思っています。
言うなれば、福祉の環境を設計するときに、この本能に近い仕草を限りなく自然に引き出したい、ということなのだと思っています。

ではどんな引き出し方がよいのだろう?

例えば、ある丘の上に果樹が植わっていて、それを取りにゆくことがいつのまにか足腰を鍛えることになっているかもしれない。

例えば、お鍋の具材をそのままエディブルガーデンのポットに植えてあり、それを収穫してみなで鍋を囲む企画が上がるかもしれない。(ちょっとつまみ食いされた葉物の野菜かも?)

例えば、雑草の汁で染め物をするからと、いつのまにか老若男女が絞りの柄をどうするかワイワイガヤガヤしているかもしれない。

それが医療や介護の現場で次々と起こっていったなら・・・

福祉の環境を設計することは、わたしたちの未来を設計することと同義語なのですから。

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さて、「科学と芸術の丘」展のエディブルガーデンでは、ガーデン内にワーキンググループの活動内容が展示されていました。

そう、さながら学会のポスター発表のよう!とても知的好奇心を刺激されました。
中でも興味深かったのが、「訪問園芸活動」について。なんでも一人暮らしの高齢者の自宅の庭の手入れに、学生たちが訪問し、そこでの何気ない会話や関わりが、結果として高齢者の見守りになっているという。このアプローチ、素晴らしいなと思いました。これこそ未来へのデザイン。

この「訪問園芸活動」、引き続き情報など追ってゆこうと思います。

今回訪れた、千葉大学大学院園芸学研究科、江口さん発のエディブルガーデンの取り組みは下記連載に詳しいので、ぜひともぜひとも読み進めてみてください。(クリックでVol.1にとびます)

手のひらの感覚。舌の感覚。目の感覚。五感、六感をいつまでも健やかに保てること。大きなヒントを頂く日になりました。



藤岡聡子
株式会社ReDo 代表取締役/福祉環境設計士
info(@)redo.co.jp
http://redo.co.jp/

私、藤岡聡子については、下記記事を読んでみてください。
・灯台もと暮らし
【子育てと仕事を学ぶ #1 】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた
月刊ソトコト 巻頭インタビュー
・soar
「私、生ききった!」と思える場所を作りたかった。多世代で暮らしの知恵を学び合う豊島区の「長崎二丁目家庭科室」

おまけに:
読み物:人の流れを再構築する、小さな実践について|藤岡聡子
人の流れはどのようにして新しく、懐かしく再構築できるのだろうか?その大きな問いに対して、小さな実践を綴っているマガジンもあります(本音たっぷりで書いています。)