逃避行為
人間は理性的な思考ができますが、常に理性的に行動するわけではありません。その典型例が逃避行為です。
誰しもやるべき事があります。それをする能力も持ち合わせています。でもその対象が大変な労力を要する場合後回しにしてしまう。これが逃避行為です。
結局やらなければなりません。逃避行為は殆どメリットのない行為なのです。理性的でないと言わざるを得ません。でも人間は生き物です。仕事をするにはエネルギーが必要です。エネルギーが必要な行為は疲れるからやりたくない。本能です。
逃避行為は本能>理性の結果です。でも後々困りますよね?先延ばしにするほど不安になってストレスの対象となるわけです。そうなるとさらに逃避行為に走りやすくなります。
締め切りギリギリに火事場の馬鹿力を発揮する。理性>本能に転換したのでしょうか?違います。焦りという別の本能が働いただけです。
逃避行為によって束の間の休息を得られますが、その代償に慢性的な不安やストレス、焦燥感、火事場の馬鹿力による疲労が付いてきます。
逃避行為はストレスから逃げることが目的だったのですが、余計慢性的なストレスを上昇させる結果となるのです。
逃避行為には別の形もあります。不安対象のすり替えです。
不安対象が仕事や学問などの本業の場合、それらに対して心が折れてしまったら人生に関わってしまいます。
そこで不安対象を全く無関係のものに向けてしまいます。全く新たな心配事を作り出してしまうのです。別の事ばかり心配することで本業に不安を感じないようにするのです。不安の大きさ自体は変わりませんが、本業で挫けない可能性が上がります。
しかし思わぬ代償があります。本業への不安の大きさがそのまま別の事に伝搬することによる、頭の混乱です。例えばすり替え対象が細菌であるとしましょう。本業でストレスを感じるような出来事があったら、ますます細菌が怖くなり、手を洗う回数が異常に増加します。
この症状は強迫性障害に近いです。なので病院やカウンセラーの元に行って強迫性障害の治療法を試すかもしれません。確かに症状は軽減されるでしょう。それでもなぜ自分が急に細菌が怖くなったのか、なかなか細菌への不安も軽減されないのか、いくら考えても理解できないでしょう。いかんせん不安の大元は本業なのですから、いくら細菌や強迫性障害について勉強し、考えても答え(本業)には辿りつきません。
本業から別の事に不安を無意識にすり替えることで、説明できない精神症状が出始める。説明できない=おかしいと分かるわけですから、結構傷付きます。自分はこういう変な人間なのかと。
理屈はこんな感じですが、本業のストレスが大きすぎる場合は、このような逃避行為によって救われる場合もあります。要は見切りの問題です。
ずっと逃避行為をする、ずっと本業に向き合い続ける。両方良くありません。でも人は癖があるのでどちらかに偏りがちです。
本業からのストレスを受け止められそうなら、向き合う事で謎の精神症状を抑え、適切な対処をする。
本業からのストレスが大きすぎて、本業をやめたくなるほどなら逃避行為をする。
こんな感じで使い分けると良いのではないでしょうか。
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