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【ss】ウサギの隣人

 心理学者はこの世のおおよそが心で観測できるものしか無いっていう結論を出したくて急いでいる。作家は言葉の無いところからこれは「パ」にしよう、だとか「ン」と続けよう、とかいう才能で明日の空腹を先送りに生きる。警察官は皆んなの一生にどれほど関わらないようにできるかの創意工夫で幸せの尺度を測る。

 じゃあ、女子高生は何をしたくて急いで生きて幸せとすればいいんだろう。

「しぃちゃんは哲学者だね」

「それ以前にまだ女の子でいてぇな」

エリがスマホを撫でて可愛がっている間に、わたしは花瓶のデッサンを紙の上へだいぶ落とし込んでしまっていた。放課後の西日、さようならの声、下駄箱のローファーのタップ、全部が邪魔だった。

「少し……」

「なあに」

「わたしは少し苛つき過ぎてんじゃねぇかって」

「じゃあお絵描き休憩」

「あ、」

そう言ってするりと鉛筆が奪われるとエリの攫った2Bは透明を描き、わたしの世界の集中をぷつりと線切ってしまった。

「たまにはもっと柔らかい発想がいいものをもたらす……かも」

「3Bに持ち替えるとかか?」

「芯の柔らかさじゃないよ! 見て。誕生日に欲しいもの決めたの。月の土地。良くない?」

寄せた椅子から差し出された液晶の光が綺麗だ。

「今どうでもいいこと考えてたでしょ。ちゃんと見て」

「わあった、わあった。……少しお高い……んじゃね?」

「千円だけ分けてプリーズ」

「なるほどな」

この先、職業も男も女も医療も勉強ももうなーんにもどうしようもないボケボケのおばあちゃん二人になったら、一緒に月に行こうよ。そう言ってエリは笑った。

「でもしぃちゃんはね、」

彼女は続ける。

「死ぬまで哲学を止められない。喉が渇いたら水を飲むみたいに考えてるの。ずっと当たり前なの、きっと。だからこっちはこっちでそんなしぃちゃんが住むだけで、哲学してるだけでいいように月を少し買っとく。いいでしょ」

「え……じゃあ引っ越しは」

「サカイ引越センター」

「そうじゃねぇよ。月の表か裏か」

エリがしばらくツボってめちゃくちゃ笑っていた。

「えっと、えっと、裏……! 裏がいいです」

「安そうだよな」

「あと永遠に深夜テンションでいられそう」

「ボケボケのババア二人はもう人生の深夜だろ」

「朝は四つ足、昼は二足、夜は三つ足」

「深夜はキャタピラー」

「なんで!?」

「いや、月ってボコボコしてるから車椅子がキャタピラーなんじゃねぇか?」

エリがしばらくツボってめちゃくちゃ笑っていた。わたしは千円札を出してピラピラとエリを扇いだ。

「はー、はー、苦しい、苦しい、苦しゅうない」

「どっちだよ」

新居が頭上に用意されている。哲学者は、女子高生の形をして光っていた。

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