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ミンヒジン・K-popで最も有名なクリエイティブディレクターの素顔

K-popではファンの愛の熱量ゆえ、クリエイターや裏方のスタッフもたびたび脚光を浴び、話題になる。そんな中でも特別な存在感を放ってきたクリエイティブディレクターがミンヒジン(Min Heejin・43)である。

今回は、今やクリエイティブディレクターの枠を大きく超えて活躍するミンヒジンのキャリアや功績と、最新のロングインタビューの翻訳をまとめた。翻訳の過程では、DeepLの偉大なるAIの力の助けを借りた。

1.ミンヒジンとは誰か

ミンヒジンは1979年に生まれた。芸術系の大学を経て2002年に新卒でSM Entertainmentに入社。2017年にアートディレクションを統括する取締役に就任。2019年にSMを退社し、HYBEにCBO(チーフブランドオフィサー)として入社、2021年にはHYBE傘下の独立レーベルであるADORのCEOにも就任。2022年には世界的なエンターテイメント業界誌である米Varietyにて「グローバルエンターテイメントに大きな影響を与えた女性」にも選出された。

今や韓国最大の芸能事務所となったHYBEだが、実ははじめから自社で立ち上げたレーベルはBIG HIT MUSIC(所属グループはBTSとTOMORROW X TOGETHERの2アーティストのみ)しかない。SEVENTEENやfromis_9が所属するPLEDIS Entertainmentや、GFRIENDを生み、現在は宮脇咲良らから構成されるLESSERAFIMが所属するSOUCE MUSICは買収で手に入れている。ENHYPENが所属するBELIFT LABはCJ ENMとの合弁会社である。

つまり、ADORはHYBEがBIG HIT以降初めて設立するレーベルであり、初めて直接、ゼロから女性グループのプロデュースを手掛けることになるのである。

2.ミンヒジンがSMで行ってきたこと

ミンヒジンのSM Entertainment新卒入社当時には衣装の発注や一部アレンジ、デザインを行う現場の担当者だったようである。だが持ち前の責任感とハードワークを発揮して自分がやるべきだと思ったことを果敢に挑戦し、徐々に担当する領域を広げていく。

彼女のキャリアが衣装からスタートしたこともあって、アルバムコンセプトとライブも含む衣装がうまくマッチしないこと、映像の担当者とスタイリストの連携が十分にでないと感じていたことが問題意識にあったようだ。スタイリストへの発注をより細かく、キャッチボールを繰り返す方法へと変えていきながら、場合によっては直接スタイリングするようになっていく。

また、当時のSMにはミュージックビデオやアートワーク、CD、プロモーションなど様々なクリエイティブを統合してプランニングする概念はなく、担当マネージャーがばらばらに発注していた。

そんな中でミンヒジンが全体のコンセプトを提案し、アルバムからステージ衣装までを一任されてディレクションするようになったのは、入社7年目・2009年頃からのようである。Super Junior「Sorry Sorry」、SHINee「Ring Ding Dong」、少女時代「Gee」、f(x)「Electic Shock」など、K-popファンでなくてもわかる作品たちからだ。EXOに関してはデビュー時から彼女がずっと担当し、コンセプトのビジュアライズや具現化、ストーリーの深化など広範な範囲で直接的に担当した。

こういったミンヒジンの活躍が、徐々にSM内でフォーマット化・組織化されていき、横断的で統合されたアート・クリエイティブディレクションの考え方と手法が確立されていった。

彼女の名前をファンに刻み込んだ作品の一つが、f(x)という女性グループの「Pink Tape」という映像である。

作品の世界観を表現する新たな手段を考え、自主提案して作ったものだ。K-popではSMを中心に「Mood Sampler」や「Concept film」といった名前の映像をアルバムリリースの際にティザーとは別個に公開することがある。その始まりとなったのが、この「Pink Tape」である。新たな試みのためほとんど予算が与えられなかったようだが、当時大学の映画科に在籍していた弟に監督を頼みこんで作り上げた。

ミンヒジンの名前でセットに挙げられることの多いf(x)の作品をもう一つ挙げるとすると、「4walls」だろう。

ティザーやアルバムのアートワークから、ミュージックビデオやプロモーションまで完璧に一貫され、よく考えられている。私も当時このミュージックビデオが公開されたとき、本当に驚いた記憶があるし、今でも時々見ては新鮮に驚いてしまう。キラキラと輝き、原色に近い色が散りばめられたような、まさに今までSMが送り出してきた「THE・K-pop」の対極にあるようなビジュアル・メイキングは、K-popのミュージックビデオ史において明らかにゲームチェンジャーだった。

そういう意味で、ミンヒジンはK-popを作り上げたあまりにも重要な一員でありながら、常にK-popのメインストリームたるクリエイティブの路線とは距離を置き、新しいコンセプトや方法を提示し続けてきた存在である。

一方で、SMで手掛けたグループや作品の多さ、ある意味でわかりやすい「ミンヒジン・カラー」は熱心なファンの中で非常に注目を浴び、強烈なバッシングを浴びることも少なくなかった。

3.ミンヒジンの作り上げた「システム」

ミンヒジンを一言で形容するとすれば、K-popのクリエイティブディレクションとは何たるか定義づけ、その手法を確立した人物である、と言える。直接的なアート、ビジュアル面の功績はもちろんだが、今回はよりシステマチックな部分に焦点を当てたい。

彼女がSMで作り上げたビジュアル・ディレクションとはどんなチームなのだろうか? 様々な記事やSM Entertainmentが送り出す様々なアルバムのスタッフクレジットを読み込んだ限りでは、私の勝手な想像だが次のような仕組みだと思われる。

(ちなみに、基本的にアーティストを取り囲むチームは、下記のビジュアルを担当するビジュアルアートチームのほかに楽曲を担当するプロデュース・A&Rチーム、アーティストのケアを行うアーティストマネジメントチームがメインとなり、その他ビジネス面でマーケティング、音楽配信、グローバルといたユニットが続く)

ビジュアルアートディレクター/ クリエイティブディレクター
複数アーティストを受け持つ、クリエイティブ面の全責任を負うトップであり、おそらく社内でも2・3名しかいない。彼らの上には基本的には社長しかおらず、広範な決定権を持っている。アーティストデビュー時のコンセプト作り、戦略策定にも深く関わる存在だ。ミンヒジンもSM時代の中盤〜後半はずっとここに位置していた。

アートディレクター
アルバムやシングルといった単位のプロジェクトにおいて、アート面全般のコンセプトづくり・ディレクションを行うメイン担当者である。プロジェクト単位のリーダーとなるのではないかと思う。

クリエイティブコンセプトプランニング・グラフィックデザイン
アートディレクターのコンセプトを具現化したり、作業をアシストする存在である。レファレンスを探してきて、イメージボードやストーリーボードを作るようなイメージか。そして彼らの直下にカメラマン・美術デザイナーが配置される。

アーティストコンテンツディレクター
1アーティストのコンテンツ全体を管理する役目を負い、そのアーティストによるアウトプット全てのビジュアル・クリエイティブの制作進行を行う。音楽面を統括するA&Rや、グッズ等のマーチャンダイジング、プロモーションなど様々な部門と協働する役目でもある。彼らはクリエイティブプランをつくるというよりかは、アートディレクターらが考案したコンセプトを、マーケティングチームとともに実際のコンテンツ展開プランに落とし込み、スケジューリングしていくような役割を負っているのではないだろうか。そこにはアーティスト単位での他プロジェクトとの兼ね合い、調整も出てくるだろう(アルバムとコンサート、イベントやメディア露出、さまざまなプロモーション等などなど)。

ディレクション・アレンジメント
アーティストコンテンツディレクターの指示を元に、実際に制作・進行を行うアシスタント、AD的存在である。アーティストコンテンツディレクターが作り出し、ビジュアル・アートディレクターから承認を得たプランを実行するべく、具体的なスケジュールを作り、外部の制作プロダクションやクリエイターへの発注、調整業務を行っていき、一つ一つのコンテンツを作り上げていく。1プロジェクトにつき2・3人がアサインされる。スタッフ自体はおそらく重複して様々なプロジェクトを掛け持ちしている。クレジットを観察すると、それぞれ複数アーティストを兼務していそうである。

ビジュアルディレクター
ここでいう「ビジュアル」は、アーティスト自身のビジュアルを指している。すなわち、衣装、ヘア、メイクアップのコンセプト作成、スタイリングやヘア/メイクアップアーティストのアサインを担当する。

パフォーマンスディレクター
振り付け(コレオグラフィー)を制作・担当し、楽曲やメンバーに合わせて最適な振付師、アシスタント、バックダンサーをアサインする。また、出演する様々な音楽番組やイベント、コンサート、メディア露出のためのフォーメーション等のアレンジも行う。ちなみに「パフォーマンスディレクター」という職業は今やK-popでは普遍的になったが、この言葉を生み出したのはSMのShim Jae Wonというパフォーマンスディレクターだと言われている。

https://blog.naver.com/cuvismmag/140194953706

優れたコンテンツを作る仕組みは様々なアングルから模索されている。SMが取った手法は、アーティストや作品の単位で全体を一貫できるリーダーシップと、できるだけインハウスで隅々までディレクションできる体制を整えたことだろう。そのかたちは、主にアルバムのスタッフクレジットとして現れる。K-popのみならず、様々なジャンルのクレジットを読み比べて、個人名とともに、どんなチームやリーダーシップが組成されているかを解いていくと面白い。


4. BeAttitude ロングインタビューPart1 「How Much Do You Know about Min Hee-jin?」

注:実際にインタビューを行っている言語は韓国語で、BeAttitudeの編集部によって英語翻訳されています。後者の英語翻訳版を元として、日本語に訳しました。

(本文開始)

4番目のアーティストプロジェクトではミンヒジンにインタビューした。ミンヒジンは2019年からHYBEのチーフ・ブランディング・オフィサー(CBO)に就任した。またHYBEが立ち上げた独立レーベルであるADORのCEOとして、ミンヒジンのユニークなスタイルで新しい女性グループの立ち上げを率いている。BeAttitudeはポップカルチャーの批評家であるCha Woo-jinをこの特別なインタビューの編集者として招いた。

Part.1 あなたはミンヒジンをどれくらい知っているか

ミンヒジンにビッグニュースがあった。世界的なエンターテイメント業界誌である米Varietyにて「グローバルエンターテイメントに大きな影響を与えた女性」に選出されたのである。選ばれた理由は明確だ。Varietyによれば、「K-popにおけるブランデイングを再定義したイノベーターであり、過去には女性グループの新しい時代を切り拓いた少女時代や、SHINee・EXOでは革新的なブランディングを提案した」。付け加えるならば、彼女が2022年に新しいガールズグループを立ち上げる準備をしていることも大きな要因だろう。実際、まだメンバーも明らかになっていないこのグループは「ミンヒジンのガールズグループ」と呼ばれ、今年最も期待される女性グループの一つとされている。しかし、果たして私たちは彼女のことをどれだけ知っているだろうか。メディア露出を控える彼女にとって、私たちが得られる最新の情報源は「You Quiz on the Block」(訳者注:韓国tvNで放送されている番組)へのテレビ出演だけである。BeAttitudeとミン社長の出会いは、国際的なK-pop産業の心臓部に位置する若き経営者の視点を理解する良い機会となるだろう。

Q.この度はお時間を頂きありがとうございます。あなたがほとんどインタビューを受けないことは多くの業界人が知っていますが、今回取材に応じて頂いたのはなぜでしょう。

私は完璧主義で、正直な性格なので、自分の言葉がばらばらにされたり切り取られたりするのが苦痛です。仕事では、私が言うことは時おり複雑に込み入っていて、より深い理解を要求するのだと思います。でもインタビューは文字数の制限があるので、私が本当に言いたいことを十分に説明したり、意図を伝えたりするには足りません。だから、本当に必要なインタビューだけに絞ることにしています。よくご存知だとは思いますが……人々は同じ言葉でも違うように捉え、都合よく理解します。これは一人一人の理解度によるものです。とはいえ、何も話さないと、それはそれで誤解されることもあるのです。

これが昨年冬(訳者注:2021年12月)に「You Quiz on the Block」という番組に、私のキャリアで初めてテレビ出演をした理由です。そのときADORチームや関係者からいくつかアドバイスをもらったのですが、彼らが言うには「世間はあなたのことをほとんど知らないために『神秘的な生物』—彼らは本当にその言葉を使いました—だと思われているので、感情を持った『生きている人間』として登場するのがいいのではないか」と。ちょうど新しいレーベルを立ち上げたときだったので、プロデューサーである私がいつも何を考えているのか、説明したほうがいいと思いました。そんな中で、BeAttitudeが私のインタビューのためにたっぷりとスペースを作ってくれたのはとても嬉しかったです。ちなみに、インタビューへの出演依頼で頂いた入念なメッセージは、私が断ることを前提に書かれているようで感心しました。その予想を裏切りたかったんです(笑)。

Q. ははは(笑)。最初のテレビ出演はどうでしたか?

2020年の冬に最初に出演オファーを頂いたときは、その番組を知らなかったんです。私はまったくバラエティ番組を見ないので。とにかく、そのときはテレビに出演する理由がなかったので断ったのですが、次に2021年夏にオファーを頂いたときは、番組に興味が湧いていました。そのときに番組を見て、すぐに誠実で温かいコンセプトが好きになりました。オファーを受けるかどうか決めるには難しい時期だったのですが、番組の作家と何ヶ月か話すうちに、安心できるようになりました。撮影の日までつきあってくれたすべてのスタッフにとても感謝しています。でも、そこで私が話したことが、少し誤解を招くような編集をされてしまいました。

Q.それはどんな内容か聞いてもよいですか?

「『フィクションの宇宙』と『アーティスト』と言う言葉をこの業界の人々はよく使うのですが、私はそれ聞くのが好きです」と話したのが、「私はその2つの言葉が好きです」と解釈されてしまいました。十分に説明されていなかったのでそう誤解されたのだと思います。私は普段、自分では「宇宙」という言葉を使いません。これが説明をややこしくしているのですが。

私がなにかのプランを考えてディレクションするとき、ぴったりな物語が自然に浮かんできます。私は人工的に造られたストーリーよりも、自然なストーリーの流れや伏線の中に物事の本質を映すほうがいいと思っています。もちろん、必要があれば少し作為的な設定を作ることはありますが。私は結論ありきで進めるよりも、トピックを提供して、あとは自主性をもって自由に進めるのが好きなんです。

個人的には、K-popシーンで使われている「宇宙」という意味やニュアンスはやや過剰だと思います。それは私が求めているコンテクストとはやや違います。でも、消費者が私の作品から感じる気持ちをまとめて「宇宙」と呼ぶことは自由です。これは全く違う話で、私の作品におけるディレクションが「宇宙」と感じられやすいのは実感しています。また、プロデューサーとして、彼らがそれぞれの解釈で私の作品を感じ、イマジネーションを膨らませているのを見るのは本当に楽しいですし、感謝しています。

私は宇宙の定義は自己実現にあって、誰かから規定されるものではないと思っています。だから、さっきの言葉は私が直接言うよりも誰か他の人が言ってくれたほうがいいんです。改めて書き言葉と話し言葉が違うことに気づきましたし、だから文字で表現するこのインタビューを受けることにしました。近年子どもたちの読書離れが進んでいるようですが、私は書き言葉の力を信じています。

(訳者注:このパートは番組に配慮して遠回しに言っているのだと思う。おそらくミンヒジンが言いたいのは、あまりにも凝った“造られたフィクショナルな設定”のようなものが、K-popシーンで氾濫しすぎているのではないか、ということだと思う。それに対して、ミンヒジンのやり方は、より自然な物語や設定にメッセージを反映させていくのだと説明する。しかし、2021年に出演したテレビ番組ではむしろフィクショナルな宇宙=造られた設定という言葉をミンヒジンが好むような編集をされたため、ほとんど逆の意味になってしまった、ということなのだろう)

Q.このインタビューはあなたにとってどんな意味がありますか?

私がSM Entertainmentを離れてから、特にプライベートなインタビューは全て断ってきました。一つの大きな理由は、これ以上過去について話したくないのと、現在や未来に視点を集中すべき時期だと感じているからです。つまり、以前出演したテレビ番組のように、前の職場で何が起きたかについては話すことを避けたいと思っています。でも、もちろん、過去の作品の結果が今の私であることは間違いありません。

そういう言葉がでてくる自分がおかしいなと思うようになって、いろいろストレスを抱えていたのだと気づきました。そういったトラウマから解き放たれたいと思って、ようやく今、どの会社の代表の立場でもなく、一個人としてお話できるようになりました。

特に、私はポップミュージックの批評家や、20代のK-popファン、K-popの行く末に興味を持っている人など、幅広くインタビューワ−のみなさまを集める方法を本当に気に入っていて。私も、直接、あるいは間接的な消費者や、批評家を招待して議論できたらどんなに楽しいだろうと考えたことがありますが、ある意味それが今実現したように思います。

Q.私の理解では、あなたは元々アートディレクター、クリエイティブディレクターとしてSMエンターテイメントで働き、今はHYBEのCBOでありADORのCEOです。お話を始める前に、読者へディレクターやクリエイティブディレクタ−、CBO、あるいはレーベルのトップといった肩書が具体的に何を意味しているかを教えて頂けませんか?

私は言葉の定義の説明にインタビューの時間を割きたくないんです(笑)。立場や肩書は、かなり昔に、私にとって重要ではなくなりました。組織において役割はもちろん重要ですが、もし自分の意思で役割の領域や管掌を超えて仕事をしたら、肩書は意味をなさなくなるし、邪魔でさえあります。私は誰もが自分の役割を超えて仕事をするべきだと言っているわけではありません。まず最初に与えられた仕事をしっかりこなして、はじめて仕事の領域が広がっていくのです。

もし明確に達成したいゴールあがるなら、必然的に要求された仕事内容を超えていくことを求められると思いますし、自主的に仕事の領域を広げていく必要があります。これは他人が強制してできることではないと思います。無理のない範囲で、ですが。そして一度仕事の領域が広がると、単一の肩書ではあなたが組織の中で何を成しているかを表現できなくなります。効率性を考えれば肩書は必要ですが、その考え方にあまり固執しすぎないほうがいいと思っています。結局は、個人の仕事に対する姿勢の問題です。

(訳者注:前述のように、2002年にミンヒジンがSMに入社した当時、彼女はビジュアルやアートを調整する一職員に過ぎなかった。ミンヒジンは当時のSMのクリエイティブに対する業務方法を疑問に思い、自分の役割に固執することなく、自主提案を行い、新しいスタイルを生み出することで、今やSMのみならず全K-popアーティスト・事務所に通ずる、横断的で統合されたアート・クリエイティブディレクションの考え方と手法を確立していった。きっとそのプロセスでは、肩書を重んじる人々から抵抗を受けたりもしただろう。こういったミンヒジンの原体験を勝手に想像しながらたどると、上で語られているミンヒジンの「仕事観」は非常に納得がいくのである)

Q.韓国のコンテンツ産業の急成長において、K-popの存在は当然無視できません。K-popの成長はもちろんそれぞれのアーティストによるものです。しかし、ビジュアル・ディレクションはK-popの成功の要因だと言われており、あなたがそこで果たした役割は非常に大きいように感じます。あなたのK-pop産業への貢献についてどう思われますか?

私は、この業界における自分の仕事がビジュアルの側面のみであるとは思っていません。先程申し上げたように、肩書というのは組織を管理するためのラベルでしかありません。肩書がそれらの仕事が抱えているタスクの幅を完全に表現できない場合もあるでしょうし、仮にできているとしても、それを理解する人の先入観やバイアスによって正しくその役割が理解できないこともあるでしょう。実際、誰がどう考えるかはあまり重要ではないと思うんです。
重要なのは、望まれる結果を達成することです。私はいつも、自分のすべてを仕事に注ぎ込みたいと思っています。SMエンターテイメントに入ったとき、人々のK-popに対する印象は今とずいぶん違うものでした。私はそのイメージを良くするために、K-popに個性を加えたいと考えました。私は愚かにもそんなことを考えていたので、いわゆるアイドルマーケットに興味がないのにこの業界に飛び込んでしまったのです。

私は今までに存在していなかったアプローチで、K-pop市場のポテンシャルを拡張するアイディアがあると自負しています。ビジュアルの要素とデザインに関する議論ではすべてをカバーすることはできませんが、同時代性やビジュアルの側面から見れば、それらの原則は重要です。ビジュアルの要素の強みを真に引き出すには、ビジュアル以外の要素に対する一般的な理解との知的な融合は必須であるという認識が必要だと思います。ビジュアルとそれ以外の要素を切り離してはいけないということです。ビジュアルカルチャーの新時代を切り開くには、基本的な業界の理解のうえで、ビジネスモデルの組み合わせや拡張をベースとした絶え間ないイノベーションが必要です。

Q.それは新しいレーベルを立ち上げた理由のひとつですか?

タレントマネージャーやセレブリティー、作曲やプロデューサーが芸能事務所を立ち上げるのは自然なことです。元々タレントマネジメントをしていた社長が経営やビジュアル面に関わったりするのは、先にも述べたように、その人に定められた役割と、実際に活躍できるパフォーマンスのキャパシティは全く別の話だからです。だから、私がビジュアルディレクターという経歴を考えれば、新しいレーベルを立ち上げるのも驚くことではないと思います。私の描く将来図を形作るには、私の求める音楽が土台にあり、キャスティング、トレーニング、デザイン、ビジネスの全てが私のビジョンと一致していなければいけません。設計図が明確であればあるほど、実現できる可能性は高まります。

Q.あなたは多くのK-popアイドルの中で新しい韓国のトレンドを作り出してきて、「ミンヒジン・センシティビティ」とブランドのように言及されるまでになりました。「ミンヒジン・センシティビティ」のコアはなんですか?

私の視点と、他の人が見る観点にはズレがあるのだと思います。もちろん私は自分の仕事を1から10まで分かっていますが、外から私の作品を経験する人にとっては、彼らが見たものか、あるいは覚え(ることを無意識的に選択し)たものしか分かりません。多くの人はf(x)のPink Tapeのことしか言いませんが、私が何年にも渡って携わってきたプロジェクトは数え切れないほどあります。また、私の作品の全体を通じて共通して言われることがあります。一人のスタッフが、私の撮った写真を見て「あなたの写真に写っている人々はサヨン(訳者注:사연:個人の中にある感傷的、ノスタルジックなストーリー、感覚を意味する言葉)だね」と言いました。「サヨン」は非常に韓国語的な言葉で、他の言語に訳すのが難しいのですが。私は自分の作品から、すべての人々の個人のストーリー、唯一の「サヨン」が伝わってくるようにしたいと思っています。

Q.あなたは多くのK-popアーティストのイメージを作り上げることに成功しました。画一的になりがちな業界で、それぞれのアーティストやグループに独立性を与えるために、どのような戦略が必要でしたか?また、どのように困難を克服しましたか?

私はアイドルというものに対する捉え方が違うような気がします。常に感じてきたし、今も感じているのですが、「アイドル」という言葉に違和感があるのです。間違って使われてきた言葉が、日常に溶け込んでしまって、本来の用法と違う言語が標準語になっていく過程を見ているようです。どんな業界でも、時間が経つと、独自の方法で運用されていくようになります。こういった方法論は好きではないのですが、効率のために泣く泣く従わざる負えないことがあります。これまで課題に直面するたびに、業界独自の慣習的なアプローチに固執せず、どんな手を使ってでも解決しようとベストを尽くしてきました。必要だと思ったら、どれだけ疲れていても、最後までやり遂げ、耐えてきました。システムを壊したいと思いながら、同時に守らなければならない立場であり、このジレンマに疲れてしまいました。

クリエイティブのフィールドでシステムを構築することは、必ずジレンマを生みます。つまり、システムに依存すればするほど、個性はなくなっていきます。一方で、システムは安定性を生み出し、強固なエコシステムとなり、資金力で補強できます。古い言葉でいう「バランスがすべて」ということになってしまうわけですが、組織内で細かく分業化するとこのバランスの維持は困難です。結局、統合的な戦略がキーになります。こういった、私が今まで働いてきて出会ったすべてのジレンマやフラストレーションを解決しようとすると、新しいレーベルの立ち上げるという道になったわけです。

Q.過去のインタビューやプロジェクトを拝見すると、ミンヒジンさんの特徴的な視点が浮かんでくるような気がします。例えば、「テーゼ・アンチテーゼ・シンセシス」、真逆の要素を一緒にし、隠れた素晴らしい名作を追求したり、あるいは誰かや、何かの本質や真実に誠実に向き合おうとしていることです。何かをつくるとき、心に留めていることや忘れないようにしていることはありますか?

それらは無意識に湧き上がってくるもので、意識的に考えているわけではありません。他人から見落とされていても、信じることを曲げない努力をすれば、間違った方向にはいかないと思っています。そういう意味では、私のエネルギーやモチベーションは努力からきていると言ってもいいかもしれません。

Q.アートディレクターといえば、K-pop業界であなたより有名な人はいません。事前の打ち合わせで、有名になりたいと思ったことは一度もないと仰っていたことに、みんなで驚きました。一度世間に認知されはじめると、ネット上では常に話題になりました。ずっと批判や解釈の対象となり、称賛と批判を同時に浴びるようになりました。あなたがどうするか、どう言うかに関係なくこういった状況が続くことに、どう対処しているのですか?

注目していただくのはありがたいことです。同時に、間違って世間に出ることがストレスでないかといえば、嘘になります。大げさに見せすぎているのではないかと心配でなりません。広告、メディア露出、出版などキャリアの中で様々なオファーを頂きましたが、すべて断ってきました。SNSさえ使いませんでした。これは私のキャラクターを表していると思います。名声から得られる利益には何も興味がありません。むしろそこから感じる苦痛に苦しめられてきました。でも、私の情報が少ないがために批判する人がより増えそうだったので、昨年テレビに出演したし、インスタグラムアカウントも作ることにしました。

とはいえ、今でも、自分はトレンドに完璧にフィットするのは難しい人間だと思っています。私たちはコミュニケーションを重視する時代に生きていますが、これが理想的な状態なのかよくわかりません。コミュニケーションは難しいものです。他人への理解を必要とするし、それには意識的な努力をしなければいけません。努力しても誤解があるとつらいので、事業のために、直接消費者とリアルなコミュニケーションをしようと思いました。なんとかこの問題を解決するために、いろいろ模索しているところです(笑)。

Q.自分ではどうしようもない状況のときは、無視するか、自分自身から切り離して考えるしかないのでしょうか?

私は分析や批判の対象になることを受け入れています。好むと好まざるとにかかわらず、それが世間だと思うので。とはいえ、もちろん、根拠のない批判はストレスになります。まったく自分に関係のないところで、自分が巻き込まれることもあります。例えば、全く別のレーベルでデビューすることになったあるグループのメンバーのスカウトに、私が大きな役割を果たしたという記事がありました。その人とは会ったこともありません。別のレーベルのグループ解散に私が関与しているという、悪意のある噂も耳にしました。こういう噂はどこから出てくるのだろう、と本当に不思議に思います。

Q.あなたやあなたの作品に関する世間からの乱暴な憶測に、どのように乗り切っているのですか?それらの噂を聞くのは苦痛ではないですか?

とても怖いです。そして、悲しい気持ちになります。関係のないものなら、笑い飛ばせばいいというアドバイスもあり、最初は無視していました。私はゴシップを調べるようなタイプの人間ではありません。それでも耳に入ってきます。たとえ根拠がなくても、たくさんの人が信じるようになる。おかしければおかしいほど、噂の出自を調べるのは困難です。こういうものをテキストで読むと、世間が怖くなります。前の職場でも同じようなことがありましたが、いまだに慣れませんね。

この業界でクリエイティブディレクターとして世間と向き合って働くと、いろんな疲れがでてきます。こんなダブルスタンダードにも直面しました—私の作品が批判されると、すべて私の責任のように言われます。でも称賛されると、本当に私一人で成し遂げたことなのか懐疑的に見られます。それでも、代表として、あるいはディレクターとして最前線に立つ者の宿命として受け入れました。しかし、根拠のない噂は、人の心を荒廃させます。私が属している社会の縦糸と横糸、そこで起こる出来事は、ほとんどが複雑なプロセスとさまざまな理由によって構成されています。ほとんどの場合、一言でまとめることは難しいし、一人の人間だけを責めることもできません。この微妙なレイヤーをフラットにひとつに圧縮してしまうことほど、残酷なことはないと思います。自分の仕事のためだけでなく、健全な社会のために、何も知らないのに不用意に発言しない文化が根付くことを心から願っています。

Q.「グロテスク・ビューティー」という言葉やアイドルグループの映像に古いイタリアンジャズを用いたりして、対称的なものを組み合わせて人々の心を惹きつけています。それら対立する要素というのは、人々を惹きつけるものなのでしょうか。こうした法則を利用したクリエイティブは、時間や場所に限らず成功すると思いますか?

誰かに対してとても情熱的な思いを抱いていたとしても、それを表す方法が常に同じだと、いずれその感情を失ってしまうと思います。アイドルのプロデュースや消費のされ方はそういった方法によるアプローチが多いですが、私は好みません。私なりのやり方を必死に模索した結果なのですが、変わらない視点を持つ消費者からみると、どうやらひねくれたコンセプトの持ち主のように思われたかもしれません。初期のアイドルを成功に導いたSMの王道のようなスタイルとは対照的な演出が魅力的だったのかも。

私は自分の作品の中で、SMが第一世代のアイドルに行ったスタイルとは逆のアプローチをしようと始めました。それが奇妙に思われたんだと思います。それに、すでに存在するアイドルの枠組みから離れた私のアイディアが、業界で注目されるチャンスもありました。心の中では、そういった反応は予想していました。グループの大きさとイノベーションのスピードは反比例する傾向にあるので、期待を裏切ろうとしないと、イノベーションを印象づけることはできません。矛盾しているものをただ正当化するよりも、正しい場所と正しいタイミングを選んで、様々な方向から取り組んだほうが賢いやり方だと思います。

Q.とても興味深いです。あなたは多くの困難を乗り越えてきたのだと思います。挑戦をいくつかお聞かせ頂けませんか?

スケールの大きい組織から仕事が舞い込むのは誰にとっても嬉しいものです。私は自分の仕事は会社の将来のためのもので、単に大胆な品質のビジュアルのためではないと考えていました。だから、今得られているもののおかげで過去の苦労が見えづらくなってしまうのは悲しいことです。当時は業界において、ビジュアルの要素の重要性は今ほど認識されていませんでした。コンセプトの重要性が理解されていなくて、コンセプトに従って時間と予算を配分するという考え方はありませんでした。ビジュアルの要素が業界にとって必要不可欠な戦略・概念であるということを人々に認識してもらうのには予想外に時間がかかりました。私に情熱はあったのですが、とてもつらい時期でした。SMを離れるまでの10年以上の歳月をかけ、私が確立した方法をもとに、SMのビジュアルランゲージに対するディレクションは全て再編成されました。だから退社するにあたって未練はありませんでした。必要なことはすべてやりきったと感じていました。

Q.来る日も来る日も自分を追い込んでいるように見えます。クリエイティブ・ワークに対するあなたの生産性は非常に高そうです。その生産性の高さの理由はなんですか?効率化を達成するにあたって、何を考えていますか?

仕事の生産性は、個々人の目標に対する解像度の高さからくるものだと思っています。これは誰かが強制できるものではありません。誰もがそれぞれの才能を持っているので、一つのアプローチで効率化が達成できるものではないと思います。いい例が暗記教育です。その弊害が分かっているのに未だに続いています。自分の意思で切り拓かないと、他者から情報を強制的に与えられたときのキャパシティには限界があります。

Q.K-popにはステレオタイプがあると思います。誰もがステレオタイプを克服しようとしていて、でも成功した例は少ないようです。どうやってこの問題を解決しようとしていますか?

誰もがステレオタイプを克服しようとしている、という考え方自体がステレオタイプかもしれませんね。私の経験では、人生やビジネスで安定を求める人は思ったより多くいます。教科書的に安定した生活が理想と言いながら、内心はそこから外れることを夢見る人が多いように、正しい概念と個人が現実に求めるものは大きく異なるのに、後者が無視されることがあるのです。だから、たいていの人は「新しさを渇望している」と言う。でも、本当にそれを望んでいるのか、私は時々疑問に思うことがあります。

新しいものを目にして違和感を覚えるのは自然なことです。でも、見慣れないものに出会ったときに、適切で冷静な評価を与えるまえに不満を言ったり、批判したりする人を目にします。「かわいそうに……時代を先取りしすぎてしまって……」という声を何度も聞いたことがあります(笑)。新しいものが常に良いとか、見慣れないものが常に新しくて良いとか言うつもりはありません。

Q.もう少し詳しく聞かせて頂けますか。

例えば、「新しいもののための新しいもの」には、通常のアプローチにおける問題とは違う問題があります。ただ新しいだけのものは、コンセプトとしての新しさと混同させる可能性があるので、必ず分けて考えなければいけません。私が言いたいのは、新しさ(見慣れなさ)というコンセプトそのものにフォーカスするのではなく、なぜ人は新しさを渇望するのかという根本的な本質に目を向けるべきだということです。何を本当に望んでいるのか、よくわからずに混乱している人がここまで多いとは思っていませんでした。そういう人たちがただ単に新しいものを見つけようとすると、わけのわからないことになると思うんです。それは人々にはそれぞれの基準があって、ある人にとっては新しいものでもある人にとってはださく感じます。全員が求める目新しさを満足させるなんて、ほとんど不可能です。それでも挑戦するのが私の仕事です。ADORの社長になってから、仕事量は爆発的に増えました。とてつもないプレッシャーがあります。やらなくちゃいけないことが頭を巡って眠れない日もあります。どれだけ想定しても想定外のことが起こります。その不確実性を受け入れるのが私の長所かもしれません。

Q.HYBEは、サービスの継続的な改善により、お客様に満足していただくことを事業の方向性として掲げています。私は、ビジネスとは基本的に問題解決による価値創造だと考えています。ADORというレーベルは、どのような問題を解決しようとしているのでしょうか?

このテーマで一本の論文が書けます。課題のない業界はないことは確かです。このトピックについてシンプルな言葉で簡単に言ってのけることは困難ですね。私がレーベルを立ち上げた一つの理由でもあります。ひとことで言えば、この業界にありがちな固定観念から脱却し、勇気を持って積極的に新しい道を模索し、別の出口を作っていこうという意志です(簡単そうで、実はかなり難しいことなのですが)。HYBEのバン・シヒョク会長と共通する部分もありますが、目標を達成するためのアプローチは人それぞれです。その多様性が重要で、それを認めてもらえたからこそ、レーベルを立ち上げるに至ったのです。HYBEのCEOであるパク・ジウォンも同じように考えていました。みんなが同じ方向を向くのではなく、異なったアプローチを取る人々を共存させることで、成功の確率を高めることができます。産業が発達すると、既存のメソッドに甘んじて成長が止まっていくのは分かっていますが、今のK-popシーンがそれほどわくわくするものではなくなったことも確かです。新しいアイディアが実を結ぶにはタイミングが重要で、今がそのタイミングなのだと思います。

Q.いままで多くの選択を行ってきたと思います。選択することとどう向き合ってきましたか?今まで行った選択で最も重要だったのはなんですか?

必要なものは必要なものとして、だいたいいつも直感的に判断してきたと思います。だから、いざ優先順位をつけるとなると、他の選択肢を押しのけてしまうのがかわいそうで、なかなか選べないんです。とはいえ、一番印象に残っているのは、長く勤めた会社を辞めたことでしょうか。

Q.クリエイティブ業界では、調和していることと、一方で緊張する状態がとても重要だと思います。同時に、クリエイティブ業界の人というのは、現実家でありながら夢を追う、両面性が必要だと思います。クリエイターとしてのミンヒジン、CEOとしてのミンヒジンは調和と緊張のバランスをどう定義し、コントロールしていますか?

唯一言えるのは、私はクリエイターでありたいがためにCEOになったということです。この2つの役割は根本的に異なる特徴を持ちながら、一方で本質的に結びついています。商業的に成功できないクリエイティブにはバイタリティーがありません。ビジネスとクリエイティブ・ワークがうまく調和できなかったために、行き詰まり成功に結びつかなかった例をたくさん知っています。ビジネスとして考えれば、資本とクリエイティブワークの関係は切っても切れないのに、小さなエゴのためにここから目を逸らすと、何もかもがうまくいかなくなります。

私はCEOという肩書に何ら興味はありません。今その職についてみて分かったことは、とてつもない責任があって、窮屈で、非常に疲れるということです。自分で決めるために自分のレーベルを立ち上げたのですが、そうなると自分の肩書を自分で決めなければいけません。クリエイティブな仕事と、効率的な事業運営を両立させて、商業的な成功へ実を結んだらどんないよいでしょう。いつか実現させるために、最適なバランスを探そうと挑戦しています。

Q.K-popファンとして、芸能事務所の戦略として意図的に調整されるファンとアイドルの心理的な距離感について、常々思うところがあります。あなたのコンテンツにおいて、どのような距離感が大切だと思いますか?

基本的には、私は可能な限り近いほうがいいと思っています。私はあまり駆け引きするのが得意ではなくて、与えるタイプだったからかもしれません。すごく疲れるし、我慢できなくなってしまいます。意図的に駆け引きをしたことがないので、どれくらい重要なのかよくわかりません。私のプロジェクトに関しては、できるだけ正直で、フレンドリーでありたいと思っています。

Q.ADORからデビューするガールズグループは、きっと2022年にデビューするK-popグループの中で海外ファンから好まれるグループになると思います。公式なメンバーが発表される前から、ファンは「ミンヒジンのガールズグループ」と呼んでいます。あなたへの期待値が極めて高いのは確かです。いつ新グループの秘密が明らかになるのですか?

2019年の9月から年末までオーディションを行って、人選も完了しました。彼女たちは2020年のはじめからおよそ2年間トレーニングを受けています。当初はコラボレーションプロジェクトとして2021年にデビューさせる予定でしたが、コロナの影響で延期になり、その間に私のレーベルが前倒して立ち上がったために、2022年にADORレーベルのグループとしてデビューすることになりました。私が長い間考えてきた、新しいガールズグループの形をお見せすることになります。2022年の第三四半期(7〜9月)にローンチする予定です。

Q.グループの方向性についてはこれまでわずかにしか言及されていないので、メンバーについて教えてください。

急なデビューは若いメンバーに大きな負担をかけることになります。仕事量が多くて大変になるので、あまり急ぎたくないのです。しかし、長い間待っていただいているファンの方々の気持ちを考えると、やはりタイミングというものがありますから、どちらかに偏ることなく、いろいろな要素を考慮した結果、最も合理的なデビューのタイミングとして、今年の第3四半期になりました。

彼女たちはまだファンがいないのに、すでにとてつもない努力をしているんです。そして、まだ足りないんじゃないかと悩んでいる。私たちの第一目標は楽しませることです。記録の更新や数字でパフォーマンスを測定することから始まるわけではありません。私が本当に望んでいるのは、誰もが楽しみながらベストを尽くせる環境を育てることです。楽しくなければ意味がありません。頑張る姿勢というのは、毎朝魔法のように湧いてくるものではありません。楽しむことから始まるし、だからこそ、練習も必要です。そして、その努力のエネルギーは、その人たちからはっきりとした形で発せられると思います。だから習熟度よりも楽しむことに重点を置いているんです。心から楽しんでいる人のエネルギーは非常にパワフルですから、見ている人の心も踊りますよね。

Q.聞いていたら、どんなグループになるのか本当に楽しみになりました。

私たちは自分たちで基準を決めて、そこにむけてベストを尽くしています。そういう意味で、私たちのグループのエネルギーは際立っていると思います。彼らはスキルを常に磨き続けています。理想論に聞こえるかもしれませんが、私が真摯に願っているのは、みんなが一緒に楽しめるようなカルチャーを作りたい、ということなんです。こういったキャリアには常に競争がつきものであることはもったいないと思っています。適度な競争は健全な緊張感をもたらしますが、やり過ぎは問題です。世間は若者の労働環境や若いアイドルグループの人権に関する問題を提起する一方で、彼らは厳しい基準、高い期待で幼い子どもたちを評価したり、批判したりします。日々感じる矛盾を、楽しむ、好きな対象に転嫁してしまうのは皮肉だし残念なことです。2022年に多くのグループがデビューすると思いますが、私たちだけでなく他のレーベルのグループも応援してほしいです。私はK-popというカルチャーが、単なる競争ではなく楽しめるような文化になるといいなと思っています。

Q.非常に乱暴にK-pop産業を定義するとすれば、アーティストを生み出すシステムということになりそうです。これに関してどう思いますか?また、2010年代と比べて、2020年代のK-pop産業はどう変わったと思いますか。変えるべきところはありますか?

K-popは急成長の過程で、豊かな多様性と定義を獲得してきたと思います。学術研究のようなものなので、ぱっと要約するのは難しいですね。ここ10年間で本当に多くのことが変わりました。まず知名度、認知度が大きく変わりました。伴って投資される金額も変わりました。アルバムやミュージックビデオの制作に使われる予算は、私がHYBEに入社してからの3年間でも大きく変わりました。しかし、規模以外の供給・制作や消費の方法は、K-POPの位置づけが大きく変わったほどには進歩していないように思います。

私は変化に対してもっと寛容になってほしいと思っています。いつからか、変わらないパターンに落ち着いてしまって、同じ方法で生産され消費されるコンテンツばかりになってしまって、そこから外れたことはしてはいけないような風潮になってしまいました。作り手と受け取り手のどちらに問題があるかは、「鶏と卵」の問題です。これ以上新しいものなどないと人々は言いますが、どんなことでも新しいコンセプトは見つけらえると信じています。新しいことに挑戦するときに必要なのは勇気です。生産は消費なしには存在しえません。だから、作り手と受け取り手が相互に理解を深め、競争するのではなく楽しむ姿勢でいてほしいというのが私の希望ですし、今回お話している理由です。

個人的には、コロナウイルスのせいなのか、対立がより激しくなっているのが本当に悲しいです。毎日のように、厳しすぎる基準で他人の粗探しをして、些細なことで争う人々を目にします。もっと寛容に、もっと受け入れる力が広がれば、もっと楽しさに浸れるかもしれない。とくにこの産業では、まず新しいことへの寛容性がなければ、多様性は生まれません。これはクリエイティブな分野だけでなくて、どの産業にも言える視点だと思います。こうした、私たちが直面している基本的なことを無視して将来のことを議論しても意味がありません。机上の空論と同じです。

5.Be Attitude ロングインタビューPart2「A Rare Peek into Min Hee-jin’s World」

ミンヒジンの独占インタビューにPart1が公開されたとき、BeAttitudeの編集部は目を疑った。それは、サイトへのアクセス数が急増したからだけではない。世界各国からの読者の流入と世界各地への配信、そしてTwitterでのアラビア語、スペイン語、タイ語への翻訳や後編への熱烈な期待など、リアルタイムの反応に驚かされたからだ。韓国語と英語の長編インタビューが読者に大きな喜びを与えることを、身を持って体感した。前編公開後にミンさんの変化をじっくりと聞くために、後編の公開は遅らせることにした。SNSでの反応、ADORからデビューするガールズグループ、自身のプレイリストについてなど、多岐にわたる話題をお送りする。ミンさんの考えやオピニオン、個人的なエピソードから、業界の「リーダーのリーダー」と呼ばれるミンさんの一挙手一投足を追っているすべての人の好奇心を満たしてくれることだろう。

Q.Part1を掲載すると、本当に大きな反響がありました。誤解が解け、あなたの真摯な姿勢に心を打たれた人が多かったです。ミンさんはどのように感じましたか?

人々に伝えたい細かいところまではすべて言い切れなかったのですが、そういったことを口に出せるようになったのはとてもよかったです。直接消費者とお話しているような感覚が、一番私にとって意義がありました。今まで受けたインタビューとは違ったタイプのインタビューだったので、自分の話したことがどう受け止められるのか気になっていましたが、受け入れていただいてよかったです。BeAttitudeの編集チームが「ミン・ヘジンの人間的な部分を聞きたい」と言っていたので、今回はもう少し自由に、オープンに話してみようかなと思っています。私生活の話が中心になると思うので、万人受けはしないかもしれないし、長くなってしまうかもしれません。一応の警告です。長文が苦手な方、私の人生に興味がない方は、今すぐウィンドウを閉じた方がいいかもしれません。(笑)

Q.ミンさんが、自身がプロデュースするガールズグループへ愛情を注ぐ姿は人々の関心を集めています。あなたの育成スタイルについて教えて頂けませんか?

私は彼らにとっての母親だと思っています(笑)。私は母親の役割も、友だちとしての役割も同時に果たしていると感じます。彼女たちは本当に優しくて素敵なので、いつも自慢したくなります。私は子供のころアイドルが好きなわけでも、何かしら幻想のようなものを抱くタイプでもありませんでした。私にとって芸能人は、同僚や兄弟、あるいは自分の子供のような存在でした。だから、自分のレーベルの練習生に対しても、同じような感覚を持つのは当然ですが、彼らに対してはより強く感じます。そのため自分には分別と冷静さが必要だと言い聞かせています。数週間前、別の部署の社員が、ADORの練習生がいつも挨拶をしていて、とても礼儀正しいことに感心しているのを偶然耳にした、と言っていた人がいました。感動しました。「ああ、これが親の気持ちなのか」と。早速、グループチャットで彼女たちに賞賛の言葉を送りました。

見せかけだけ良くしようとする人々が好きになれません。そういった駆け引きをしたくないんです。どんな状況でも、私のメンバーたちには温かい気持ちで接してほしいです。見栄えだけ優しく振る舞うのは、意識して行わないといけないから、面倒になります。疲れるし続きません。あなたの本心の中にある価値のものさしが一番大事です。社会に出て人々と話すときは特にそうです。人はロボットではないので、間違えるし、いつでもフレンドリーというわけにはいきません。表向きの性格にこだわるのではなく、内面的な強さや優しさを持っていてほしいと思っています。

Q.今おっしゃったトレーニングのプロセスに興味があります。どんな手法を取られているのですか?

私は20年間この業界にいて、数々の問題に直面し、自分なりのノウハウと哲学を培ってきました。通常はキャスティング・トレーニングといったプロセスは、実際の制作プロセスとは分けられますが、これらはクリエイティビティを高めるために重要だと考えています。クリエイティブデザイナーだったときは、トレーニングの工程にあまり関与できませんでした。そこで、自分のレーベルを立ち上げることで、キャスティングやトレーニングも含めた全プロセスをコントロールしたいと考えました。特に、アイドルを目指す子たちの平均年齢は比較的低いので、非常に重要なことだと思っています。当然、育成の過程では、いろいろと細かいところまで気を配っています。

事業の観点でも、予想外のことが多く起こりました。外からは混乱しているように見えたかもしれません。ガールズグループはもともとコラボ企画として始まりましたが、その後ADORのグループということになったため、私がADORのプロジェクトとして全体に関わったのは2019年の9月からです。まずはトレーニングのプロセスから手を付けました。彼女たちの健康状態やライフスタイル、宿舎、練習スタジオの状態をまず確認しました。練習生はデビューが決まると非常に忙しくなるため、学校についていけなくなるんです。学校に通うのが嫌な人も、いざ長い間通うことができなくなると、取り残されたような感覚になります。人は経験できなかったことを心残りに思いがちです。だから、できるだけその代わりになるものを作ってあげたいと思ったんです。私たちが練習生に提供しているものは、学校生活のミニバージョンだと思ったので、学校で習うことをレーベルでもできるようにしました。音楽、美術、歴史、国語に近いようなことです。彼らがいま興味を持っていることにより没頭できる環境だとも言えます。仲間やトレーナーとの人間関係、社会性をも学ぶことができます。そのため、私は全社員に対して、私たちは練習生のロールモデルたらなければならないと、口酸っぱく言い続けています。

みんなで歌詞を書く時間を作りました。国語、文学、クリエイティブ、エッセイの授業のようなものですね。最初にアルバムのコンセプトや曲の方向性を説明し、全員がそれぞれの経験を話しました。その時間だけでも有意義でしたが、出来上がった歌詞はポテンシャルにあふれていて、とても誇らしく思いました。今は彼らが書いた歌詞を曲の中に入れていこうと思っています。学ぶプロセスの一環です。彼らは若くて経験は少ないですが、その未熟さが勇気をもたらします。たとえ歌詞が完璧にエレガントでなくても、その過程とその結果彼らが引き出せたものは貴重で、彼らなりの輝きがある。才能があるかないかを軽々しく判断するのではなく、時間をかけて継続的に観察することが必要だと思います。実際にやってみないとわからないし、最初は才能がないように見えても、コツコツと練習していくうちに発見されるケースも多い。そういう人を見過ごしたくないですね。

Q.メンバーはあなたのことをどう思っているでしょうか?

よくわかりません(笑)。私は友だちのように接していても、彼らは年齢差やポジションによってそうは思っていないかもしれません。肩書のせいで気まずくなることもあります。デピョニム(韓国語:대표님、社長)という肩書はとても堅苦しいですが、他の言い方も同じくらい嫌だったのでデピョニムでいくことにしました。あるときメンバーの1人がデピョオニム(韓国語:대퓨님)と誤字したんです。その表現がとてもかわいくて、気に入りました。

私も今までのように若くはないし、無意識に彼女たちのことを赤ちゃんのように話してしまっているのではないかと心配になるので、きちんと話さなくてはと思っています。実際に会うと、若さを感じさせない圧倒的なテクニック、才能、情熱を持っています。それぞれ突出した個性あるスキルがあり、一人ひとりが特別な存在です。一緒に練習しているのでとても仲がよく、韓国語と英語を自在に操るので、さまざまなファンの方々に見て頂けると思います。

Q.メンバーについてもう少し細かく教えて下さい。

本当は一人ずつ話したいのですが、そういうわけにはいかないですよね。普通、こういうときは一番若い子の話をするんでしょう?(笑)最年少のメンバーは、とてもクールで洗練された人物です。ある日、彼女が家に来て、一緒に食事をしたり、本屋に行ったり、近所を散歩したりして、あれこれと話をしたんです。一抹の気まずさはありましたが、しばらくすると、友人と散歩しているような感覚になりました。彼女はたくさんの才能と素晴らしいスキルを持っています。若いのに、思慮深くて、あの年頃の純真さがあります。私は彼女の爽やかなエネルギーを浴びたことを今でも覚えていますし、素晴らしい天気もその効果をさらに高めてくれました。ある時、グループのコンセプトや方向性を聞くためにグループ全員が私の家に来たのですが、この子は私が家で聴いている音楽を聴いて、メモを取りながらずっと感心していたんです。その子たちが知っているような曲でもないし、聴いたことがあるとも思えないんだけど、純粋に好きなんだなあと思うと、急に不思議な気分になって、自分の若い頃に戻ったような気がしたんです。それはとても魅力的なことでした。世代を超えた不思議な同質性を感じたのです。できることなら、メンバーひとりひとりのことを全部話したいんだけど、話し始めると止まらなくなっちゃうんだよね。とても難しく、楽しく、かわいく、魅力的で、同時に驚きの連続です。

Q.あなたグループメンバーについて離す様子を伺っていると、「ミンヒジンキッズ」という言葉を思い出します。

スタッフの一人である、キム・ナヨンも自分のことを同じ表現で説明していました。彼女は私の作品が好きで、それを見て育ったと言っていたので、一緒に仕事をすることになったのはとても素晴らしいことだと思います。すごいし、感動するし、ちょっと恥ずかしいし、本当にありがたいことです。自分の口から出すとぎこちないですが、言葉にしてくれるだけで感謝を感じています。数年前、ある講演会で講師を務めたのですが、終了後に学生たちが私のところにやってきて、サインをしてほしいと言われました。私にとってサインは書類にサインをするためのもので、とても気まずくて、面白くて、ほとんどできませんでした。彼らは涙を流しながら、私に会えて光栄だと言ってくれたんです。この感動をどう表現したらいいのか、言葉を見つけられないくらい感動しました。私みたいな何も特別でない人に会っただけで、感動して泣いてしまうなんて。だから、「泣かないで」と慰めてあげました。本当にありがたく、感動しました。打ち合わせで会った人が、自分のことをそう表現してくれることもあります。あるいは、自分の子供や姪や甥がそうだと伝えてくれます。彼らがナヨンのように立派に育って、社会のどの部分でも優秀な一員として活躍している姿を想像すると、その......うまく表現できないのですが、胸がいっぱいになって、今、こぼれているような感じなのです。この言葉を使ってくれる人たちに、感謝の気持ちを伝えられるように、できる限りのことをしたいと切に願っています。

Q.前回のインタビューが公開されてから、何か変わったことはありますか?些細なことでもよいです。

何が変わったかを離すために、背景を説明する必要があります。長くなるかもしれません。おかしく聞こえるかもしれませんが、私は人生の大部分を、ある意味、嫌われていると感じながら生きてきました。先ほどのインタビューでも少し触れましたが、何の根拠もなく、建設的な批判をしようともせず、ただひたすら私を妨害するために、言い訳をするような声に長い間さらされ続けてきたような気がします。多くの場合、それは私の仕事とは関係ないので見過ごしていたのですが、放っておいたら、ある日、それが私を箱の中に閉じ込めているような気がしたのです。私の作品をきちんと知らない人から来る批判を、ひとつひとつ論破することはできません。反論したり、訂正したりできるのは、結局のところ、相手が聞いてくれる場合だけなんです。でも、そういう思い込みをずっと放っておくと、それが真実のように受け止められて、私のことを知らない、名前しか知らない人たちがすぐに私を非難するようになって、悪循環に陥ってしまうんです。

最初から誰かを誹謗中傷することが目的なら、事実を確認する意味はありません。実際、そういう人は他人の実態にあまり興味がないんです。「みんなが言っているから、そうだろうと思っていた」という現象を数え切れないほど目撃してきました。皮肉な話ですね。私はあまり自分の名前で検索しないので、こういった出来事に後から気づいたのが幸運だったかもしれません(笑)。他人のことは一過性の興味しかないから、そう思う気持ちもわかるけど、それでも何年かひどい目に遭いました。今はだいぶ良くなりましたが、パニック障害や不安感がひどくなったときは、精神科やカウンセラーに診てもらいました。ハリー・ジュンは、インタビューの最初の部分が公開された後、その再生回数の多さに驚いて、"ああ、これがエンターテインメント業界で働くという感覚なのか "と言っていました。私は、「諸刃の剣です」と答えました。人々は基本的に名声自体を羨んでいるのだろうから、結果には興味がないんだろうと思います。だから誹謗中傷で他人が苦しむことということにほとんど気がつかないのかもしれないですね。これを読んで、「なんだ、そんなことか」と思う人もいるかもしれません。どんな業界にも、必ず明るいところと暗いところがあります。私は注目されるのが好きなタイプではないし、夢中で仕事をしていたから、その痛みが増幅されたのだと思います。

Q.驚きました。私が想像しているよりも、遥かに苦しまれたようですね。

一人の人間が組織の惰性を打破して何かを成し遂げるのは、容易なことではありません。目標達成までの道のりで、会社や同僚、消費者を説得するために伴う労力はもちろん、たとえどんなに無理をしているように見えたとしても、それを達成して、どんな圧倒的な結果に見えても、その苦労がすぐに当たり前のことになって、努力は無駄だったように感じてしまうこともあります。そして、最終的には組織が再編成され、今までにない仕組みが生まれ、会社のレベルが1段上がる役割を果たすのです。やり遂げた本人は達成感もあるのかもしれません。でも、私はその過程で、内外で経験したすべてのことに、少し傷ついてしまったんです。すべての功績は会社の名前で称賛され、すべての失敗は私個人に対して批判されているように感じてしまいました。苦痛に耐えれば耐えるほど、やる気を失い、心が固まっていったのです。バーンアウトの引き金になり、退職を決意した一因でもあります。でも、前回のインタビューでも言ったように、ポップカルチャーに携わるディレクターの試練だと思って、修行僧のような生活で乗り切りました。もう少し仕事に身が入らなければ苦しみは少なかったかもしれないけど、私はそういう人間ではなかったので、仕事がますます無駄になっていると感じたとき、再就職先を探すのをやめて、この仕事から手を引くかどうか悩みましたね。

Q.大変だったのですね…。今はどうですか?

辞めれば良くなると思っていました。でも、辞めると決めて新しい職場に入ったあとも、前と同じようなことが繰り返されました。転職したのは経済的な理由ではありません。なにか高望みをしていたわけでも、憧れていたわけでもない。心理的なプレッシャーから逃れることが第一の目的だったので、次の就職先も決めていませんでした。人は自分なりの基準や理由を持っているものでしょう―それが世間的に当然だとされているスタンダードと違っていたとしても。それは他人に説明する必要もありません。何が大事かは人それぞれだし、私のすべてを理解してくれるわけではないので、あまり気にしないようにしていました。でも、転職先が決まったときなど、極めて個人的なことで憶測や噂が流れ始めると、どうしても感情的に委縮してしまうんです。ただ「嫌われているんだろうな」と思うしかありませんでした。

私に会いに来た人が「あなたは人間の形をしたSM」と言うことがありました。転職するときもそう言われました。すごく驚いたし、信じられない気持ちでした。SMで働いてきた時間を考えると、会社との間に埋められないギャップが常にあったのです。それは、報酬や待遇の問題ではありません。若くして役員になったのに、なぜ辞めたのかと聞かれますが、役員になったことは、正直言って、私の人生において特に意味のある出来事ではなかったんです。役員という肩書きよりも、自分がやっている仕事の方がはるかに重要でした。私は、組織に対する義務感から無条件に忠誠心を発揮するような人間ではありません。むしろ、人と人との間にある純粋な忠誠心を大切にしてきたと言った方が正しいと思います。同じ組織の人間同士であれば、個人的な忠誠心は絶対に必要なものです。この2つは全く違う概念です。プロジェクトに関しては、個人的な忠誠心を持っていたように思います。とにかく、転職はよくあることかもしれませんが、結局はいろいろな問題があって、心が重くなるばかりでした。どこへ行っても肩身の狭い思いをしました。

だからこのインタビューの反響を見て、とても複雑な気持ちになりました。それは、自分が望むような反応が得られたからではなく、ある程度共感してもらえた、理解してもらえたと感じたからです。私を理解しようとしてくれた皆さんに感謝しつつ、次のパートを楽しみに待っていました。このインタビューで自分の中で変わったことを挙げるとすれば、後編で少しリラックスできたと思ったことと、一度切れたと思っていたつながりが、実はコミュニケーションのためのチャンネルが開いているのだという希望の光が見えたことでしょうか。この分野でのプロデューサーと消費者の関係は、当時の私には妙によそよそしく感じられました。その距離感が嫌だったのかもしれません。私は心を込めて物づくりをしているので、それを疑われるのが嫌だったんです。また、消費者の声を聞き、意見を吸い上げることは私の仕事の基本ですが、近くにいないと聞きようがない。以前は自分から言い出せるような立場ではなかったのですが、今はちょっと違いますね。かなりストレートに言っています。こういう話を今までしなかったのに、今になって打ち明けるのは、今までの苦労を表現するためではなく、もっと自分の本音を打ち明けたいからです。過去を知らずして、今を正面から見つめることは難しい。個人的には、まず消費者に誠意をもって接すれば、以前より少しは消費者とつながれるのではないか、という内心思っていたことが確認できたことが励みになっています。結局、双方向であることが大事ですね。

Q.そんな中で変わったこと、変わらないことはありますか?

いろいろあっても、誤解や憶測など、変わらないものはあるかもしれませんね。人を憎もうとすると、事実がどうでもよくなり、その人のすべてが憎しみの対象になってしまうものなんだと思います。共感のキャパシティは人それぞれです。だから、私が本当に変わってほしいと思うのは、すべての偏見がなくなることです。私は完璧主義者なので、頭の中が考え事でいっぱいになってしまい、疲れてしまうんです。私は何事にも全力で取り組むタイプだから、自分の仕事に全力を注ぎ、自分の意図を理解してもらえるように努力し、誤解のないように一生懸命伝えたいと思っています。仕事に対する固定観念は人それぞれで、私は誰もが思い浮かべるようなステレオタイプのディレクターやCEOとは少し違うかもしれません。私に興味を持たれた方は、「エグゼクティブとはこういうものだ」と決めつけず、じっくりと私の仕事ぶりを見ていただければと思います。視野が狭いと何も見えてきません。命がけで過激なことに挑戦する人なんて、そうそういないでしょう。私は楽な道を選ぶこともできるけど、今は誰も通ったことのない道を、疲れるのを承知で旅しているんです。でも、それは私の個人的な選択なので、誰かにそれを理解しようとするのは無理な話です。でも、当然ながら、少し気持ちをほどいてもらえたら嬉しいですね。ちょっとでも軽くなってくれたら。

みなさんが、私に対する期待を話すとき、ほとんどの人がピンクテープのことを持ち出します。でも、新作が似すぎていたら焼き直しだと言われるし、大きく違っていたら期待はずれだと言われるのは目に見えている。そういう意味で、これまで以上に慎重な姿勢で取り組んでいます。雷雨の中、雨粒をすべてよけて、濡れずに目的地に到着するような感覚です(笑)。自分で会社を経営していると、新しいチャレンジがどんどん出てきます。どんな会社でも利益を出すことが第一ですから、これからもいろいろなジレンマがあるかもしれませんが、少なくとも私自身は、良心的に判断することを第一に考えています。挑戦を美しいもの、意味のあるものとして捉えている人たちには、無用な誤解や憶測を排除し、信念を持って取り組んでほしいと思います。

Q"ミン・ヘジンのことをどれくらい知っていますか?"と聞かれたら、あなたを知っている人は何と答えますか?一般の人はどうでしょうか?

私は特別な人間ではないので、私のことをすべて知ってもらおうなんて全く思いません。でも、社長である私のことを少しでもファンのみなさんに理解してもらえば、経営もスムーズにいくだろうと思ったんです。最近は特に。ということで、私としては前代未聞のロングインタビューに応じました。私なりにファンの皆さんに近づけるよう、いろいろと努力しているつもりです。でも、こういう正直なインタビューでも、逆に歪曲されてゴシップにつながる可能性があるなとも思っています。言いたいことがたくさんあるから、抜粋されて拡散され、そして歪曲される可能性もあります。それでも、やらなければ誤解が生じる可能性があるので、「どうせ噂されるなら、正直に話したほうがいい」と思って先手を打ったんです。普通、会社のリーダーや社長に対して、人は勝手な思い込みをしますよね?でも、ご存知のように、世代や仕事、肩書きでやみくもにひとくくりにして、そう判断するのは意味がありません。人それぞれです。

人々は私たちの音楽を心配しているようです。私がアートディレクターだから。それは時代遅れの考え方なのは言うまでもありません。私がそれを語らないからかもしれません。アートディレクションの面だけに限定しているつもりはなかったんです。映像以外の面でもできる限りのことをしようとしてきました。前の職場では、曲の選定や方向性についても、定期的に意見を言っていました。アルバム名を変えてもらったこともありますし、一度意見を言ったことで珍しくスタッフ投票が行われ、リードシングルの変更につながったこともありました。10 Corso Comoとコラボしたコンピレーションアルバムを出すのも、私のアイデアで、何人かのDJとコラボして出したんです。2013年ですね。音楽とは無縁のビジネスマンや経営者からスタートしたプロデューサーがアルバムを作るという歴史はすでに長いんです。2022年にそういう考え方の人が存在することにいつも驚かされます。

Q.確かに社会にはそういった考え方があると思います。あなたが作る音楽がより一層気になってきました。

コンセプトやデザインを見て、多くの人がときめいてくれると思います。私が独立したレーベルを立ち上げ、すべての決定権を持ちたいと思ったのは、制作に関して言えば、どの分野も互いにリンクしており、どの分野がより重要ということはないからです。音楽だけでなく、さまざまな分野で新しいことを提案していきたいと思っていました。嬉しいのは、メンバーが私たちの音楽をすごく気に入ってくれていることです。自分たちの曲だと言わずに聴いていたら、そう言われたんです。最後に自分たちの曲だと明かしたら、みんな拍手して歓声をあげてくれました。ADORチーム全体もそうでした。でも、当たり前ですが、私たちが好きだからといって、みんながそうだとは限りません。何が流行るかは世の中に出さないとわからない。だから自分が一番やりたいと思うことをやるしかないと思っています。やってみないとわからないから。私も過去に、音楽に対するフィーリングが合わず、作品を作るのに苦労したことがあります。好きな音楽で仕事をすることは、それだけで楽しいことですから、みんなが好きな音楽で仕事をして、みんなが満足できるものを作ることが大切です。特にアートワークを作る人は、もともと音楽や音に敏感で影響されやすいので、これまでも良い曲の雰囲気を際立たせるためにティーザー映像や予告編を作ってきました。SHINeeのティザー「Odd-View」シリーズがその例です。良いアートワークと良い音楽が組み合わさると、さらに大きな感動が生まれます。音楽が一番大事ということではなく、すべてのパーツが揃ったときに、その美しいフィーリングが最大限の力を発揮するのです。だから、少し離れたところにあるビジネス面も重要なんです。

Q.そういえば、ブランディングのプレゼンをされたことがありますね(HYBE:NEW BRAND PRESENTATION)。ありふれたプロジェクトに、自分なりのアプローチをしているように見えます。企業のプレゼンなのに、とても新鮮に感じました。

「HYBE:新ブランド発表会」は、最初に企画書を書いて台本を練ったとき、はじめてのフォーマットだったため、完成品を見るまで心配されました。完成するまで企画者の頭の中では設計図としてしか存在しないので、人の理解を得るには限界があることは理解しています。その説得も、今では必要なことだと受け止めています。もう当たり前のことなんですけどね(笑)。プレゼン当日まで、チームのディレクターのキム・イェミンや副社長のシン・ドンフンと共に、毎晩寝ずに準備をしました。一番嬉しかったのは、社外で関わったスタッフが"僕はなんでこんなに他社のプレゼンに夢中なんだ "と話していたことです。標準的な企業のプレゼンはつまらないものです。誰も期待していないことで人を喜ばせるのは、とても意義のあることだと思いました。しかし、今まで作ったことのないものを作るには、相手を説得することがいかに難しいかを改めて痛感しました。その難しさを乗り越えて、既存の期待を打ち破れば、新しい可能性が見えてくるし、その喜びがまた仕事のモチベーションになる。私は、面白いアイデアで人を驚かせたいという気持ちが自然と出てくるのだと思います。そして、ADORのガールズグループでも、それをもう一度実現させたいですね。

Q.インタビュー全体を通して、チームへの信頼感が伝わってきます。プライベートでも連絡を取り合うほど仲の良い職場は珍しいと思いますどのようにして人と仲良くなるのでしょうか?あなたにとって友情とは何ですか?

私たちのチームのディレクターであるキム・イェミンについて話したいと思います。彼女は個人的な意見をあまり言いたがらないので、このインタビューでこんなことを言ったと知ったら、間違いなく口うるさく言われるでしょうね(笑)。彼女は、私が以前勤めていた会社から転職してきたので、ずっと一緒に仕事をしています。世界観や仕事に対する価値観が似ているんです。大きなプロジェクトを何度も一緒にやってきました。EXOのパスコード・プロジェクトでも、彼女はかなりの貢献をしています。このプロジェクトは、私たち2人を含む3人のメンバーでタスクフォースを立ち上げて運営していました。パスコードのプロジェクトも、f(x)のアートフィルムの仕事と似たようなケースでした。当時、戦略的に必要だと判断し、自分で進めました。時々、社外の人が読み違えて、大勢のスタッフで行ったと勘違いしている人がいますが、それは間違いです。プロジェクトの人員の多さと仕事の質は、必ずしも比例しません。大切なのは、与えられた時間の中で、鋭敏な理解力と折れない集中力を発揮することです。私たちは膨大な数のプロジェクトを一緒にこなしてきました。彼女は仕事熱心な優秀なディレクターで、私と一緒になって悶々とした時間を過ごしていました。苦労を重ねるうちに、自然と友情が芽生えたのでしょう。

ミュージックビデオのディレクターや他のスタッフとも、そうやって仲良くなったことが何度もあります。私は家庭的な性格で、あまり社交的ではありませんし、仕事一筋で生きてきたので、必然的にそうなったのかもしれません。副社長のシン・ドンフンさんは、人間的なモラルの塊のような方です(笑)。私が悩んでいるときに、まるで精神科医のように親身になって相談にのってくれました(笑)。ADORのメンバーには本当に感謝していますし、支えてくれた友人たちにも感謝しています。これを読んで、"私のことかな?"と思っている人たちにも当てはまると思います(笑)。この場を借りて、心からお礼を申し上げます。誰だって好きで苦労しているわけではありません。でも、その苦労を一緒に乗り越えたとき、人間関係の進展というご褒美があるんです。将来、ADORのガールズグループのメンバーとも、このような友情を分かち合うことができるかもしれませんね。

Q.ミンさんのお宅にお邪魔したときに「The Girl from Ipanema」をずっと聞かれていたので、それ以来、ずっと聞いています。表面的にはK-POPとは似ても似つかない音楽を聴かれていることが多いようですね。今、気になっているのは、仕事とどれくらい好みが違うのかということです。

私みたいな人がもっと増えたら、メインストリームのマーケットが面白くなるんじゃないですか?枠にとらわれない発想の人が増えれば、業界も少しずつ進化していくのでしょうね。ADORのガールズグループの一番若いメンバーは、私が聴く昔の曲をよく知らないのに気に入ってくれています。私は、"このスタイルがいいとか "この方法しかだめだ"といった話を聞くと、ちょっとモヤモヤするんです。そんな方程式があったら、みんなが成功しているはずです。私は、作品をより楽しむために、無意識に自分の好みを投影しているのだと思います。自分が好きで聴いているもの、ハマっているものを人に紹介したい。ポップカルチャーを作る人間として、その接点は常に考えています。世の中にはいい音楽がたくさんあって、その良さは決してひとつのスタイルに縛られるものではないと思うんです。だから、そういう多様性を紹介したいんです。そう考えると、私は音楽プロデューサーを生業としているわけではないので、スタンダードなスタイルを超えた多様な音楽スタイルを選ぶことができそうです。一度好きになったものは、一生好きです。ADORのエグゼクティブ・ミュージック・プロデューサーは、私が本当に信頼し、保証できる人たちだから選びました。一緒に頑張っています。私は臆病で傷つきやすい反面、好奇心旺盛で無鉄砲なところがあるので、誰もやっていないからこそ挑戦していることがあります。いろいろな良いものを提案できるように頑張ります。

Q.Instagramのコメントから察するに、多くの人がミンさんのご自宅にとても興味を持たれているようですね。住むことと働くことが共存する場所として、家についてどのような考えをお持ちですか?

自分の生き方が決して典型的ではないことに、かなり遅れて気づかされました。誤解を恐れずに言えば、私は「変な人」のために「変な人」になるタイプではありません。そんなの耐えられない。職場や仕事、他人に対する態度もそうです。家も同じだったと思います。投資として使うよりも、自分が楽しくになれる場所にしたかったんです。どうせ床から天井まで直すのだから、最初から高い家を探す必要はない。1年かけてゆっくり手を入れながら、空き家にしておきました。今思えば、この場所に住み始めてすでに12年経ちました。友人だけでなく、チームメイトも遊びに来たり、仕事をしに来たりと、気に入ってくれているようです。私も本当に楽しい。この家に来ると、みんな同じことを言うんですよ。BeAttitudeのみなさんも仰ってくださっていましたね。それで皆さん、夜遅くまで話し込んでいたんですね(笑)。HYBEの新オフィスを設計する際にも、人が居たくなるような空間作りを意識しました。心から「この会社に入ってよかった」と思ってもらえるようにデザインしたつもりです。そんなこんなで、信じられないくらい忙しく、もう1年も経ってしまったんだなあと思います。

Q.コンテンツクリエイターとして、"いいコンテンツ"に出会うには、センスが必要だと感じています。ミンさんは幼少期や10代の頃に初めて出会った "いいもの"を思い出せますか?音楽でも本でも何でも。

自分の好きな曲を勧めるのはたまらないですね。音楽が本当に好きなんです。音楽って、その場の雰囲気やムードを左右するものだから、好きな音楽を共有することで恋愛に発展することが多いのも納得できますよね。私が幼い頃は環境がまったく違っていたので、新しい音楽を発掘すること自体がスキルでした。私はやや早熟な子どもで、幼い頃から本や音楽、映画にどっぷりと浸かっていました。漫画はあまり読まなかったと思います。でも『ラフ』や『スラムダンク』のような名作は楽しめました。音楽を聴くときにジャンルにとらわれず、好きな感じというのがあるんです。自然とそういう音楽を聴きたくなるんだと思います。子供の頃、ラジオで聴いて気に入った曲をギリギリで録音したミックステープがあったんです。小学生の頃か中学生の頃か定かではありませんが、Antônio Carlos Jobimの「Desafinado」を初めて聴いたとき、横になって涙を流したことを今でも鮮明に覚えています。すべての楽器が分離しているかのようにコードやリズムが聞き取れ、それらが絶妙なハーモニーを奏でる幻想的な感じがたまらなく好きでした。「The Girl from Ipanema」は、私のテーマソングみたいなものです(笑)。(笑) とにかく、好きな曲は積極的に勧めたいと思います。でも、ADORのガールズグループの曲はこんな感じなんだろうと、誤解しないでくださいね。そんな簡単にヒントを与えるようなことはしないので、ご理解ください。もちろん、私の好みもある程度は伝わると思いますが、あくまで私の好みであって、ビジネスとは全く別の話です。

Q.クリエイターも、どれだけ多くの人に消費されるかというビジネス的な側面で作品の成功を測っていると思いますか?

成功の尺度は人それぞれです。同じ作品でも、測り方次第で成功にも失敗にもなります。自分で満足することが一番大事だと言われますが、誰も共感してくれないと、ただ自分で自分を慰めるだけになる可能性が高いので、気をつけたほうがいいと思います。深みや質を無視して人気や評判で成功をつかむと、何がきっかけで成功したのか妄想が膨らんでしまうので、自分の成功が本物かどうかを見極めたいなら、自己批判をするしかないでしょう。でも自己批判をすると、どうしても自分も傷ついてしまいます。忍耐なくして報酬なしということです。自分が年をとった今、それがよくわかるようになりました。結局のところ、楽しくて楽で報われるような道なんてありません。私の例を見るまでもないでしょう。私の名声や給料を見て、うらやましいと思うのは簡単かもしれませんが、何度も言うように、私は非常につらい時期を過ごしたのです。そんな中で見つけた暗闇を照らす一つの方法は、成功という概念に固執せず、それがすべてではない、成功の概念は人それぞれだから、自己満足と自己批判のバランスをとって、自分が幸せになれる方法を見つけることが重要だと認識することでした。長く、つらく、寂しい道ですが、自分なりの方法と解決策を見出すことができたとき、次のステップが見えてきたのです。次のステップは、他の誰でもない、自分にしかできないものです。それは、自分だけの次のステップを探し続けるということなのだと思います。

Q.あなたは、仕事で徹夜することが日常茶飯事で、喜びと苦しみが繰り返されるような日々を過ごしてきたのだと思います。それでも、同じ業界で、同じフィールドに立ち続けてきました。自分なりの哲学を持たずに、そのすべてを乗り切れる人はいないと思います。仕事に対する哲学をお聞かせください。あと、何でこんなに長く続けているのかも。

私はいつも友人や同僚に、"うぅ、なんでこんなに頑張ってるんだろう?"と言っています(笑)。そう自問自答することが多いのですが、実は、人生にそれほど求めているものはないんです。24時間生きているカゲロウのようなものだと思うこともあります。「いつかこれを成し遂げる」「こんな人間になりたい」といった具体体的なものはありません。ただ、その時々の短期的な目標を達成することが最優先です。それを達成する頃には、どうせそれに合わせてすべてが変わっているから、また新しい目標を立てればいい。期待を追い求めるような感じです。希望ではなく、"これを達成したら、私の人生はどう変わるんだろう?"と想像するんです。好奇心があるからこそ、続けられるんだと思います。私の人生は一種のパフォーマンス・アートのようなものだと思うことがあります。自分の人生を題材にして、自分で考えた実験をしているような感じです。それは、私が仕事を愛しているからではなく、そういうキャラクターを演じているからかもしれません。とにかく、仕事をしなければ、人生は退屈で空虚なものになる。その過程で必然的に生まれる意外性に楽しみを見出しているのだと思います。

それとは別に、私は生まれつきの責任感の強さがあるのでしょう。その2つが見事に合致しているから、私をよく知らない人からは仕事人間に見られるのでしょうが、実は仕事そのものはそれほど偉くもないし、好きでもないし、誇れるものでもないんです。ただ、先ほども言ったように、私はこの分野で長く一生懸命働いてきたので、少なくとも個人的にはこの分野に忠誠を感じています。変な言い方かもしれませんが、私は自分の仕事に対して純粋な忠誠心を感じているのです。また、責任感も、仕事から得たものではなく、生まれつきのものなので、自然と強い職業倫理感を身につけることができました。この2つの概念は、表裏一体だと思うんです。表面的には似たような表現になるかもしれませんが、仕事が好きというのとは違うんです。とにかく、新しいポジションの重みが違うので、今まで模擬試験だったものが、本番の試験になったような気がします。少し緊張しています。読んでくださる方の楽しみのため、自分の楽しみのため、そして関係者の方々の人生がこれからもエキサイティングであり続けるために、この試験に余裕を持って合格できることを心から願っています。

(終了)


6.出典


[CUVISMMAG.COM] 민희진 - SM아트디렉터 /민희진,큐비즘매거진,SM아트디렉터,인터뷰,CUVISM,SM엔터테인먼트,샤이니,소녀시대,EXO,f(x),에프엑스,엑소,비주얼 디렉터


Min Hee-jin mentioned the reason why she moved to HYBE one year after becoming SM’s director, “I was too exhausted”


K-POPのデザイン1: ミンヒジン

SM Entertainment 各アルバムのクレジットなど

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