人は変われるのかもしれない

『嫌われる勇気』を読んだ。要約することは苦手、というよりも内容をほとんど覚えていないため、今感じたことを率直に記したいと思う。

読み終わった後は鳥肌がしばらく止まらなかった。人は変われるのかもしれないという気持ちにしてくれた。

会話形式でアドラー心理学についてやりとりしていくのだが、登場した人物が自分かと疑うほど考え方が似ていた。劣等感にまみれている。また、居場所や自己犠牲、本当の自分、他者や理想の自分との比較、すべての人を敵と見なしている話など自分がこうかもしれないとモヤっと思っていることが次々と話題に出てきたことに驚愕したとともに安堵もした。

私は仕事を辞めたことや長い間ニートをしていることで自分の存在意義を見失っていた。ニートの間は、積極的に雪かきをしていたが、感謝されることがあってもそれに対して嬉しいと思ったことは一度もなかった。むしろ、なんで自分だけがやらないといけないのかと思い、「誰か手伝えよ!」と心の中で不平不満を漏らしていた。

会社員時代も同様だ。ゴミ捨てや雪かきなど誰がしてもいい仕事に対して、気付いてしまい、イライラしながら何ヶ月も行っていた。結果として感覚過敏の自分に嫌悪感を抱いていた。

アドラー心理学では、自分は役に立っているということを実感することが大切とのことだ。私は「人の役に立ちたい」と思っていたものの、「自分が誰かの役に立っている」と思ったことは一度もない。それでは自分はダメな人間と思うことも無理はない。

先ほどの話に戻るが、雪かきをしたことに対して「役に立っている」と捉え方を変えただけでも自分の存在価値が変わることに気付かされた。今まで人の役に立つことをしてきていない訳ではなく、ただ自分が役に立っていると捉えることができなかったのだ。

そう捉えると感覚過敏で良かったと肯定的に捉えられるかもしれない。感覚過敏は長所にもなりえるということだ。

自分でも役に立てるかもしれないとわかった今、何か手伝いたい気持ちでいっぱいである。まずは明日からゴミ出しをしようと思う。

まだ、自分が変わった・幸福に思えたとは言えないので、この本をおすすめはしない。しかし、きっかけをくれた本なので、いつか自分が変わり、おすすめできる日が来ればよいと思う。

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