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はじまらなかった日々
LINEの通知って、やけに生々しい。画面の上から覗き込むように、突然現れる予想もしなかった名前。たとえばそれがお風呂上がりのだらしない格好でスマホをいじっている時なんかだと、見られているわけでもないのにひどくどきどきして恥ずかしくなることがある。通知を開き、たった数文字を何度かなぞって、最適解を探す。
それが、途端に「どうでもよく」なった。
当然、なにか返事をするつもりでトークルームを開いた。けれど、急に頭がまっさらになって、そのままスマホを放り投げた。
これ、返さなくても生きていけるな。
意味ありげなひとことに、一喜一憂しなくて済むし。興味を失くすのってこんなに一瞬のことなんだ。あの当時は確かに好きだったし、いまでもあの頃の香水なんかを嗅ぐといろんな記憶が蘇ってふしぎな気持ちになる。美術館のあとのファミレスや深夜のコンビニ、雨の公園、1Kの部屋で迎えた初雪の朝、浅草の初詣、金色の夕焼け、ひとりで勝手に傷ついた記憶。こんなに事実はあるくせに、なんにも始まらなかった。それでも、たしかにほんものだったし大切な記憶であることにはやっぱり変わりない。私にとって。
たぶん、それでいい。彼がすっかりそのことを忘れてしまったって、もういいや。覚えててくれるんなら、そりゃあたしかにうれしいけど。だってもう、会うことはない。私だけが覚えていればもう十分だ。たまに記憶から取り出して、思い出し笑いして、それでいいんじゃないかな。
失くしてしまうのは、なんだかとてももったいないことのように思えた。
「記憶力いいね」と言われることが多いのは、日記をつけるのが苦手なくせに全部を覚えていたいからなんだろうな。
はじめからどうにもならない関係だったんだから、いまさらどうにかしようという気もない。なにより、今の生活をだいぶ愛しているし、これからもめちゃくちゃに愛したい。朝からしょうもない冗談を言いあえる恋人がいて、休みの日でも出かけられるような関係性の同僚がいて、最高のプランを完璧に実行してくれる友人もいる。そういう生活のなかでふと思い出すぐらいの、何度も読む本みたいな立ち位置だ。
まもなく、枇杷の木に実がなる季節だ。少年時代に、校舎の裏でこっそり食べたという禁断の果実。忘れられないし、忘れるつもりもない。変わらず愛おしいとは思うし、きっとそれでいい。どんな断片も、忘れる必要なんてないんだよ。過ぎたことは思い出しちゃいけない、悪い記憶にしなきゃいけないなんて、ただの決めつけだった。
いいことも悪いことも、全部忘れなくていい。思い出したときは、なんらかの形で記録したり、話したりもする。最高な恋人がいるのに、たとえば叶わなかった恋を歌にするのが後ろめたかったけど、そうじゃないことにやっと気づいた。もはや未練がなくったって、それはたしかな日々だったから。
そのことがわかるまでに、ひどく長い時間を要した気がする。そんなことをしているうちに、ちっとも短歌が詠めなくなっていて。これでいいのかって、いやだよそんなの。
まだ明るい時間なのに公園でビールを傾けて、最高な友人にいままで誰にも話せなかったことをするすると打ち明けたのは、お酒のせいもあったけど、前まではどれだけ飲んでたって言えないことだった。これからは、短歌にもするし絵も描くし、noteにもどんどん書くし人にも話す。そういうつもりなので、どうぞよろしくね。
はじまらない物語なら終わりさえなくてビールでながした火傷
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