紆余曲折の激しい20代
前回は「チャレンジの20代」というタイトルをつけながらも、結局20代に突入しないで終わってしまいました。
そのため、「タイトル詐欺だ!」と非難Go!Go!だったので、今度こそ20代に突入しようと思います(笑)
振り返ってみると、20代は本当にギタリストとして色んな事があったなあと感じます。
良い意味でも悪い意味でも。
全部ギターが主軸になって動いていく人生が始まったのもこの頃です。
面白いです。
それでは振り返ってみます。
初めての耳コピ
20代、つまりは大学2年生に上がった頃に一番最初にチャレンジした事は、ギターパートの「耳コピ」です。
「耳コピ」とは読んで字の如く、楽譜やバンドスコアの存在しない曲のギターパートを、耳で聞いて音符を探しながら覚える技術です。
高校時代は、基本的に楽譜の存在する曲の中からライブのセットリストを決める、という感じにしてました。
そのため、恥ずかしながら「耳コピ」は、イントロなどの部分的な耳コピはした事はあったけども、一曲丸ごと耳コピというのはした事がありませんでした。
しかし、軽音楽部に入部後は、容赦なくバンドのお誘いが来ます。
沢山バンドを組んでいると、やっぱりその中には楽譜の存在しない曲を演奏したいというバンドも出てくるわけです。
最初に耳コピでやろうと結成されたバンドは、ドイツのメタルバンド「ハロウィン」のコピーバンドでした。
しかもライブで演奏しなくてはいけないので、5曲ほど覚えないといけませんでした。
地道にヘッドホンで聴きながらコピーして「よし!これでOK!」と思っても、いざみんなで合わせてみたら「なんか違う気がする」の繰り返し。
メタルなので、速いフレーズが出てくるわ、ハモリパートもあるわで、めちゃくちゃ苦労しました。
「もうダメだ」と思っていたら、その時に助けてくれたのが、もう片方のギターパートを弾いてくれたJくん。
彼はクラシックギターにも精通していたので、ハモリや理論などもお手のもので色々と助けられました。
やっぱりね、ギターをやる人は絶対に同じギタリスト仲間は作っておいた方が良いです。
全く同じタイプの人というのはいないし、みんなそれぞれ持っている知識や技術が違うので、色々と勉強になる点が多いです。
これはギターに限らず、全楽器に共通するものかと思います。
そして、ついに迎えた本番。
ライブを終えた後は、耳コピした曲だけでやり切ったことで感慨もひとしおでした。
おかげで「耳コピした曲のみで一本ライブできた」というのが、その後の自信になり、「いつでも耳コピかかってこいやー!」とエンジンがかかりました。
※その後は、ロック、ポップ、ジャズ、フュージョン、ゲーム音楽など他にもホントに様々な曲を耳コピで演奏しました。
初めてのオリジナルバンド
いま人生を振り返っても、大学の軽音楽部では、本当に色々なバンドをやらせてもらいました。
ちなみに、軽音楽部のライブは1年間に4回あります。
新入生歓迎ライブ、アーサマーライブ、大学祭ライブ、ライトミュージックフェスティバルの4回です。
それぞれ約3ヶ月に1回のペースで行われるのですが、出演する人はみんな、いくつか掛け持ちして出演するというのが普通でした。
ドラマーなんか常に不足してるので、1人で10バンドとか掛け持ちしてる人もいました。
※その人は家で発狂しながら曲を覚えていたそうです笑
ご多分に洩れず、僕もいくつか掛け持ちして、常に何かしらの曲を練習して覚えないと間に合わないというペースで活動していました。
なので、コピーは沢山沢山やったのですが、コピーすればするほど湧き上がってくるのが「オリジナル曲やりたい」という気持ちでした。
この気持ちは、バンドで一緒になる事の多かったドラマーのUくんも同じ事を思っていたのか、大学3年生の終わり頃、ついにオリジナルバンドを組む話になりました。
ベースはそのUくんと一緒にリズム隊を組む事の多かったYくん、ボーカリストは一般公募をかけて、違う大学からNくんが決まりました。
「いよいよオリジナルバンドが始動する!」と、最初の頃はワクワクの方が勝っていました。
しかし、いざ始めてみると、それはすぐにひっくり返りました。
「個性」の再認識
「自分の良さが全然出せない」
「そもそも自分の良さってなんだ?」
「人とは違うってのは分かるけど、一体どうやったらそれを再現できるんだ?」
オリジナルバンドを始めたものの、こんなモヤモヤを抱えたまま、しばらく葛藤してました。
幸い、大学の軽音楽部も並行して活動していたので、コピーやってはオリジナル、またコピーに戻るというように、理想のサイクルを過ごしておりました。
しかし、いつまで経ってもこのモヤモヤは消えません。
そんな気持ちを迎えたまま、大学生最後の年を迎える事になりました。
初めてのギターボーカル
オリジナルバンドを始めてみて、初めて味わった葛藤。
この葛藤を払拭すべく、まずは全く違う事をやってみようと思い立って、4年生になってから最初にチャレンジしたのは「歌うこと」でした。
実はボーカルをとることに関しては、ブログでは触れてませんでしたが何度かやった事はありました。
しかし、ギターを弾きながらライブで歌うという事はした事が無かったんです。
なので、ギターボーカルをやる事にしました。
初チャレンジに選んだバンドは、ヌーノ・ベッテンコートというギタリストのソロプロジェクト「モーニング・ウィドウズ」というバンドでした。
ギターボーカルをとる人は、コードをかき鳴らしながら歌う、というスタイルの人が大半だと思います。
しかしながら、ヌーノに関してはメロディとリズムが合体したようなフレーズを得意とするギタリストなので、そんな訳にはいきません。
また、みんな同じかは分からないけど、楽器を演奏する人は恐らく頭の中で自分が弾くパートのメロディーを浮かべながら、奏でてることと思います。
僕もそのタイプだったため、ギターを弾きながら更にギターとは違うメロディーを歌う、という事が中々できず大変苦労しました。
そこで取った策は、まずはギターパートを完全にカラダに馴染ませる練習でした。
もはや頭に思い浮かべなくても、カラダが勝手に動くまでひたすら反復練習を繰り返します。
そして、それが出来るようになってから歌を歌う、という練習でなんとかかんとか身に付けました。
加えて、歌詞も覚えないといけないということで、それはそれで苦労しましたが。。
しかし、いざそのやり方を習得すると、それまでの苦労が嘘のようにギターを弾きながら歌うというのが楽になりました。
このチャレンジがオリジナルバンドにどう活かされたのかは、いまだによく分かってません。
ただ、個人的には確実にレベルアップできたので、やって良かったと心から思ってます。
おかげさまで、この後たくさんのバンドでギターボーカルをやらせていただく機会に恵まれました。
まとめ
あっという間に終わりになってしまいました。
今回は主に、20〜21歳ごろにチャレンジしたこと書いてみました。
これだけ見ると普段ギターしかしてないように見えますが、ちゃんと勉強もしてました(笑)
ただ若さもあってか、毎日大学にギターを持って行っては空き時間に練習してましたし、深夜までバンド練習があっても全然苦にはなりませんでした。
そのおかげで、前回の投稿の際に書いた、凄腕ギタリストたちに感じた敗北感みたいなものはとっくにどこかに消えて、気付いたらギターに夢中になってました。
それでは、次回は大学生最後の1年間について振り返ってみたいと思います。
またお付き合いいただければ幸いです。
ありがとうございました。
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