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聖書に基づいて母の日、父の日を解説


こんばんは。
今回は日本で行われている恒例行事である母の日と父の日について述べます。実はキリスト教由来であると知っていましたか。私が言うキリスト教とは偽使徒パウロ教(律法廃止)のことであり聖書にのみ依拠しているキリスト者(律法遵守)とは別であることをご承知おき願います。世間で言われるキリスト教は聖書を隠れ蓑にして主イエス・キリストに反逆するカルト宗教やと知ってください。詳しくはこちらでブログ主のミカエル氏が解説しておられます。

https://ameblo.jp/leo085/entry-12256080288.html


【母の日】

皆さんは保育園、幼稚園、小学校低学年の時に一度は学校から指示され似顔絵を描いたり肩たたき券を作らされたり、贈り物を買ったことがあると思います。世間では両親を敬って当然であり、感謝を伝えるべきとして恒例行事となっています。確かに聖書では「父と母を敬え」と書かれています。主イエス御自身が旧約聖書から引用し、実際にこの世の肉の両親に仕えていることからも重要な掟です。

なので私も賛同はいたしますが、言われてやるのでは全く意味をなさず性善説に囚われすぎやと思います。少数派ではあると思いますが、毒親も存在し子供に対して暴力を振るったり、暴言を吐いたり、育児放棄等する親もいます。そのような子供は嘘をついてまでも世間の恒例行事に参加しなければいけないのでしょうか。聖書では嘘をつくことは罪となるので、周りに嘘をついて騙してまで無理にする必要は無いと思います。むしろそのような行事の時に親からの虐待に困っているとはっきりと伝え、担任や周りの大人に相談すべきやと思います。私の母親は母の日に対してさっぱりとした考えを持っていたので、「学校で書かされたんやろ、知ってんでアンタがウチに好かれようとしてこういうことすんの。花も要らん。似顔絵も要らん。そんなことでウチの機嫌を取れると思うな。」と母親からそう言ってもらえたお陰で母の日を祝うことをやめました。そりゃ親からしてみればそうでしょうね。行事やからこんなことするんやろって、本心ちゃうやろって思われて当然でした。ただ、子供やとそういうことに気付けないので自分が周りに流されているただの偽善者やと幼少期に気付けたのは良かったです。親もそう思っているのなら尚更こんな無駄な行事を廃止しても問題ないし、聖書に反して嘘をつかずに済むならいいことです。少し話が逸れてしまいましたが、母の日の起源について述べます。

【母の日の起源】

今回は諸説ある中から亜米利加発祥やとされる説を紹介します。
亜米利加のウエストバージニア州出身のアンナ・ジャービスが、千九百八年に亡くなった母親をキリスト教会で追悼式を行ったことが由来とされています。その際に、亡き母親が好きやった白い阿蘭陀石竹(カーネーション)が配られたそうです。それが転じて日本では、明治後期に母の日を祝うようになり、大正にキリスト教会や日曜学校等で祝うようになり、昭和に森永製菓というお菓子の製造会社がhttps://www.walkerplus.com/article/1028543/

森永母の日大会を毎年開催するようになり、世間で大々的に周知され、営業戦略が成功し、まんまと庶民は引っ掛かりそれに伴って企業の商売合戦が各地で定着しました。また、阿蘭陀石竹は母子を象徴する花言葉が多いことからも母の日に定番の花として扱われるようになりました。そして、下記のサイトでどこから知ったのかは不明ですが誤情報を見つけました。聖書にはこのような記述はありません。


また、カーネーションは『母子』を象徴する花でもあります。十字架に架けられたキリストを見送ったときに、聖母マリアが落とした涙からカーネーションが咲いたという逸話が聖書に伝えられています。この話が基となり、母性や母性愛を象徴する花と言われるようになったのです。

「母の日」の由来は?意外と知らない
日本で始まったきっかけと歴史
https://dime.jp/genre/1119137/

また、下記のサイトではカトリック教会で人間である聖母マリアを讃え、聖書に書かれておらず、行うようにと神からの御指示がない聖母祭が行われているそうです。


世界各地のカトリック教会では、この聖母マリアを讃えるいろいろな聖母祭が行われてきました。5月の一か月間、毎朝、教会でロザリオの祈りをささげたり、聖母マリアの歌を歌ったりして、5月31日は、その締めくくりとして、荘厳に聖母マリア行列をする教会もあります。

キリスト教学Ⅰ 第4講 聖母マリアと祈り①
https://www.sakuranoseibo.jp/common_list/24898/


聖書を読んだことがある人は知っていて当然ですが、偶像崇拝はモーセの十戒で禁じられています。神であられる主イエスが受肉され、その主イエスを生んだ肉の母親やからとかそんな言い訳は通用しません。聖母マリアという偶像を造って神以外を崇める行為は聖書に書かれていない祭りを祝っていることであり、偶像崇拝、偶像礼拝なのは明白です。
出エジプト記二十章四節~五節
「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。」

そして阿蘭陀石竹を母親に贈る際の色についても下記サイトではどこから知ったのか不明ですがどこぞのにわかクリスチャンの間では聖書に記述が無いのにこのような作り話があるそうです。

今では赤いカーネーションが定番ですが、始まりは白いカーネーションでした。ではなぜ白から赤に変わったのでしょうか?
クリスチャンの間では、白いカーネーションは、十字架に架けられる前のキリストとマリアを表し、赤いカーネーションは、十字架に架けられた後のキリストの赤い血を表しているといわれています。
アンナの母はクリスチャンだったので、アンナも、カーネーションの花の意味を知っていたでしょう。
その後こう区別するよう提案されました。
・母が健在の人は赤いカーネーション
・母を亡くした人は白いカーネーション
(白の方が健在を表しそうですが、アンナは亡くなった母に白いカーネーションを送ったからでしょうか?)
しかし、これにより気持ちが傷つく子どもがいるのではないか?という声があがるようになり、赤いカーネーションが定着するようになりました。

母の日の豆知識
https://www.shop.post.japanpost.jp/column/mother/mother_yurai.html

もう一点、カーネーションとインカーネーションをかけて阿蘭陀石竹を贈ることになったという話の根拠となりそうなものを見つけたので引用します。

インカーネーション
いんかーねーしょん
incarnation
神が人間の形をとること。「肉体化」を意味するラテン語インカルナーティオーに由来する。受肉託身ともいう。神が一時的に人間の姿に変わることとは区別される。インカーネーションの思想は種々の宗教のなかにみられるが、とりわけキリスト教では、三位(さんみ)一体の第二位格である子が、イエスにおいて人間として歴史に現れたことを意味し、基本的な教理となっている。ここには、イエスは「真の人」であり、「真の神」であるという逆説が含まれる。この教理の主要な聖書的根拠である「ヨハネ伝福音書(ふくいんしょ)」(1章14)は、世界に先だって存在し、神の世界創造に仲保者(ちゅうほしゃ)として関与し、永遠の命をもち、神ともよばれる「言(ことば)(ロゴス)が肉体となった」と宣言している。こうしてイエスは神としてのロゴスの受肉者であり、神の完全な啓示者であるが、人間に対する神の救済的意志の啓示は十字架と復活に至るイエスのできごと全体において与えられるので、受肉の教理はそのすべてにかかわる。

コトバンク
https://kotobank.jp/word/

知らなかったとはいえ、本来は日本の風習でもなく亜米利加のキリスト教発祥であり、それに乗じて明治にカルト宗教から日本に広まり、森永製菓の営業戦略によってここまで大々的に周知され恒例行事になっていたとは今回、私も調べるまでは知りませんでした。なんとなしに皆がやってるから、恒例行事やからと何も考えず多数派に属することの恐ろしさが身に沁みました。
上記の内容で母の日は日本の風習ではないこと、亜米利加のキリスト教が聖書に記述の無い習慣を広めたこと、明治に日本のキリスト教で広まったこと、それに乗じて森永製菓が母の日大会を毎年開催し世間に広めたこと、にわかクリスチャンが白の阿蘭陀石竹は十字架に架けられる前の主イエスとマリアを表し、赤色の阿蘭陀石竹は十字架に架けられた後の主イエスの赤い血を表し、そしてカーネーションとインカネーションをかけて主イエスを侮辱し、聖書を貶していることがお分かりいただけたでしょうか。キリスト者を目指している方は勿論、聖書を知らない人でもこのようなカルト宗教の行事やと知るともう率先して参加することもなくなると思います。

【父の日の起源】

続いて父の日も解説します。  
こちらもやはり亜米利加のキリスト教会が発祥だそうです。今回はこちらの説を紹介します。

1909年にアメリカ合衆国ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド[1]Sonora Smart Dodd)が、手一つで自分を育ててくれた父を讃えて、キリスト教会牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた[2]。当時既に母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。

父の日
Wikipedia

母の日も父の日も起源は両親を敬おうとする子の気持ちであり、悪いことではありませんし良い行いやと思うのですが、なんで亜米利加のキリスト教会の牧師はそれらを利用し、このように聖書に記述が無い習慣をつくりたがるのか理解できません。母の日が千九百八年にでき、翌年の千九百九年に父の日がつくられました。日本に伝わったのは千九百五十年代とされています。そして、父の日には黄色い薔薇を贈るのですが、何故、薔薇なのかと言うと父の日ができるきっかけとなった上記で引用したドット夫人が、亡き父親の墓前に白い薔薇を供えたことが由来だそうです。欧米では、母の日とは真逆で既に亡くなった父親には白い薔薇、健在の父親には赤い薔薇を贈るそうです。真逆であっても白い薔薇は天国の父親に贈るという名目なので、反キリスト行為であると言えます。何故、我々被造物でしかない人間が天の父なる神と主イエスを差し置き、人を勝手に裁いて天国にいると言えるのでしょうか。聖書にはこう書かれています。

マタイによる福音書 七章 一節
「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。」

御言葉に反して勝手に人間の考えからなる価値観や物差しで他人を裁くことはやめましょう。

日本では黄色の薔薇である理由は千九百八十二年にhttps://fdc.gr.jp/jigyo1/

「FDC日本ファーザーズ・デイ委員会」が開催する「父の日黄色いリボンキャンペーン」が影響されているようです。また、「素敵なお父さん」とされた著名人に贈られる「ベスト・ファーザー賞」が始まったことから販売戦略として、父のを取り上げたことによって認知度が広まっていったそうです。父の日も母の日同様、商売戦力から周知され、日本の恒例行事になったようです。最後に他国では聖書由来として父の日を祝っているそうなので下記サイトから引用します。

伊太利亜
イエス・キリストの家系図上の父ヨセフを記念する「聖ヨセフの日」が父の日として祝われています。当日はゼッポレというお菓子を食べたり、手紙やプレゼントを贈ったりするそうです。ポルトガルやスペインなど、欧州のカトリック系の国々では3月19日を父の日としているところが多いようです。 

独逸
キリストの「昇天祭」のときに、「父の日」と「男の子の日」が一緒に祝われます。昇天祭は復活祭(イースター)を1回目と数えて6回目の日曜日のあとの木曜日。毎年日付が変わりますが、おおむね5月中になります。お父さんに感謝を伝える日というよりは、お父さんたちが集まってお酒を飲んだり食事をしたり、外で存分に羽を伸ばす日として親しまれているそうです。

父の日はいつから始まった?由来・起源と海外での祝い方
https://kizamu.com/archives/fathers-day-origin/

日本ではあまり馴染みがありませんが、諸外国では聖~〇〇と言って聖書に登場する人物を神聖視し、記念日を設けているようです。こちらも聖書に記述の無い記念日なので祝う必要はありません。また、独逸は昇天祭や復活祭というものがあるらしくこれらどちらも聖書に書かれていません。このように聖書由来と見せかけた偽りの祭りごとが数多く存在し、日本でも今回の母の日や父の日のようにカルト宗教由来の行事に知らずに参加しているかもしれません。どうか世の常識に囚われず、今までの先入観を捨て、当たり前とされている慣習や恒例行事等を疑って皆様自身でお調べください。そして、この世で行われる反キリスト行為に加担しないよう共に気を付けましょう。

憲法改悪も差し迫っており、残された時間はほんまにもう長くありません。時間がある内に聖書を手に取り、世に期待するのではなく、主イエスの再臨に希望を持って日々悔いのないように生きましょう。

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