つじつまのあわないひと
つじつまのあわないひと。それは私の母親のことである。
今年81歳になる母はマンションで一人暮らしをしている。一人暮らし歴は10年以上になるが、室内はいつも整えられ掃除が行き届いており、きちんと自炊もしていて、運転もしている。10年前からほとんど変わっておらず、元気で持病もない。認知症などもなくこのままずっと元気でいてくれるんじゃないかと思ってしまう程頼もしい。
そんな彼女は昔からどうもつじつまが合わない人である。
先日、お米をたくさんもらったからあげる、との連絡があり久々に訪ねた。お天気も良く、母曰くせっかく車にカーナビがついているのに使い方がわからないから教えてほしいという。ではドライブがてらカーナビを設定しようということになり、車で40分くらいの距離の神社へ出掛けた。
無事にカーナビを設定し、神社への参拝も済ませるとお昼時になっていた。
「どこかでお昼たべようか」「いいね、行こう」
車中でお互いの近況を報告したり、とりとめのない話をしていた時に最近の食生活の話になった。
「最近ねお魚が苦手になったわ。匂いが臭くてね、食べられないのよ。お寿司屋さんへもし行くなら、卵かかっぱ巻きくらいしかだめだわ。」
へえ。好きだったのにねえ。残念だねえ。
「そうだ、有名なお店があるの。美味しいからそこ行こうか。」
はいはい、いいですよ。
と、到着したのは海鮮の専門店。
いいのか、と聞けばいいのだ、言う。頼んだのはごりごりの刺身丼。量も多く刺身もどんぶりからはみ出るほど大きい。
いいのか、と聞けば、いいのだと言う。食べながら全然臭くないわ、と言う。いや充分魚臭いよ。
こんな母だが、決して高齢でにぶくなっちゃってる訳ではない。昔からこんな調子だ。
甘いものが嫌いだといいながら、なぜかチョコ菓子がある。誰が買ったのかと聞けば、「私よ。」そして食べる。
「安いアイスを食べると夜中に吐いてしまうの」と言いながら後日スーパーで安いアイスを買ってくる。食べている。
「美容院で伊勢神宮の話をしたら、美容師さんたら、あんなに人がたくさん来る場所は邪念だらけでパワースポットじゃない、なんて言うのよ。おかしいわよね、あの有名な伊勢神宮がそんなわけないわ。」
後日わたしが、ハワイのマウイ島のパワースポットに行ってみたいと話すと
「あらやだ。ハワイは観光客だらけで悪い気がたくさんよ。パワーなんてないのよ。」とばっさり。
「この前ボランティア仲間のおじさんに軽自動車に乗っている事を馬鹿にされたのよ。でもね、本人は外車に乗っててとてもいい人なの。とてもスケールが大きな人よ。」どういう計りのスケール?
そのつど突っ込みはいれてきたが、「あらそう?」で終結してきた。
結婚するまでこの母と暮らしてきたので、もう慣れている私はいまさら不思議にも思わないが、他の人はどう思うのだろう。
孫である娘にきいてみると
「かなりのおもしろさ。あと冷酷さもおもしろい。」
冷酷さ。そうだ、冷酷さも。
義理の母のお葬式で喪の着物を着て参列する私を見つけ、そっと耳打ちしてくる母。
「あなた、とても太いわ」
今言う必要が??ひどくない?
つじつまがあわない上に冷酷。完全にちょっとおかしい人だけれど。
でもこのおかしさは可笑しさだと思えるのが母の人徳なのかもしれない。
81歳でも友人は多く、沖縄だのインドネシアだのと出かけているし、外国人に日本語を一緒に教えているボランティア仲間もいる。それにこのおかしさと冷酷さはもしかしたら身内向けのものかもしれない。
よくよく考えると、普段とてもしっかりしていて、孫にも嫁にも好かれ、穏やかで自分の身の回りをきちんと整備して生活し、言葉遣いも良く、どこか品の感じられる(と人から言われる)母がそんなふうだから可笑しいのであって、口が悪く、汚い部屋に住んで文句ばかり言うような人なら、全然可笑しく無いわけで、ふり幅の問題なのかもしれない。
あんなに綺麗なのに、すごく庶民的で地味でおしゃれに疎いとか、外見はイケメンじゃないけど、トークが面白すぎてモテるとか、コワモテな雰囲気で怖そうなのに実は気が小さくて優しいとか。
ふり幅があればあるほど、人間は魅力的で面白い。
今年も何事も無く元気に過ごせた我が家。
母も元気でいてくれたことに感謝して、年末年始の我が家の旅行に誘った。
「せっかくの家族旅行なのにお邪魔虫なんじゃないの?」
というので気にしなくていいと言うと、とても喜んで楽しみだと言った。
「連れて行ってもらうんだから何も希望はないわ、お任せします。」
後日連絡があったのはいうまでもない。
「部屋は分けてね、人がいっぱいだと私眠れないのよ。」
今日も今日とてつじつまが合わない。
いつまでも元気でいてください。
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