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明るい親子創造計画!Vol.11


こんにちは!よっしー@ラーメン大好きワーママです!心に残る母の名言を思い出を交えながら執筆しています。
母は2021年で74才。これは母の生きた記念です!ではvol.11始まります!

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「私が寝る布団買っておいてね。泊りにきたとき困るわ。」

 何年か経ち、私にもパートナーができました。結婚も視野に入れていたため、互いの両親に挨拶を済ませ下町で同居を始めました。2DK家賃14万円の都心の狭小住宅。収納にはかなりの工夫を要します。
 母は布団の購入を執拗に迫ってきました。狭くて置けないと言っても、「布団を圧縮して納めておけばいいだけのこと。親のためにそんなこともできないのか。」と譲りません。母は年に1度上京するかどうかというくらいの頻度だったのでこんなに執拗に迫るのは何か別の目的があったのかもしれません。
 その後は相手のご両親の身の上の情報に対しても何かと査定するような言動を始め、最終段階としては結納をすることと結納金を迫り、家族の顔合わせ程度に簡略化したい相手との間で私はいたばさみになりました。布団といい、結納といい、どんなに考えて諭しても一歩も譲ることのない母。「母を説得できない」私の元をパートナーは去っていきました。結納することはおかしいことではありませんが、近年、簡略化されているかとは思います。それが母の中の常識では許せない現実のようです。一貫して「自分が結婚するときは結納をした。しないのはありえない。」の主張。母の中の価値観でけじめをつけさせること、相手を従わせること、娘さまを嫁にくれと一家で頭を下げにこさせることが結婚の絶対的な要件だったようです。


 さて、数年後、私は別のご縁があり結婚しました。どうして結婚できたのかというと、夫と舅は母に一切逆らわず、すべて言うとおりにしてくれました。指定されたとおり9つの結納品と熨斗に〇〇〇万円を包み、実家へきてくれました。納得した母はやっと私を手放してくれました。なんせ盛大な結納をしたことをご近所に自慢げに話すことができたのですから、満足したようでした。

 結納の後、母に連れられご近所を8戸くらいですかね、「私は都会に嫁ぎます。お世話になりました。」と挨拶のお品を持って頭を下げて回らされました。

 さて、結婚後もまた母が使う布団の購入を迫ってきたら困るので、私なりに考えた母にとって”損のない交渉”をしました。

「家は狭いから息苦しいでしょう?ホテル代払うから近くにとってあげるよ。気を遣わずのびのびできると思うよ。」、と。

すると

「親を家に泊める気もないのか!!」

と怒鳴られ激高されました。えーっと、私のことを近くで監視していたいのかな?ほんと、正解が分からない人です。年に1度くるかどうかなのに。
 
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