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ぼくはボウズにした。

先日、ボウズにした。

釣果が全くない、という意味ではない。
ぼくは釣りをしないので、間違って捉えていたらごめんなさい。
せどりでも、ボウズというらしい。
せどりもしないので、わからないけれど。

世にいう、丸刈りである。
我が家にあるバリカンでザックリとやってみた。
3㎜ほどに刈ってみた。
正直、スッキリしたんだが、
実際に手を動かしたのは、妻だ。
やってみた、ではなく、やってもらった。
が、正解。

何にせよ、そこそこに長い髪をバッサリとやった。
見た目の変化はそこそこに激しい。

元々、ぼくは散髪があまり好きではない。
面倒くさいのだ。
大体、2ヶ月半~3ヶ月に一度切る、というスパンで切る。
それがたまたまだが、4~5ヶ月ほど切れない期間があった。
忙しかったり、中々時間が取れなかった。
というよく言ったり聞いたりする『言い訳』を使った。
究極、面倒くさかったのだ。

そこに加えて、新型コロナだ。
COVID-19だ。
緊急事態宣言が今か今か、と言われていた時だったのだ。
これはいかに自身が面倒くさがりであるとか、関係ない。
切りたくても切れない、行きたくても行けない。
そういった状況になってしまった。

もちろん、開けているお店もある。
探してはいないけれど、ウェルカムなお店もあっただろう。

商売柄、顧客のお店で切る。
お互いに立場上、うつす訳にもいかず、うつされる訳にもいかず。
ぐだぐだと考えている間も髪はのびる。

どうしよう?
いっちゃうか?
でも、もしもを考えると…。

で、気付く。
バリカン、あるじゃん、持ってんじゃん。
そして、3㎜になる。

ぼくが考えさせられたのは、この後だ。
通気性があがって、涼しくなった!
とか、
シャンプー含めた、シャワータイムが短くなった!
とか、
寝ぐせなおしたり、ヘアセットに時間をとられなくなった!
とかではないのだ。

ボウズにした、という事実に対し、
反応がパックリとわれていることだ。
キレイにオン・オフとわかれたのだ。

良し悪し、合う合わない、ヤンチャくさい、頭骨のカタチがよい、などなど。
そして、オンの人々は好意的、オフの人々は気付いておきながら、気付かないフリをして、その上であまり良い空気をださなかった。
なぜだろう?

ぼく自身は見た目の変化をいじられる事はキライではない。
それどころか、いじられないのはサビシイと感じる人間だ。
世間で、時折、それは「ハラスメント」と評されるけれど。

そう、見た目の変化に会話で触れるのは
「ハラスメント」
として扱われてしまう事があるのだ。

でも、ぼくはキライではなく、変化に触れられないことを寂しく感じる。
世間では、「セクハラだ」「パワハラだ」と上げへつらう。
セクシャルな意味合いも、上からな意味合いも【字面】の上では見受けられない。
つまり、文字では表されないところに「ハラスメント」は存在しているらしい。

それはどう考えても、どれだけ考えても、つまるところ、
『好きか、嫌いか』
でしかない。

そして、それは逆方向にも、ある意味、「ハラスメント」ではないのか。
無意識、もしくは無自覚に(これも如何なものか、とは思うけれど。。)
「変化したこと」に触れてしまったが故、
嫌そうな顔をされたり、直接ないしは間接的に、
「セクハラ」だと言われるのだ。
あくまでコミュニケーションだ、と捉えていた人には寝耳に水。
さらには直接「嫌い」と伝えているようなものだ。
これはこれで「ハラスメント」じゃん、と思ってしまったのだ。

全てを我慢しろ、ではなく、
世界は、TVや映画で表されていたりする、
「あからさまなハラスメント」
で埋め尽くされてはいない。
相互理解。
そこにはお互いの歩み寄りが必要で、
無意味に、無闇に【スキ・キライ】とゼロヒャクで捉えるのは
とても「つまらない世界」の出来上がりだ。

せっかく生まれ落ちた世界。
たのしいに越したことはない!
自らつまらなくすることはない!
そう、思うのだ。

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