岡田斗司夫「僕たちの洗脳社会」感想文

ついさっき、ツイッターで「コロナに罹患すると軽度であっても脳の嗅覚と記憶に関する灰白質が減少する」という説が流れてきた。僕は2022年1月頃に感染し、一瞬だが嗅覚をがっつり喪失している。ワクチンのお陰か一か月ほどで嗅覚は回復した一方、ブレインフォグは未だ残っている気がしてならない。ただ、僕は現在留学中で英語による思考を優先させているため、思考力の低下は言語の回路の混線によるものな気もしている。どちらにせよメインウェポンである日本語の思考力低下は嘆かわしいことなので、「オタキング」こと岡田斗司夫氏の著作を読んでリハビリすることを思いついた。なぜこの本かというと手元に他の日本語の本が無いからである。

冒頭部分は以前読んでいたので残りは100ページ。途中休憩をはさみつつ3時間ほどかかったと思う。情報を拾うペースは落ちていないが、集中力を持続させるのが難しかった。ペースに関しては著者は僕の考えに限りなく近いので理解するにあたり負担が少なかったこともあるだろう。

本作は1998年、つまり僕が生まれた年に発行されたものだ。今から25年前に書かれたにも関わらず新鮮に感じる内容から彼の先見の明を感じ取った。そして占いなんかよりよっぽど、Z世代である僕の内面を正確に言い当てている気がした。僕と彼には「オタク」「ENTP」という共通点があるので視座が近いというのもあるのかもしれない。今までも自分なりに物事を考え定義づけしてきたつもりだったが、彼は僕なんかよりより広い視野で、より多くの例を以て論を展開していた。

最近論文をヒイヒイ言いながら書いている身として本作をクリティカルにみるならば、参考文献が一つも無い点が気になった。ENTPは性格上、幅広い情報のエッセンスを抽出し繋いで体系立てることは得意なのだが、それを示す根拠をいちいち残すような根気良さは無いのだ。その他にも、似たような主張が著作全体にちりばめられ不規則に反復しており全体の構造が見えにくいことも気になった。

本文章では岡田氏が人類史に対する解釈を圧縮した本作を、ENTPの僕が更に圧縮し自己解釈も加えてみたいと思う。これができたらブレインフォグ卒業と言っても過言ではないだろう。

本作は人類史を「狩猟採集時代」「農耕時代」「中世」「産業革命・近代」と大きく4つに分け、各時代の特徴と変遷(パラダイムシフト)の傾向を分析し、「これから」どうなっていくかを予想するというものだ。まず前提として人間は「たくさんある資源を贅沢に使い、少ない資源は節約して使う」という習性がある。手に入る資源の増加が見込め、モノが豊かな時代は人間は働き、モノを得ようとする。物質的に貧しい時代は精神を豊かにする活動が持て囃される。そしてパラダイムシフトを起こす技術革新とは従来の特権を平民に開放するものである。

「狩猟採集時代」は食料面ではその日暮らしでシビアだった一方、やるべきことは少なく「食べ物不足、時間余り」のライフスタイルだった。その結果、アミニズム、呪術、抽象絵画といったモノを消費しない精神活動が発達した。

「農耕時代」では食料の安定生産と開拓による食料の増加が見込まれ、科学の発展により国は強く大きくなった。人々がよく働いた結果「食べ物余り、時間不足」の時代になった。農耕という技術革新により「食の保証」という特権が平民に解放された。

「中世」は各国が拡大・発展の限界に達した結果、他国を侵略して資源を得るよりも心の豊かさのために宗教を充実させた時代、つまり「モノ不足、時間余り」の再来だった。宗教はモノ無しで社会の階層を安定させることができたため政治に利用された。良く言えば宗教により「身分の安定」が平民に解放された。

「産業革命・近代」は新大陸の発見および工業の発達により「モノ余り、時間不足」が再度訪れた時代だ。身分を縛る宗教に代わり豊かさ、地位、社会さえも変える力を持つ科学や学問が人々の拠り所となった。個人の自我が尊重され、成功も失敗も自己責任となった。努力し金さえあれば何でも手に入るという形で「自由」と「豊かさ」が平民に解放された。

「これから」はあらゆる資源の有限性が強く意識される一方、情報化によりあらゆるメディアから無限に情報を得られるようになる。つまり「モノ不足、時間余り+情報余り」の時代。人々は資源を浪費せず情報で自分を満たすようになる。また「産業革命・近代」に発展した「個人の自我」を社会的文脈で確立させることをあきらめ、その代わり自身の気持ちを最優先できるよう細分化されたコミュニティに属したり小規模な非営利活動に力を入れるようになる。「情報発信」が万人に解放され誰もが自分の対外イメージを高めることにより他者からのサポートを得ることを目指す、それこそが「自由洗脳競争」なのだ。

僕が主に本書から受け取ったメッセージは以上だ。少し要約しすぎただろうか。最後まで読んでタイトルを振り返ると、「洗脳」という強烈な言葉を使用しているが実際はそんな大仰な事はなく、情報化社会における情報交換は互いに影響を及ぼし合ってるから実質洗脳だよね、というくらいの意味合いだった。

さて、ここからは僕の壮大な自分語りと絡めて書き進めていく。本書の内容を知りたいだけならここまでで十分であろう。

「これから」の部分はまさに僕らZ世代を書いたものであるが、あまりにも僕個人に当てはまっている。

まず、僕は以前から自身を「情報の密度が高いものが好き」と認識していた。本や電子端末に限らず、鉱物標本(不均一な見た目や元素組成)、アンティーク(使用可能性や歴史)、変わった素材でできた雑貨(由来や手触り)etc… これは本書にある「(この時代では)ゲームソフト、CG作品、遊園地のように情報量の多い商品が好まれる」という内容と一致している。

次に、僕は人生の意味を「精神的成長」に置いている。知識や技術を増やし、究極的には全知全能を目指しているようだ。いつか自身の武器になることは自覚しつつも利用を前提とした習得ではなく、知識欲の赴くまま行動した結果なのである。本書では「彼らの目的は『自分を豊かにすること』」という形で表現されている。

また、僕が最重視するものは「自由」であり、自分の自由を守るために相手の自由も尊重するという流星街スタンスだ。本書では「自分のワガママを通す代わりに他人のワガママを認める」との表記があり、強制的な「洗脳」は重罪に値することが書かれていた。

最後に、僕は恋愛ができない代わりに親友が数人いる。どの人も僕と共通の趣味を持つ上に、内面をすべてさらけ出すことが可能なくらい高い信頼を寄せる仲間たちだ。本書では結婚システムの崩壊について言及し、各人が複数分野に関心を持ちそれぞれのコミュニティで立場も異なる、という個人が至極多面的な時代に一人と価値観を100%合わせることはできないとあった。

上記のように、僕が今まで内省を通して自分の中に発見してきたコアのようなものを、外部の人間が25年前にやすやすと言い当ててしまっていたことに衝撃を受けた。僕は自分の心の中を覗くのが好きなナルシストなので他人より自分自身を把握できている自信があった。思考の結果見つけたコアたちを、先進的でオリジナルなものだと信じて疑わなかった。しかし実際は、時代の風を受けて万人が無意識に持つような普遍的な価値観の塊だったのだ。あえて良いように捉えるならば、僕が今まであまり生きづらさを感じてこなかったのは運よくこの時代に最適化された思考を持てていたためなのかもしれない。

岡田氏にこれほどの先見の明があったのは、彼がオタクの第一人者であったことと関連していると見る。「これから」で描写されていた各人の興味の細分化はまさに民衆のオタク化と読み替えることができる。彼自身がオタクだったからこそ社会が自身の方向に流れていることを察知できたのではないだろうか。もしくは、僕もオタクだから彼の意見に賛同できるだけで、非オタクから見ればこの新しい時代の流れは全く違う解釈ができるのかもしれない。

本書ではこれからの企業は「洗脳力」、つまりどれだけ消費者に良いイメージを持たせて消費による応援をしてもらうかが肝になるとあった。僕の専門は有機農業なのだが、有機農業はまさにこのシステムで成り立っている。欧州ではCSA(community supported agriculture)という有機農家から直接農産物を買うことで持続的に支援しようという動きがあり、そもそも割高な有機農産物を買うのは環境への配慮だという人が多い。僕自身将来有機農園を持ちたいと考えているが、経営するにあたり作物生産にまつわるストーリーを説明することで付加価値をつけることは必須だと考える。

「洗脳力」=良いイメージが今後経済的に重要になってくるのであれば日本は国際社会で有利な立場に立てると考えられる。欧州に住んでいると日本の文化が外からどれだけ魅力的に見られているか実感する。出身や母語に関わらず多くの同期がポケモンを通ってるように、日本のアニメ・ゲーム産業は世界中の人々の心に影響を及ぼしている。僕は日本の衰退を憂いてきたが、日本のもつ良いイメージは国を生かす命綱になるのではないかと希望が持てた。

情報化社会に関して本書で不足している視点を提案するなら、情報発信は確かに洗脳ではあるが、受け取り手次第でその影響は大きく異なるという点を挙げたい。特に僕らデジタルネイティブ世代は情報リテラシーについて相応の教育を受けてきた。本や論文など信用できる一次ソースをあたる、複数の情報を集めて比較する、怪しげな情報は過信しない、等に気を配れば「洗脳」への遭遇率が昔より高くても「洗脳」の影響を受ける頻度はそこまで上がらないと僕は考える。

さて、岡田氏の先見の明を堪能したところで、僕も今後のパラダイムシフトの展開を考えてみようと思う。「これから」の予想、つまりちょうど今が「モノ不足、時間余り+情報余り」の時代だとすると法則的に次の時代は「モノ余り、時間不足+??」になるだろう。具体的には…
宇宙開発が進み新たな開拓地が地球外に見つかる?
AI余りによりAIを活用したサービスの開発や管理に忙しくなる?
神がかった技術により環境問題が一斉に解決して再度地球上での開拓が可能になる?
……どれもありきたりだ、僕に先見の明はないみたいだ。
そもそも若者がアニメやyoutubeを倍速で流し見ているところから考えると現代は「モノ余り、時間不足」と言えるのかもしれない。モノの定義が実体を失った「情報」にとって替わっただけで。

最後に。noteを書く前提で本書を読んでいる最中、既に以前書いた気がする強烈なデジャヴに襲われた。下書きも、言及しているツイートもなかった。以前冒頭だけ読んで強く共感して、その時にnote書くところまで脳内シミュレーションしてたのだろうか。そのくらい、僕の心と一致している本なのだ。以前ベストセラーとされている新書を読んだ時に何箇所もダウトと口走りたくなった経験から、僕はもう本を100%信用できなくなっている。その中で、この本は文献が無かったり著者がyoutuberのおじさんであったりで十分胡散臭いのだが、理解し納得できた。きっと、さらっと読める本の中ではマシな部類なのだと思う。

2023.03.28 追記
昨日深夜にほぼ完成して勢いで投稿してしまったけど、今日読み返したら色々気になりすぎたので加筆・修正しました。これまでに読んでくださった方々、失礼しました。
ブレインフォグ残ってないぞ!っていうことを証明したくて頭良さげな文章を意識したけど、思考の深さは以前と比べて退化していなかっただろうか。逆に英語という表現が明確な言語に触れたことで以前より具体的な文章になっていたりしないだろうか。推敲に時間が掛かったのはこだわりが強くなったからか脳が死んでるからなのか…未来で再度読み返した自分に判断は任せようと思う。

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