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大人の安全基地を作りたい

今年も農家さんで働かせていただいていましたが、今月シーズンオフになりました。少し疲れたのでしばらくゆっくりしようと思っています。せっかくなので、この機会に今想っていることをまとめてみようと思います。

心に余裕を持つことで良い関係が築けた

福祉の仕事を辞めて2年、農家で働くようになって1年が経ちました。今では農作業を始めた頃のような達成感を感じることは少なくなっていますが、以前のような誰とも会いたくないという気持ちは薄れて、少し元気が出てきたように感じます。

昨年のことですが、面白い(考えさせられた)出来事がありました。一日農業バイトをしていた頃の話です。初めて行く農家さんでの仕事の日、集合時間が朝8時だったため、いつもよりも早起きをしました。車で50分程かけて、現地に到着しましたが、そこで言われたことは「人数調整にミスがあり、今日の仕事をなしにして欲しい」でした。

いつもであれば、その場では我慢しつつも、帰りの車内で怒りを爆発させていたと思います。ところが、その時は感情が乱れることはありませんでした。すぐに他のことをしようと頭を切り換えていました。結果として、たまたま立ち寄った場所に登山口があり、登山を満喫して帰ることができました。

何が面白かったかというと、その農家さんとはその後仕事をいただき、今年もじゃがいも収穫の繁忙期に呼ばれ、更には来年も声をかけてもらえています。少し心に余裕が出てきたと思えた出来事でした。

ストレスになり得る場面でも心に余裕をもった対応ができると、良い結果が得られる確率が少し上がるのかもしれません。

心に余裕のなかった会社員時代の話

療育施設で働いていたときの私はとにかく余裕がありませんでした。子どもの発達を支援することにマニュアルはありません。いつも不安でうまくいかないことが起きると自分を責めました。休日は正解のないことに対して正解を求めて研修会に参加したり、専門書を読み漁ったり、四六時中療育のことを考えていました。何年かその生活を続けていたら、原因不明の高熱が出て入院しました。

唯一の救いは、そんな心の余裕がない状態でも、子ども達やそのご両親に怒りをぶつけなかったことです。心の余裕のない人間は、自分の思い通りにならないような結果が生じたとき、誰(何)かに当たるか、自分を責めるのではないかと思います。私の場合は、「私なんかが療育をしてはいけない」と結論づけてしまいました。心に余裕のない私が子ども達の心を育む仕事をしていたことが何か違和感を覚えてなりません。

私だけではなく、心に余裕のない人が身近に大勢いるのではないでしょうか。心に余裕のない人が作るコミュニティは歪です。支配しようとしてきたり、すぐに怒鳴ったり、体罰を与えたり。私には社会適応がちょっと変わった社会に適応できるようにすることに見えて仕方がありません。

何が言いたいかというと、当事者を変えようとする前に環境が変わる必要があるのではないかと思います。環境は周りの人も環境に入るのではないかと私は思います。自分にも相手にも思いやれる社会を作ることが生きづらい人が減る第一歩なのかもしれません。

大人の安全基地を作りたい

少し元気が出てきたことでやってみたいことがいくつかできました。その一つが「困っている人や生きづらい人の居場所を作りたい」です。今の忙しない社会では、発達障害やうつ病等の精神疾患など診断がつかない人でも「生きづらい」「困っている」という人は多いのではないでしょうか。私もその一人でした。

生きづらいと感じて病院を受診しても、診断がつかず、病院との関係が切れてしまう。上手くいかないことが起きると結局個人の努力の責任にされてしまう。頑張っているのにもかかわらず、他人から「もっと頑張れ」と言われ、自分でも「もっと頑張んなきゃ」と思ってしまったりする。重度なうつ症状が出ても、また診断がつかなかったらどうしようと不安になってしまう人もいるかもしれない。診断がつかないと動けない社会は変えていかないといけないと思います。

本当に大切なことは、診断がついている・ついていないということではなくて、生きづらいと思っている○○さんという人がいるということ。そして、困っている人が素直に伝えられる人や居場所が必要な気がしてなりません。

本当の自分を出せる場所、安心できる場所、居心地のよい場所。大人にも乳幼児と両親との関係のような安全基地を作れればいいなと思います。

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