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【ss】人類参加賞

「本初子午線を倒さずにはやく飛び越えた方が勝ちね」
夜のコンビニからの帰り道で、彼女は、まるで向こうの街灯を目指すみたいにそう簡単に言い上げる。僕は咥えたバニラバーの甘さに酔いながら、話半分に突拍子の無さを受け流した。
「それって結局どっちがどうしたら勝ち?」
「どっちも優勝」
「金メダルが二枚だ」
オリンピック委員会は予備の金メダルを何枚用意しておくんだろうか。選手全員が示し合わせた奇跡のように世界新記録を出すことも可能性としてあり得なくはないのに、人類が酷く呑気に思えて、笑えた。
「本初子午線はどうやって飛び越えるの?」
「……夜をね、」
その子がどう適当を吹かすのか、それとも考え込んでるのか、僕には見分けがつかない。

とても深い夜だから。

「夜をね、上手く早く越えるには、馬鹿みたいに明るいコンビニから背を向ける必要があるのは確か」
「じゃあもう始まってるんだ、海を跨いだハードル走は」
「そうかもね」
早く夜に行かなくちゃ。夏を吸って夏に変えなきゃ。蒸し暑い中、アスファルトがふかふかとつっかけサンダルの歩みを吸収する。
 季節のせいで全部柔らかく溶ける。僕らは紺色の濃厚なキャラメルみたいに宇宙になる。空気を満たす夜と、暗闇にぼうっと浮かび上がる齧りかけのバニラバー。
「息がしにくい」
僕が言うと、
「あっついからね〜」
彼女は返す。
「そんなんじゃ夜は越えられないぞ」
薄い光が黒くてまあるい彼女の目に微かに反射した。ご機嫌に酒気帯び闊歩をしながら、車道の真ん中に、不意にふらつく。
「何してんの。危ないよ」
「自殺」
僕の喉元にヒヤリとした彼女の言葉が突き立った。
「私が今夜を越えるのをやめたら、金メダルは一枚でいい
もん」
「やめろよ」
「いいの。小さい自殺。死ぬつもりで、気持ちだけ死んだ」
そのままふにゃっと笑う。
「死ぬって気持ちい〜」
「ばか」
僕は夜そのものになろうとするその人の腕を強く歩道に引っ張った。
「もう馬鹿だもん」
「ばか」
どうしようもないんだ。
 今夜を上手くやり過ごさないと。彼女が壊れる前に。煩くて細かい羽虫が隙間で死んでいる町内会の掲示板。行方不明児童と同じ顔をした彼女が、薄い夜明かりに照らされて不機嫌そうにプリントされている。
 紺色が青に、青が水色になるように、水色が白になるように、どうにかなりそうな夜も、じわりじわりと朝になる。その手前で、日付変更線に抗う僕らは、「うっかり産まれてしまった」をお互いの内側に溶かして、夜更かしし合う。
 ずっと夜へ。ずうっとずっと眠れない青へ。

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