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映画日記#13 『天国にちがいない』

今日はDVDでパレスチナ映画『天国にちがいない』を鑑賞した。
パレスチナの名匠エリア・スレイマン監督が自ら主演を務めた紀行風映画で、2019年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞と国際批評家連盟賞をW受賞した作品だ。

スレイマン監督は新作映画の企画を売り込むため、故郷であるイスラエルのナザレからパリ、ニューヨークへと旅に出る。パリではおしゃれな人々やルーブル美術館、ビクトール広場、ノートルダム聖堂などの美しい街並みに見ほれ、ニューヨークでは映画学校やアラブ・フォーラムに登壇者として招かれる。友人である俳優ガエル・ガルシア・ベルナルの紹介で映画会社のプロデューサーと知り合うが、新作映画の企画は断られてしまう。行く先々で故郷とは全く違う世界を目の当たりにするスレイマン監督。そんな中、思いがけず故郷との類似点を発見する。
映画.comより引用

「固定カメラの範囲内で、どのようにして登場人物たちに面白い出来事を起こさせるのか」という映画の原点を、スレイマン監督が徹底的に突き詰めたことで、極上のコメディ世界が作り上げられていた。
全編を通して、画面に映る登場人物たちのシンメトリックな動きが、全く場に合っておらず、奇妙に映った。
しかし、劇中のスレイマン監督の視線を通して目の前の出来事(映像)を客観的に捉えたときに、なぜだか愉快な気持ちが込み上げてきて、気がつけばひたすら笑っていた。

なるほど、映画におけるコメディは、登場人物がカメラフレーム内で映し出される光景にそぐわない動きをしたときに成立するのか。
映画におけるコメディの成立に言葉は要らない。背景と、見つめる人と、動く人がいれば、それだけでコメディは成立する。
映画史がサイレントから始まったことから分かるように、映画本来の面白さとは、人の動きにあるのだと、この作品を通して学ぶことができた。スレイマン監督がチャップリンの再来と呼ばれる所以を感じ取れた気がする。
主人公が視線と眉の動きだけでリアクションを取っているのも見事で、コメディにおいて過剰でない受け手のリアクションも重要なのだと思った。

一方で、ただのコメディ作品ではない。
パレスチナ出身のスレイマン監督が、パレスチナ以外の世界をどのように見て、感じているのかの一端を垣間見ているようでもあった。
パレスチナ以外でも、争い、人種差別、政府からの抑圧、故郷の喪失は起きているのだと、端緒から感じさせられた。
劇中に「パレスチナ人は忘れぬために酒を飲む」という胸に残るセリフが出てきたが、この言葉に、監督の本音が詰まっていたのではないかと思った。

派手な展開や物語の起伏は少ないが、映画という芸術のシンプルな力強さを感じさせられる名作だった。より多くの日本人に届いて欲しい作品だ。

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