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インセルたちの想像力のなさ

最近こんな記事を読み、以前にも書いたが「人は皆自分自身が主人公の人生という劇を生きている」と改めて思った。

インセル、と呼ばれる、いわゆる非モテの人による、おもに女性を狙った無差別犯罪(大量殺人)行為がアメリカで問題になっているらしい。

インセル(Incel)というのはInvoluntary celibateの略で、「非自発的禁欲」とでも訳せようか。ようするに、付き合う相手がいないので、不本意ながら性的に禁欲を強いられている、ということだ。
世の中の女性は軽薄で愚かなので、金や権力のあるイケメンに惹かれるばかりで、自分のような風采の上がらない、社会的地位もない男は相手にされない(に違いない)。自分に魅力がないのは遺伝子の問題で、自分に責任はない。 そしてセックスは基本的人権であって、それを阻む女性や、女性の権利を声高に主張するフェミニズムの横行はインセルにとって深刻な人権侵害だ。

何という勝手な話か、と思うが、これも、インセルが自分を主役と見ていれば合点もいく。そして、漫画やドラマ、映画などの大衆向けエンターテイメントがこれを助長している気がしてならない。

成長、友情、戦いがテーマの男子向けのエンタメコンテンツ(主に少年マンガ)では、どんなに最初イマイチな主人公にも、折につけ世話を焼いてくれる可愛い(そして多くの場合、エロい)女子が傍に居る。

また、絵に描いたようなスクールカースト上位に君臨する同性ライバルが存在する。そして大概の場合、多くのモブ役と異なり、ヒロイン女子はその完璧なライバルにもなびかず、最終的には主人公を選ぶ。何故なら人間の価値は外側じゃなくて中身に宿るからだ。モブ役の人間達にはそれが理解できない(だからモブなのだ)けど、ヒロインだけはちゃんとその価値を見極められる。

こんな展開を見て、自分をインセルだと思っている人は溜飲を下げるのだろう。そして、自分の人生においてもコレと同じく、外見ではなく中身を見て自分を選んでくれる、聡明で素敵な女性が現れてくれることを期待する。

ここに有るのは、内面ならインセルで有る自分の方が優れている、という思い込みだ。

わたしはそれもまた間違いであると思う。
外見の良い人の方が内面も優れている、という事ではない。

インセル側には「外見だけだろ」と揶揄されているリア充だって、自分を主人公だと思っている、つまり内面的にも優れた人間であろうとしているのだ。人はそれぞれ、自分の中に正義を持つ。インセルたちに言わせれば価値を見極められない「モブ女」達だって自分の正義をもっている。思い込みで犯罪を犯してしまう人達には、その想像力が決定的に足りない。自分自身が主人公の世界において、自分を認めてくれない社会や女性は徹底的に見下し、排除されて然るべき存在としてしまうのは、それ自体がやはり未熟な考え方だと言わざるを得ない。

ところで、この類の思い込みに関しては女子だって無縁では無い。最近目にした少女漫画がこんなストーリーだった。

学校1のモテ男イケメンと主人公の冴えない女子は家が隣同士の幼馴染。成長するにつれ格差ができてしまった2人はいつしか話をする事もなくなり、イケメンの方にはクラス1可愛い女子の彼女がいるのだけど、実は小さな頃からイケメンはヒロインの事が好きで、彼女を振ってヒロインと付き合う、という話。

そうそう、女子だってこういう「俺だけはオマエの良いところ見てるから」的な話が大好物なのだ。(ただしイケメンに限る)
でも、インセルと違って、イケメンに恨みを持って暴行に及ぶと言う話は聞いた事がない。(これって男女の加害性の違いなんだろうな)

自分自身を主人公として人生を生きるのは構わない。しかし、隣人も、そのまた隣の他人も、それぞれが主人公として生きているのだということを忘れてはいけない、と思う。

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