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生きててよかった

どう死ぬのではなくどう生きるか。
毎日これを考え続けた修業のような1週間だった。

私は、子宮筋腫を摘出するために、開腹手術を行うことになり、入院した。
流産の原因になったかもしれない大きな子宮筋腫だ。

全身麻酔で意識を失くしてお腹を切って筋腫をくりぬいて内臓を縫い合わせ、さらに表面の縫い合わせた傷口をシールで止めてあって、
元気にシャワー浴びたりミルクレープが食べれるの冷静にすごくないですか?

科学技術万歳!!!!!
医療システムこそ人類の進化の象徴!!!!!
I love シール!!

どんなにみじめでも笑える

中学生くらいの頃は、自分の孫たちに看取られて死ぬのが本望だと信じていた。
目の前の楽しみではなく、遠い未来を見据えて、当時の私なりに物事を考えていた。

しかし今はそんなことを考えてはいない。
なぜなら、どうやって死ぬかはおそらく選べないだろうと思ったからだ。

かといって、「終活」を否定するつもりはない。
妊娠時に知った「バースプラン」という、出産のときどんな音楽を流したいとかそういう自己決定の範疇があるのにも驚いたが、なんか産むほうが楽しければいいんじゃないかと思った。(生まれるほうがどう思うかはまだわからないが…。)
同じように、「デスプラン」を考えて気が済むならそれもそれでいいと思う。

ただ、死ぬのも生まれるのと同じで、100%自己プロデュース通り実現かどうかは怪しい。だったら、その一瞬のことにこだわるよりも、その間の時間をどのように過ごすかどうかのほうが、好きなようにデザインできるかもしれない。

話は戻って、私はこの入院を経てようやく、ハムスター小屋の滑車人生から抜け出すことができたように思う。

私にとっての滑車は、「こうあらねばならぬ」という自意識だ。
そういうのが大嫌いで、そう言われないように、結婚相手も就職先もうまく選んできたけれど、最後まで自分の敵でいたのは自分だった。過去に自分を縛り付けていた言説を、長いこと取り払えないでいた。

大事なのは、そのしがらみを、恨むのではなく感謝したいくらいの気持ちでいられたこと。

それができたのは多分、たくさん余暇ができたからだ。
それまでは毎日、出来事と気持ちの処理が追い付かず、言葉として消化しきれないまま進んでいかなくてはならなかった。情報過多の現代、こうやって過ごしている人はたくさんいると思う。

それを、図書館へ行ったり積読を解体したり、新聞やナショジオを購読し、映画やドラマをみて、これまでの毎日と違うインプットができて、そこから言葉を吸収できた。
そして日記を書き始めた。自分向けだけの文章だとかなり煩雑になるので、人に読んでもらうことを意識して言葉を吐き出すようにした。

自分に向き合い続けるために一人ぼっちになる必要はないと、これまでに知っていたのもよかった。
私もコペル君にとってのおじさんのように、だれかのある時の伴走者でありたい。
それをライフワークにできたら、私は生涯幸せに暮らせるはず。

アップダウンが激しくても、向かい風で路面状況が悪くても、
ロードバイクで出かけて帰ってきて「疲れたけど楽しかった~」と思えるような毎日を送りたいです。

好きな人や物が多すぎて~~~

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