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病んだらみんなここにくれば良い


話はルアンパバーン最終日の夜に戻る。

基本的に私は物価の安い東南アジアでもドミトリーに泊まる。どこでも寝れるし、特にこだわりはない。

しかし最終日だけはシングルに泊まる。
と言う謎ルーティンを持つ。

もれなく今回もシングルに泊まっていた。

そこの共有バルコニーでビールを飲んでいた時に
例のオランダ人、マイクと出会った。

1番これが好き。


何気ない会話、
どこから来たのか、ラオスにはどのくらい
これからの旅程は、など。

彼はいわゆるノマドウォーカー
パソコンさえあればどこでも働ける。

彼もここラオスを気に入ってビザを延長しまくって
既に半年以上いるらしい。

結構話が盛り上がる。

手持ちのビールが尽きた頃、買いたそうとしたが
ここルアンパバーンは''早寝早起き''の街

もう既にどこも周辺のお店は閉まっている。

ちょっとバイクで探しに行こうか!と
観光地を離れて走って行く。

街灯もほぼなく静かで真っ暗な街を走って行くと
ふと灯りと人の姿が目に入る。

既にお店は閉まっているが
仲間内でご飯を食べていた。

ビール買いたいんだけど良い?と

するともちろん、しかもわざわざここまで来てくれたからという理由で値引きもしてくれた。

そう、彼はラオ語を少し話せる。
半年ラオスにいる間に習得したらしい。

ちなみに彼、オランダ語、英語はもちろんその他にドイツ語、フランス語、スペイン語なども話す。
いわゆる多言語話者であった。

それはともあれ無事にビールを手に入れ
宿に戻って行く。

いつまでルアンパバーンにいるの?と

実は今日で最後、明日からバンビエンに行くよ

もう戻ってこないの?

ルアンパバーンは良い所だからね〜
Maybe。と私は答えた。

ここで英語での会話の厄介な
ニュアンスの差、解釈違い

もう今回の旅程ではルアンパバーンに戻らないことは既に分かっていたが答えを濁す感じの「たぶんね〜」の意味合いでMaybe。と私は答えた。

曖昧な返事をするのは日本人特有と言うか、

とにかく彼はそのMaybeを、また近いうちにすぐ戻ってくる!と解釈したようだった。

そんな事は一切知らずに私は別れを告げて
次の目的地、バンビエンへと向かって行く。

割と最近ここラオスには中国が建設した
もはや新幹線のような列車が開通した。

もう、中国なんだよ、
?!

駅から一歩出るとアスファルトで舗装すらされていない道が広がっているのに、先進国顔負けのトイレ。

思わず写真を撮ってしまった。脳みそがバグる。

でか

もう隅々まで中国を感じる。
ちなみに英語表記もあるが
メインはラオ語と中国語だった。

新幹線。


まじで新幹線みたいなのが来た。
本当に周りの景色との違和感がすごい。

けどこれで本来なら悪路で6時間以上かかる所を
この列車だと快適にたったの1時間で行ける。

あ、好き。


ルアンパバーンとは似てるようでまた違った雰囲気。もっとローカル味が強い。

Peaceful

もう既に私はこの街が好きになってた。
ラオス、なんて良い国なんだろう
なんで今まで来なかったんだろう

絶景が見えるビューポイントとやらに行ってみよう

ちょっと不安そうな橋


はぁ(深いため息)

なんだよこの街、ビューポイントに絶景を見に行く前に既に絶景ばかりなんだよ!!!!おい!!

チャリで行く。


ちょうど学校が終わった頃なのか?
現地のキッズ達と一緒にチャリを漕いでいる。

パイナップル屋さん

路上に突如現れるパイナップル屋さんとか、


急に茂みから牛が出て来て
その横をキッズが歩いてたり

もう走ってるだけでツッコミどころ多いし
見てて飽きない景色の連続

はい、到着


いくらか忘れたけど入場料取られた。
まあ登って行きます

あ、、オッケー、こう言う感じね


あ、こう言う感じね、、
まじで10歩目くらいで悟った。

これ割とガチ登山。
階段もあってないようなもん(そのうち消えた)

しかも捕まるところも何もない
上から垂れ下がっている木のツタをターザンのように今日に掴みながら落ちないように登って行く。

は?


いや、金取るんだったらせめて道を作ってくれ!
もう最後の方は這いつくばって行った。

40ほど登ったところで頂上へと到着
疲れなんて吹っ飛ぶような絶景が広がっていた


どんなに大都会の夜景より、ヨーロッパの統一感のある中世の街並みよりも私は緑に溢れる東南アジアの田舎風景が美しいと感じる。

反対側

悩みなんかどうでもよくなる。
病んだらみんなラオスに来れば良い。
きっとどうにかなるから


ちなみにこの場所、ここに来るまでのあの道を見てもらえば察するだろうが柵なんて一切ない。

足元も不安定、足を滑らせでもすれば
タダでは済まないであろう高さ。

みんな写真撮ったらさっさと降りて行くが私は
気づいたら1時間近くもぼーっとしていた

そろそろ降りようとした瞬間
携帯の通知音が鳴る

そう、マイクからだった。
その通知の内容を見てびっくりした。

これからヴァンヴィエンに向かう。

え?????!
来るの???

もしヴァンヴィエン行くなら絶対にニミバンでは行きたくない、あんなshitな道のりもうゴリゴリww
って言ってたよね??

あの列車は少なくとも3日前から予約しないと無理
つまり彼はあんだけ嫌がってミニバンで悪路を6時間以上かけてこれからここに来る訳。

私には理解が出来なかった。
それと同時になにか面白くなって来たとも思った。

とりあえず私は着いたら教えて。
バイクで迎えに行く。と

一体何時につくのかわからない
本当に来るかどうかの確信も持てない。

とりあえず今の私に出来るのはただ待つだけ。


夜9時頃、彼から連絡が来た。

「今バスターミナルに着いた」

私が迎えにバスターミナルに向かうと
本当に彼はそこにいた。

相当急いでギリギリのバスに乗り込んだらしく
他の荷物は全てルアンパバーンに置いて来て
最低気の荷物だけ持っていた。

私は呆れと嬉しさの混ざったよくわからない気持ちで彼とまたここで再会する事になった。

彼は「ケツが痛いよww」と笑っていた。

早速市内へと戻り夜ご飯を食べに行く。

名前忘れた

オーナー夫婦がとっても良い人達で
彼がラオ語を少し話せる事もあってすごく仲良くなった。結局私がここを去るまで毎日夜はここで食べる事になった。

私の宝物

ここラオスではこの小さくて丸い独特な
ビールグラスで飲むのが一般的。

私はこのグラスを一目見た瞬間から欲しかった。

しかし非売品。
お金を払ってでもお店の人に尋ねて売ってもらえないかと考えていた。

そこで彼にラオ語そう伝えてもらった。

するとなんとあっさりと良いよ!と

お金払うよと言っても決して受け取ってくれず
しかも2つもくれた。しっかりと割れないようにダンボールで仕切りを作ってくれて袋に入れてくれた。

もう絶対に私はこのグラスを無事に日本に持って帰る。これが私の使命だ。とまで感じた。

(結局無事に持って帰って今でも日本に帰った時は使ってる。大切な宝物。)

本当に良い人達。
この人たちには最終日にまたお世話になるとこになる。それはまた後ほど。

彼は私がビアラオのIPAが好きなのを
覚えていてくれて毎回買って来てくれた。


明日から私がラオスを去るまで
彼と過ごした特に特別な事はしていないが
絶対に忘れないヴァンヴィエンでの思い出の
日々が始まります。

続く。

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