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空白期間から
カメラに触れ始めたのは学生時代。どこに行くにもカメラを持ち歩くようになって、写真を撮るのが当たり前になっていたはずなのに、Googleフォト無制限時代に残してある写真を見返すとエアーポケットのようにカメラで写真を撮らなかった期間があります。
その期間、何も撮らなかったわけではなくて、スマホで撮った写真は残されています。
でもやっぱりカメラで撮るのとは色味が違って、でもそれで良しとしていました。
常々色が悪いとは感じていたのに、それ以上どうこうしようという気が起きなかった。
あの時はきっといろんな疲れが出てしまって、カメラを手に取る気力が湧かなかったんだと思います。
ちょっと後悔。いや、かなり後悔。
同じ時間は流れないですし、被写体、環境、自分自身さえも日々変わっていきます。
「作品を残す」というより「記憶を残す」という「記録」に重きを置いていたはずなのに、いつの間にかその意識はどこへやら。
何気なく写真を撮っていた私が、カメラで「記録する」ことの大切さを考えたのは10年以上前のことで、この辺の気持ちの変化も備忘録としてどこかで書こうと思います。
そんな状態だから去年、夫がZfcを薦めてきてくれたときも「Why?」がまず出てしまった。
そんな無気力無感動状態の私が再びカメラを持ち歩くようになってどう変化したか。
よくある表現だけど、色のない世界に色を感じるようになりました。
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歩きながら光を探すようになりました。
比喩的なものではなく、光の射し込む場所を見つけて「綺麗だな」と感じるようになりました。
視野が狭まっていたのか、何回も通っている道なのに気づかなかった光。色。
光の射し方、光が透過することで見える色の美しさにまた気づくことができて、近所を歩いているだけで「綺麗」「楽しい」とたくさん感じるようになりました。
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