落語「二口女房」江戸編

登場人物
▲ 松  ☆ さき ■ 寅  ● 徳
 
<道中>

■しかし、あの松が嫁もらうとはなあ。俺はよう、未だに信じられねえよ。
●仕方ねえだろ。俺はこの目で見たんだ。えらい別嬪と並んで歩いててよう。「おう、松、それ誰だ」っつったらニヤッと笑って「嫁だよ」って言いやがった。冗談だと思ってたら、その別嬪が、にこぉっと笑って頷いた。ありゃあ、マジで嫁さんだよ。
■……世の中は不条理だな!
●なんだよ急に。
■そうじゃねえか。松みたいに陰気でろくに働いてないやつが別嬪の嫁もらうんだぞ。真面目に働いてる俺は、あんな訳のわからねえカカアの世話してるんだぞ。理不尽な世の中だよなあ。
●今から祝いにいこうってのに、ぼやいてんじゃねえよ。
ぼちぼち、松の家だ。ああほら、見えてきた。
■どこ?どこが松の家?
●ほら、あそこの長屋の一番端、一軒だけツタでビッシリ覆われてるだろ。あれだよ。
■ほんとだ。不吉だなあ。ん?家の前でもちゃもちゃ動いてるの、あれなんだ?
●あれは、猫とカラスだよ。黒猫とカラスが、鼻緒の切れた下駄転がして遊んでんだ。
■不吉だなあ。不吉の三段重ねじゃねえか。
●おせちみたいに言うな。松、松いるか。あれ?あ、鍵はかかってねえな。
松、勝手に開けるぞー。ギイイイイ……ドオン(さながら古城の扉の音)
■何その音。日本家屋の出す音じゃねえだろ。呪われた城の門の音じゃねえか。
●いちいち喧しいなあ、もう。おーい松、いるかー?
▲おお、おまえらか、よく来たな。上がれよ。

<松の家の中>

●こないだはどうも。美人の嫁さんの顔、とっくり拝ませてもらうぞ。 
しかし松、お前、ずいぶんと痩せたんじゃねえか?
▲そうか?しばらく鏡みてねえから、よくわからねえな。
●まともにメシ食ってんのかよ。
▲食えるわけねえだろ。まともに働いてないんだぞ。
●えらそうに言うな。お前は別に心配しちゃいねえけどよ、嫁さんが可哀想だろ。
▲嫁?ふっふっふ、それがなあ、あいつ俺に輪ぁかけて、めし食わねえのさ。喰わなくていいから働かなくていい、こんな楽なことはねえよ、ひっひっひっひ。
■(袖を引っ張りながら小声で)不吉だよお。帰ろうよお・
●黙っとけ、お前は。で、もの食わない美人の嫁はどこにいるんだよ。
▲お前らが来るって買い物に行きやがった。ボチボチ帰ってくるころだ。
●そうか、じゃ、待たせてもらうよ。
■……なあ、なあ徳さん。
●なんだよ。
■ものは相談なんだけどさ、俺らここで、おいとましない?
●お前なあ。何しに来たんだ。お前が嫁さん見てみたいっつうから来たんだろ。
■実はよ、言ってなかったけど俺、霊感があるんだ。
●れーかん?
■そう、霊感。さっきからずっと厭な感じがするんだ。妖気を感じるんだよ。
●何が妖気だよ。鬼太郎じゃないんだから。
■大体おかしいだろ。松のところに嫁が来るなんて。
きっと嫁さんは、まともな人間じゃない。いや、人間じゃない。化け物だよきっと。
●お前、偏見が凄いな。いくらなんでも失礼じゃない?
☆(扉を叩く)あんた、ただいまー。
▲おお、戻ってきたか。
☆両手がふさがってて、扉を開けられないんだよ。開けとくれよ。
▲なんだおい、仕方ねえなあ。……コイツはどうして震えてるんだ?
●さあ?とりあえず、早く開けてやりなよ。
■ああー妖気が!妖気が迫ってくる!あー!

ギイイイイイと音を立てて開いた扉の向こうから、奥さんが現れた。

☆どーもー!主人がお世話になってますー!!
まあまあまあまあ、初めまして。よろしくおねがいします。
ゆっくりしてってくださいね、ごはん食べました?まだ?
ちょうどよかった召し上がってって下さい。沢山おいしいもの買ってきたんですよう。
たまにはこんな贅沢もいいじゃありませんか。パーッとやりましょ!パーッと!
●・・・・・・陽気だ!めちゃめちゃ陽気だ!大間違いじゃねえか!
☆ちょっと私いろいろ買いすぎちゃったんで取り分けますねえ。
ええ、お皿と、小鉢と、おわんにお茶碗に、あと丼と、とっくりと、おちょこと
▲容器がすごい、陽気な奥さんが、容器を一杯出してきて、妖気は全くない、なんだこれ!
☆さあさあ皆さん、どうぞおひとつ!

てなもんで、明るい美人がいると酒が進みますね。
どうぞ一杯、どうもどうも、とやっているうちに、全員ベロベロになっちまって。

☆まままま、もうお外が真っ暗。すみませんねえ引き留めちゃって。
●(酔っている)奥さん!奥さんあんた、素晴らしいひとだ。この松って男はね、難しいやつですよ。難しいやつだけど、決して悪いやつじゃねえんだ。はは、ほら、褒められて照れてやがるよ。これからもコイツのこと、よろしくお願いしますよ。それじゃさいなら!

<帰り道>

●……いやあ、なんだな。美人なだけじゃねえ、素晴らしい嫁さんだったな。
■そうだな。
●パーッと明るいし、よく気がつくし、ご飯も食べねえで働いて、それでいてこちらに何も心配させない。実によくできた人じゃねえか。おれは心が洗われるようだったよ。
■そうだな。
●あの嫁さんに引っ張られて、松のやつも少しは、カドがとれるといいよな。
■そうだな。
●お前「そうだな」しか言わないな。どうしたんだよ。
■……おれはよう徳さん、納得がいかねえよ。
●あ?
■あんな素晴らしい嫁さんが、松なんかのところに行くはずがねえ。
●おまえなあ、まだ言ってんのか。
■きっとあの奥さん、よそに男がいるんだよ。ちっともメシ食わないって言ってたよな。それはきっと、よそで食ってるからだよ。あの家では松ちゃんに愛想振りまいといて、金だけ握って、本命の男とこっそり会って、そこでたらふく旨いもん食べてるんだよ。筋が通るだろ。きっとそうに違いない。松の野郎、騙されてるんだ。
●……なるほど。かわいそうだな。
■だろ?かわいそうだろ。松の野郎。
●違うよ。かわいそうなのは、お前だ。
なんでそこまで、人の幸せを認められねえんだ。お前、哀しいやつだなあ。
■そんな顔で俺を見るな!……よし分かった!証拠見つけてきてやる!
●なんだよ、証拠って。
■あの嫁が浮気してる証拠だよ。俺がお前らの眼を覚まさせてやるからな!覚悟してやがれ!


■……俺は何をしてるんだ。証拠ってなんだよ、探偵じゃないんだぞ俺は。あーあ、でも今更、引っ込みつかねえしなあ。……戻ってきちまったよ。蔦まみれの長屋の、呪われ扉の前。もういっぺん入れてもらうか?なんて言えばいいんだよ?「どうも奥さん、おたく、浮気してます?」いえる訳ねえしなあ。どうしようかなあ。
あれ……隙間があいてる。不用心だなあ。……ちょっと覗いてみようか。

細く開いた戸の隙間から、家の中をのぞきこみます。
松ちゃんのほうは出かけていると見えまして姿がありません。
嫁さんが背中向けて、黙々と手を動かしている。その周りに並べられているのがたーーーくさんの握り飯。あんなたくさん握ってどうするんだ?と思っておりますと、嫁さん、オモムロに、髪をほどき始めた。解かれた髪がばさっと落ちて、頭の後ろに現れたのは、なんと大きな口でございます。下ろした髪の毛が蛇のように動き、握り飯を次々と、大きな口へ放り込みますと、太い歯をむき出しにした口が、恐ろしい勢いでばくばくばくばく!!

■うわああああああ!!(走って逃げた)
あ、あ、化け物だ、本物のばけものだ!頭の後ろに口が、口があった!
なんかの本で読んだ。あれは二口女だ。本物の化け物だ!
松のやつ、マジで化け物を嫁さんにしてるんだ。は、はやく教えてやらねえと!

<居酒屋>

▲こんな遠くの居酒屋まで呼び出しやがって。なんだおい。なんの用だ。
■お、おさきさんはついて来てねえよな。
▲お前が一人で来いっつったんだろうが。いたほうがいいなら呼んでこようか。
■いい!いい!二人で飲もう。二人っきりで話そう。
▲気持ちわりいな。なんなんだよ。
■じ、じつはよう、松ちゃん。お前の嫁さん、あれ、ただものじゃねえぞ。
▲ただものじゃない、まあ確かにな。気はつくし明るいし、俺にはもったいない……。
■そんな呑気な話じゃねえんだ!おい!落ち着いて聞けよ。お前の嫁さんは、化け物だぞ。
▲ああ?何を……
■お前の家を覗き見して!見たんだよ俺は!お前の嫁さんの頭の後ろにはな、でっかい口がついてるんだよ!髪の毛を蛇みたいに動かして、山盛りの握り飯バクバク食ってるのを、この目で確かに見たんだよ!食わずの女房なんて嘘っぱちだ。お前の嫁は二口女だ!正真正銘の化け物だ!
▲化け物、化け物か。
■お前だって心あたりあるだろ!
▲言われてみれば、やたらと米や味噌の減りが早くなったな。お互い小食とはいえ、二人所帯ならこんなものかと思ってたんだが、そうか、あいつが隠れて食ってたのか。
■そうや。お前に隠れて、陰でみんな食ってたんだよ!
▲そうか……(天を仰ぎ)辛かっただろうなあ。
■はあ?
▲俺がきちんと働いて、米も味噌も切らさなけりゃ、あいつも思い切り飯が食えたんだ。それをあいつは、俺に気を使って、腹が減ってないって嘘ついて……一人でこっそり食ってたんだなあ……俺はあいつになんてかわいそうなことをさせてたんだ……寅!よく言ってくれた。よく教えてくれた。おれ、これからは真面目に働く。アイツにこれ以上、ひもじい思いなんかさせねえ。俺は嫁をもらったんだ。あいつのために、心を入れ替える。教えてくれて、ありがとうな。
■……そんな話はしていません!
▲いきなり大声出すなよ。びっくりした。
■こっちがびっくりしたわ!いいか、お前の決意とか、覚悟とか、どうでもいいんだ!
嫁が化け物だったんだぞ。驚くとか怖がるとか、そういうの無いのかよ!
▲怖がる?なんで?
■二口女だぞ!口が二つあるんだぞ!めちゃくちゃ怖いだろうが!
▲あのなあ、世の中にはいろんな人がいらあ。背の高いやつがいれば低いやつもいる。歌が上手いやつもいれば足が速いやつもいる。頭の後ろに口が二つあってたくさん飯を食うやつがいても、おかしくはないだろ。それは、個性だよ。
■マジで言ってんのかお前……ああ、ああ!じゃあいいよ、だったらお前、このまま所帯持てばいいや。でもよう、このままだとお前、一生懸命働いても、バクバク食べる嫁の飯代稼ぐだけの一生だぞ、化け物のエサ係で終わっちまうぞ。それでいいのかよ!
▲じゃあ何だよ、俺の人生が、嫁のせいで台無しになるってのか。
■そうだよ!
▲お前と何が違うんだよ。
■ああ?
▲こないだ皆で飲んだとき、お前、べろべろに酔っぱらって愚痴ってたよな。「ああ、最悪だ。ぶくぶく太りやがって、がみがみ怒鳴りやがって。俺はあいつの飼育係じゃねえんだぞ。昔はべっぴんで優しかったのに。こんなの詐欺だ。酷すぎる。俺の人生はおしまいだよう」って。道端でゲエゲエ吐きながら号泣してたじゃねえか。お前と何が違うんだよ。
■おま、お前とんでもないこと言い出したな。大違いだよ!ウチのカカアは化け物じゃねえ!
▲確かに大違いだな。うちの嫁はバクバク食うけど、太らねえ。
■チクショー!お前なんかもう知らねえ!嫁はんに骨までしゃぶられちまえ!うわーん!
▲おい!どこ行くんだおい!……行っちまいやがった。おい待てよ、ここの代金、俺が払うのか?そういやあいつ、俺の家のぞいてたこと、一つも謝らなかったな。そういうやつだあの野郎は……化け物か、しかしまあ、一度、きっちり話はしねえとな。

<松の家>

▲そういうわけで、寅から話は聞いた。怒ってるわけじゃねえ。俺が全部知ってるってことを、お前にも知ってほしい。もう何も隠さなくていいぞ。
☆……ごめんよう。言わなきゃいけないとは思ってたんだよ。でも、嫌われるんじゃないか、捨てられるんじゃないか。そう思うとどうしても……いつかこんな日が来るって覚悟はしてた。どうぞ私のこと、気のすむようにしとくれ。本当に、ごめんなさい。ごめんなさい。
▲お前が謝ることなんかない。謝るのは俺のほうだ。今までは俺一人、どうなったって世間様に何の迷惑もかからねえと思ってたが、お前が来てくれた、二人で暮らすんだ。俺にはその覚悟が足りなかった。お前が何者だろうと構わない。これからは遠慮しねえで、好きなだけ食ってくれ。金は俺が稼ぐ。これからも、二人で暮らそう。
☆……あんた……ahhhhhhhh!!!!!(めちゃくちゃデカい声で)
▲一応聞くが、泣いてるんだよな?デカい声だなあ。
☆こっち(頭の後ろ)でも泣いてるんだよう。
▲……泣いたり笑ったり、とっさの声がデカいなあとは思ってた。そりゃ口が二つあったらそうなるわな。言われてみればこれまで、ちょいちょいとおかしなことがあったな。お前、これまでちっとも、頭撫でさせなかっただろ。「くすぐったいから」って言って。
☆そりゃ、危ないもの。下手にガブッと行ったらお前さん、肘から先が無くなってるよ?
▲(腕をさすりながら)よく無事だったなあ。……十日ほど前か。このあたりの通りに暴れ馬が出ただろ。「松っちゃん、おまえの家のほう行ったぞ、嫁さんが危ないぞ」って言われて、慌てて駆けつけたら、お前は玄関先でへたりこんでた。「お前さん、馬はあっちの方へ逃げたよー」って言われて、皆で探しに行ったが、結局ついぞ見つからなかった。あの馬、お前ひょっとして。
☆ごめんよぅあんた、久々のお肉だったんだよう。
▲食ったのか。で、でもお前、腰抜かしてたじゃねえか。
☆あれは腰が抜けたんじゃなくて、満腹で動けなかったんだよ。
▲すさまじい食欲だな……ニ、三日前か?うちに箪笥があったろ。死んだオフクロの嫁入り道具だ。ボロボロの癖にやたら重くてビクともしねえ。邪魔だ邪魔だと言いながらほったらかしてたが、ある日、綺麗さっぱり無くなってたな。「力持ちの屑屋さんがきて引き取ってくれたんだよ」と言ってたけど、あの箪笥、お前ひょっとして。
☆ごめんよぅあんた、ここ来たときからあの箪笥、ずっと食べたかったんだよう。
▲食ったのか。あんなボロボロの箪笥、食っても古い木の味しかしねえだろ。
☆古い木の味がして、おいしい
▲白アリかお前は。おれには分からねえ味覚だなあ。
あ、あ、向かいの乾物屋の、乱暴者のせがれ。近所一帯の鼻つまみ者のあいつ。ここんとこすっかり大人しくなって、皆ひそかにホッとしてるけど、あれもひょっとしてお前か?
☆(身を震わせて)あれはとんでもない畜生だよ!
▲何だとおい、何があったんだ。
☆あの野郎、あんたが留守にしてるとき、私に言い寄ってきたんだよ。あんな表六玉ほっといて二人でどこぞへシケ込もうとか、いやらしいことばっかり。ずっと無視してたら挙句の果てに、にやにや笑いながら私のこと、無理やり押し倒しやがって……私もやめてくれ、よしてくれって言ったんだけど……あんまりにも乱暴だったから、やめろ!って叫んで突き飛ばして、髪の毛ほどいて、あの男の両手両足に絡みつかせて、叫ぼうとした口にも髪の毛突っ込んで、そのまま逆さづりにして、そのまま頭の口へドン
▲やりすぎだ。めちゃくちゃ怖えよ。く、食ったのか!!
☆食ってやろうと思ったよ!でも、そんなことしちまったら、いよいよあんたと暮らせなくなっちまう、それは嫌だから、いったん呑み込んだあの野郎を、そのままずるずる―っと戻したんだ。でもその、私もホラお腹空いてたから、味わうだけだったら構わないかなあと思ってさあ。いったん出したやつを、またずるずるっと飲んで、ずるずるっと出して、味が無くなるまで甘噛みしてね。味がなくなったところでぽいっと、表へ捨ててやったんだ。乾物屋の倅だからかな、昆布の味がしたよ。
▲食われたほうがマシだ。ああ、だからか。あれからあいつ、腑抜けたみたいになってたよう、見舞にスルメ持って行ってやったんだよ。物凄い怯えようでなあ。「味が!味が無くなる!」ってなあ。悪いことしちまったなあ。
☆ごめんよぅあんた。私のこと、嫌いになったかい。
▲ちょっと考えさせてくれ。整理しきれねえ。まあ、暴れ馬はいなくなって良かったし、箪笥が片付いて家の中はすっきりした。乾物屋の倅はまあ、自業自得だ。だから、お前のことを嫌いになる道理はねえやな。しかし何だな。一緒になって三か月か?俺も大概鈍いんだろうが、お前もよく隠したもんだ。おれ、まったく気が付かなかったよ。お前、嘘を吐くのがうまいな。
☆当たり前じゃないの。私ゃ二口、二枚舌でございます。 <完>

上方版は こちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?