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小説:A curse 少年と記憶

※グロ・流血・差別等の描写が有ります。
閲覧は自己責任となっています。

少年と家


 1

 君がツラいのは分かっているよ。君はとてもツラい思いをしたね。君のペースでゆっくりやるといい。
 カウンセリング。うんざりする程そんな言葉を投げかけられた。
 最初はとてもありがたかったが、途中から話をする度にあの時の――僕の友人やマリア、そしてケイの事を思い出す。そして話を変えなければと両者は思ったのだろう、最終的にはいつも世間話で落ちついた。
 それでも悪夢で夜中に飛び起き、暗闇を恐れる。と、いうのが減ったのは、季節が変わり雪が積もった頃だった。

「本当に大丈夫か?」
「大丈夫、約束だったし。結構楽しみにしていたんだよ」
 何度もそう問われて何度も同じように答える。バスで数分、そして林の中に入る。
 僕を含めた五人がそうして「お化け屋敷」と称される家に着いたのは昼前だった。
 ここには昔、妻を亡くした男性がいた。男性は消息不明になり、空き家になった。……だというのに、中から声が聞こえる。複数人の影が見える等々……そんな噂が絶えない。
 祖父の家に遊びに行く前、ここを探検する約束をしていたのだが、「色々あって大変だっただろう」と勝手に僕だけメンバーから外されるところだった。
 確かに、前は探索する事について嫌悪を持っていたが、今はあの事件から少しでも逃避したいのだろうそれでも頼んで友達についていってこの有様だ。やはりついて来なければ良かった。
 各々武器になるであろう、けれど職務質問されても問題無いような自称武器を持参してくる。筆箱の中にはカッター、野球をすると偽って持ってきたバッド、僕は悩みに悩んで結局懐中電灯だけで何も持って行かなかった。
 家は普通の一軒家、にしては小さい。窓ガラスは汚れていて覗き込んでも室内は見え難いだろうなというのが遠目でわかる。
「入る?」
 誰かが聞いてくるが、誰も答えなかった。
 この怪しい雰囲気に既に飲み込まれているのだろう。少し遅れてから「入るに決まってんだろ」とこの探検の提案者が先に進む。一人取り残されるのが恐ろしい僕を含めた四人も彼の後について行った。
 ふと、僕は先程から鼻を刺激する異臭が気になった。
「臭い」
 思わずそう呟いてしまった僕の一言に、皆がギョッとして動きを止める。一様にクンクンと鼻を鳴らしながら臭いを嗅ぎ取ろうとして首を傾げた。
「どんな匂い?」
「なんて言えばいいんだろう……。でも、すごい臭い……」
 家に近づくにつれ、臭いは益々酷くなっていく。鼻で息をするのがツライ。気づけばしゃがみ口でハァハァと呼吸しているのは僕だけだった。
「やっぱり疲れだろ? すぐ戻るからココで待ってろ」
 待って、と言葉に出なかったのは突然濃霧が発生したからだ。ミルク色の濃い霧はまるで彼らに纏わりつくように発生し、勝手に進んでしまう彼らを包み込みながらそして林全体に広がり――……そしていなくなってしまった。

 2

 濃霧はまるで彼らについて行くように移動し、再び視界が戻ってくる。確かに林には濃霧が纏わりついているのに僕の周りだけは霧が存在していない。
「なんで?」
 呟いて悪臭に吐き気がする。最初こそ動物園に行った時嗅いだ臭いだと思ったが、それを何十倍にも圧縮させたような酷い匂いだ。
 数分、吐き気に苦しみながら、それでも人間の体というのは良く出来ているもので、とうとう鼻が違和感を持たなくなってしまった。慣れ、というよりは嗅覚がマヒしたのだろう。
 置いて行かれた僕はそっと家に近づき窓を覗き込む。中は綺麗で埃一つ無いように思える。と、突然視界が暗転した。
 エレベーターに乗ったような浮遊を感じながら、視界は空が下に、地面が上に移り、グルグルと回転を続け、そして半身に痛みがきた。
 視界が回り、頭も回り、そして一層増したこの悪臭。今度こそ僕は嘔吐した。
 地面に両手をつき、ゲホゲホと胃液を吐き散らしながら、手が土に触れていない事に気が付いた。
 爪を立ててみてもガリガリというだけで掘る事すら、土の感覚すらない。薄目を開ければ眩暈こそない、涙で歪む視界に映るのはフローリングだった。
 驚きで吐き気が吹き飛んだのは幸いだった。ばっと顔を上げればそこは今さっき僕が窓の外から見ていた部屋の中だった。
「何だこれ、皆どこにいるんだよ」
 友達の声に僕は窓に駆け寄る。
 外は濃霧だ。あまりの霧の濃さに外の景色が全く分からない。ただ様々な方向から困惑の声があがる。
「僕はココだ!」
 そう声を上げて部屋の奥で何かが割れる音がした。グラリと視界が歪む。
 あぁ、これは、まるでこれはあの時のようではないか。
 冷凍された遺体、食人、ノコギリ、血、友人の死、何も悪くない少女の死――……。
 嫌な事を思い出す。
 また会いたいと思っている友人が、死ぬべきではなかっただろう少女が、鮮明に思い出される。ここは幽霊屋敷だ。吸血鬼とはまた違う。幽霊はあの吸血鬼まがいのように物理では殺してこないだろう。
 連れ去り、だとしたら今まさに僕はこの家に連れ去られた。逃げなければと窓を開けようとしたが全く動かない。
 生活感のある部屋が益々恐ろしいと思った。埃一つない、カーテンは綺麗、ベッドメイキングはされている
「どこがお化け屋敷なんだ?」
 もしかして、ここにいるのは、隔離された生きた人間かもしれない。
 幽霊より怖いのは人間、という話を聞いたことがある。現に今年の夏、僕が体験したのも生きた人間がしでかしたことだ。
 周囲から再び物音が聞こえないか確認しながら僕は扉に近寄り静かに開ける。ドアは静かに開いたけれど、人の気配が、パタパタと走る足音が僕の心臓を凍らせた。
 足音は僕の後ろで止まった。悪臭が、再び強くなる。肩に手を置かれ僕は叫びながらその手を勢いよく振り払った。
 ベチャリと、不快な音が聞こえる。
 振り返れば驚愕した顔の女性が立っていた。ブロンドの髪、綺麗な顔、大人しそうな雰囲気、僕に振り払われたので驚いたのだろう表情は明らかに普通の人間だった。けれど、延ばされた手は、ちょうど手首から存在していなかった。
 手首からは血ではなく黒いドロドロとした何かが垂れ落ちている。壁はそんな泥みたいな物で出来た手がぶつかったのだろう酷く汚れていた。

 3

 女性は怒っているような今にも泣きそうな顔をしながらヨロヨロと僕に近づいてくる。何かを話そうとしているのだろう口を開閉されているが悪臭を放つばかりで音にならない。
 そんな彼女の後ろで、彼女と全く同じ顔つき体格服装女性が部屋から出てくる。そして、僕に、女性に気が付きのそのそと近づいてきた。
 手前の女性は手首が無いが、後ろの女性は歩く度にグチャグチャと足を擦り減らしていた。足の親指が取れ、中指が取れ、小指が取れていく、彼女に痛覚というものは存在しないのか同じように口をパクパク動かしながら僕へと手を伸ばしてくる。
 それ以上見る事は耐えきれなかった。
 僕は悲鳴を上げ、滅茶苦茶に走りだした。
 ここはあの夏に閉じ込められた屋敷とは違う。小ぢんまりとした家だった。その上、僕は恐怖に支配されて何も考えていない。走った先が行き止まりで、見えた扉を開ければ掃除置き場だった時、今度こそ僕は気が狂いそうになった。
「息しないで」
 覚悟を決めて走り抜けようとした際、上の方から声がし、炸裂音が立て続けに起きた。
 女性の頭、肩、背中が撃ち抜かれていく。ドチャドチャと不可解な音を立て倒れていく彼女たちは一瞬にして泥になった。フローリングに広がる泥はもう人の形などない。その泥から発せられる悪臭が喉に痛みをもたらす。
「踏まないようにして。穢いから」
 上を見れば、ちょうど二階から女の子の顔が見えた。
「ケイ!」
 思わず僕は彼女の名前を呼んでしまう。ケイは笑いもせず、ただ不満そうに目を細めると溜め息をついた。
「会いたくないって言ったのに……。霧払いしたのにダメだったのね」
 今年の夏、僕は彼女によって助けられた。『ケイ・アッシュホード』と名乗る女の子は『自称、魔女』らしい。あの時も吸血鬼の噂を聞いて依頼を受けたようだが。……という事は今回も魔女が出なければいけない案件なのだろうか。
「霧? あの濃霧は君が出したの?」
「うん。危ないから入ってこないようにしたの。あなたが単独行動をとったから囲い損ねた」
「わざとじゃないよ。臭くて気持ち悪かったんだ。周りの人には分からなかったみたいだけど……臭いよね?」
 僕は泥を踏まないようにしながらケイの元によっていく。
 ケイは魔女らしからぬフリルのついたリボンの髪飾りとそれに合わせた可愛らしいコートドレスの姿だったが、片手に持つのはそれに似合わぬ拳銃を持っている。
 魔女と自称する割には武器が銃なのだからちぐはぐすぎる為未だに信じられない。
「うん。当然だと思う。ここに入ってこれたなら、呼ばれたのね。引き寄せの呪いもあったからしかたないわ」
 ケイは拳銃に銃弾を装填している。けれど、今回のは実弾ではなくBB弾のようだった。

 4

「今回、実弾は要らないと思う。勝手な動きされたら迷惑だから言っておくと、ココにいるのはホムンクルス」
「ホルンクルス……?」
 装填が終わったのだろうケイはようやく僕を見た。が、その視線はとても刺々しく痛い。馬鹿にしているのが、手に取るように分かる。
「ホムンクルス。人造人間。さっきの彼女がそう」
 わざとゆっくり発音し彼女は言い、床に広がった二つある泥の塊を指さす。
「パラケルススが行った人造人間の錬金術。簡単に説明するとヒトの精液、ハーブ、人糞、血液……他にもあるけどそれらを使って出来ている。それにこれは失敗作だから余計臭いの」
 最初言っている意味が分からなかった。バラケ……というのは人間の事を指しているのだろうか。けれど、途中から理解できたのは、この泥は人のクソと血で出来た……。
 人造人間を創る気持ち悪さとこの泥の正体を知って僕は再び嘔吐しかけた。
 四つん這いになりゲホゲホと咳き込む僕をケイは再び溜め息をついて見ている。しかし、冷たい目のまま、僕の背中を撫でてくれるあたりまだ優しさというものをこの魔女は持っている。それでいて、僕から急激に嘔吐感が減ったあたり、何か魔法でもかけられたのだろう。
「僕らココで声を聴いたり。影を見たりって噂を聞いてここに来たんだ。あながち間違いってわけじゃないよね。女の人だし」
「うん。その影がホムンクルス……この泥で出来た女性だと思う。この家から出られない代わりに量産してるみたい。私はそれを止めに来たんだけど――……」
 ケイはそこまで言うと、不意に拳銃を抜き突然後ろに発砲する。
 その先には同じように表情が読めない女性がいた。額と撃ち抜かれたホムンクルスはドチャリと音をたてて再び泥……人糞と血液で出来上がった泥に還っていく。
「ホムンクルスがこうも多くて邪魔なの。野次馬も来るし」
 呆れるケイが称した野次馬というのは僕たちの事だろう。
「手分けして探す事は出来ないからついて来てくれると嬉しい。ついて来なかったら見捨てるけど」
 僕が謝る前に相変わらず冷たい物言いで発言を潰す彼女に怖さを覚える。夏、あの時もそうだった。そうして惨めな僕はあの時のように彼女の後について行った。
「今回は魔女の仕事なんだね」
「そうね。前回は散々だった。沢山質問された」
 確かに都合よく銃を持っているのも、彼女がどうしてあそこに呼ばれたのかも説明は、理解は難しいだろう。
「魔法でどうにか丸め込めないの?」
 僕の発言にケイは心底呆れたようだった。舌打ちさえも聞こえたと思う。
「困ると魔法に頼るの、やめた方がいいけど。それにそんな事出来るなら……」
 彼女はそこまで言って俯くと、なんでもないと話をやめてしまった。

  

少年と彼女


 1

 この家はどこも掃除され生活感こそあるが、いるのはホムンクルスと呼称する女性ばかりだった。どの女性も同じような服を着、同じ顔で、髪形で、顔をプリントし貼り付けたような表情でここに存在している。
 そんな彼女たちをケイは同じく無表情のまま撃ち殺していく。
 実弾ではないBB弾のそれは彼女の頭、額、あるいは胸を貫通し、泥に変えていく。まるで僕らが強盗になったような感覚だ。
 ホムンクルスたちは何も表情を見せないまま泥になった自分そっくりの『ソレ』を掃除している。その様子を見、こちらに敵意はないのだと気が付いたのはこの家に侵入して数十分もたったころだ。
 人糞と血液で汚れたフローリングを彼女たちは雑巾で、モップで各々どこからか持ってきて黙々と掃除をする。まるで僕らが見えないかのように一心に手を動かしている様はなんだかとても哀れに思えた。
「作った人は、どこにいるんだろうね」
「分からない」
 ドラマや映画で見る、警官や特殊部隊の突撃よろしくケイも部屋の扉を右手でそっと開け、そして素早く銃を構えて入り口に立つ。少し扉を開けた時点で、麻痺した筈の鼻が再び異臭を察知した。
 ケイは少しも表情を変えず、その部屋を素早く目視しする。ホムンクルスがいないのを確認するとそこでようやく後ろで待機していた僕を呼ぶ。
 呼ばれた僕は、出来る限り音を立てないようにしながら彼女に駆け寄る。
 何か一つでも力になれたらとは思うけれど、家具を勝手に持ち出しホムンクルスの怒りを買ってはならないとケイに厳しく言われてしまった。
「どこにいるのか分からないけれど、やってはいけない事だと自覚はあるみたい。……それとも、この家から出したくないのかしら。ホムンクルスを制御する為の結界がある」
 見て、と指さす方向にはフローリングに書かれた白いチョークの魔法陣と黒い靄を出すフラスコ、そしてフラスコに血を注ぐ為の不思議な機械が置かれている。この強烈な異臭はこのフラスコからするようだった。
 ポタリポタリとフラスコに垂れ落ちる血液。
 透明なチューブが垂らされており、まるでフラスコへの点滴のようだった。それに加えて異様なのは、他の部屋と比べてここの部屋はなんだか熱が籠もっている。
「結構オリジナル要素が強いけれど、あれがホムンクルスを作る装置。毎日人間の血液を与えながら、馬の胎内と同じ温度で保温しなければいけないから。本来ホムンクルスはとても小さい人間が仕上がる筈。……なのに、ここにいるのは、成人女性。それが、何体も作れる事が出来るのだから、相当な技術と時間、血液となる犠牲がいる。どうしてこんな事出来るんだろう。あの人はそこまで上手じゃなかった。奥さんが亡くなってから確かに異様なくらいに熱心だったけど、色々足りなかったから」
 独り言なのだろう。ケイは早口に呟きながら吸い込まれるようにフラスコに近寄った。
 ふと、フラスコが吐く煙の量を上げた。
 それに呼応するかのように床に広がる模様が赤く染まりあがる。紙に水を垂らした水が一気に紙に染み込み色を変質させる。そんな事思い出させた。

『ホタル』

 女でもない、男でもない声が聞こえた。今にも消えそうな声が『ホタル、ホタル』と静かに連呼する。ホタル、というやや不明瞭な発音に僕は自国の言葉ではないとすぐ理解した。

 2

 いまいちピンとこない僕の代わりにホタル、という音に反応したのはケイだった。
 彼女は初めて表情を変えた。きりっとしていた顔からは血の失せていき、眉は八の字に下がり、瞳は恐怖で開かれる。
「オジサン」
 僕には意味の分からない言葉を彼女は呟く。白いチョークで描かれた魔法陣がフラスコの呼応で赤くなったが、今度はケイの足元から赤から黒に変色していく。
 ケイを魔法陣からどかさなければ、と思う前に煙を吐き続けるフラスコからベタリと泥が這い出てきた。それはモゾモゾと動きまるで生きているかのように身をくねらせている。
 黒い泥はゆっくりと形を変え、高く積もりあがり、そして僕の身長より大きくなると、足元から次第に色を、形を整え始めた。
 僕にとって、それは数分の、数時間の感覚ではあったが動けないケイを見ると数秒しかたっていないのだろう。
 その間にも泥は形を変え、整え、そして白衣の男性に変わった。癖のある黒髪に、黒い瞳、無精髭。……日本人だろうか。細身の男性が、そこに立っていた。
『ホタル。ドウシタンダ?』
 僕には分からない言語で、泥で出来た男性は言う。
 まだ泥が固まり切っていないのかケイへと伸ばされた手は、ボタボタと悪臭を放つ泥を落としていく。ケイはそれを振り払おうとも逃げる様子も見せず、ただ恐怖に固まりながらその手を凝視していた。
『ドウシテ、オレヲ、ミテイル?』
 泥が再びそう言うと、突然その足元から真っ黒に染まりあがった。
 泥のような色ではない。まるで、燃えていくかのように色鮮やかな赤から黒い焦げた色が足元から頭へと伸びていく。その急激な色の変化にヒッと声を上げたのは決して僕ではなかった。
 同じように不明瞭な言語。それでいて悲鳴のようにケイは何かを叫ぶと、容赦なくその泥とフラスコを狙撃した。
 撃たれた男は何一つ抵抗も見せずに、ただただ満足げにケイを見つめ口元には笑みさえ残しながら泥に還った。割られたフラスコは、中身を四散させ、そして瞬きをする間もなく魔法陣も跡形もなく消え去っていく。
 その一連の出来事は、本当に一瞬のような出来事だった。
 ケイは息を荒らげたまま銃をしまうよりも先にへなへなと脱力しその場に座り込んでしまった。
「ケイ……」
 座り込んだケイは頭を垂れたまま動こうとしない。震えている手からはBB弾が詰まっていた銃がカシャンと落ちた。
 床は泥とケイは撃ったBB弾で溢れかえり、汚れている。僕は傷心の魔女に何も告げる事が出来ずただただ見つめていただけだった。

 3

「フラスコを守るための防衛策。記憶と想いから出来上がる幻覚」
 何も書かれていない床を撫でながらケイはそう言ったのは、少し経ってからだった。
「あの人はね。私のおじさん。……夏、私たちを助けてくれた白髪のお兄さんを覚えている?」
 ケイの突然の問いかけに僕は頷いた。
 今年の夏、あの出来事で僕を助ける為に銃を使った眼帯をした白髪の男性。普段は冷たいケイが頼もしいから連れてくるといっていた人……。そういえば、先程の泥で出来た男性を雰囲気が似ているように思えた。
「さっきの泥は、そのお兄さんの親。だから私のおじさん。強盗にあって刺されて死んで放火までされたヒト。私は、あの人の葬儀で焼死体を見た」
 それはきっと思い出したくない過去なのだろう。ポツリポツリと呟くケイは今にも潰されてしまいそうだった。
「夜、黒い猫が棺桶の前から動かなくて……。きっと最後の別れを言いたいんだなって思った。別れを告げる為に棺桶には顔を見る為の小さな扉があるの。私はそれを開けた。翌日は火葬だから遺体もまだそのままだった。……昼には、昼見た時には顔の部分に写真があった。それくらい遺体は酷い状態になってたから気を使ってくれたのだと思う。でも、夜にはその写真はなかった。……焼死体を見てから、よく覚えてない。どうして見てしまったんだろう、とか、猫が何をしたかったのか分かれば良かったなんて、責任転嫁をずっとしてた。そうしたら、次第に先の事が見え始めたし猫が何を言っているのかも分かり始めた。皆異常って言ったけど、私は勝手な事をした罰だって思ってた」

 ――先の事が視え始めた。
 その言葉を聞いて僕は今まで見てきた彼女の食いつくような言動にようやく合点が付いた。僕の言葉を最後まで聞かずに答えられるのも、呼ばれる前に反応出来たのも先を見ていたからだと。そうして、祖母の猫が親しげに彼女の元に来るのも……。

「だから、魔女の組合に入ったの?」
 ケイは小さく頷く。
 そうして僕に喋ってしまった事を後悔し始めたのだろう。
 先程まで恐怖に揺れていた瞳は再びあの殺気だった緑色に戻っていく。目を細めて床を睨み、再び銃を握る手は力を籠めすぎているのだろう色を白に変えていた。
「無関係な話だったわ」
 僕の思考を肯定するかのように彼女は言い捨てると立ち上がる。泣いていたのだろう、袖で乱暴に涙を拭くと、魔法陣を消す為に床を二度程踏みつけた。
「消えた魔法陣はフラスコを守る為の罠。この魔法陣を踏んだ者の一番心にある死んだ人をホムンクルスにする。私の場合はおじさんだった。最低の罠」
 そうして今度はフラスコを銃で指し示す。
「おそらくここにいるホムンクルス、形は大きいけれど動ける範囲はとても狭い。たぶんこの家が限界。ここから反対方向、同じような魔法陣とフラスコがある。それらを繋ぐ直線のその狭い範囲でホムンクルスは動く事が出来る。ただ、形を維持するにはいろいろ足りないようね。少し動くだけでも泥に代わるようだから。依頼はすぐ終わるわ。あなたもすぐ帰る事が出来る」
 あなたはフラスコには近寄らないで。と、ケイは付け加えると大股で部屋を出て行った。

 

少年と記憶


 1

 傷心の魔女は、口を閉ざしたまま先に進んでいく。
 結界とやらが壊れて益々不安定になったのであろうホムンクルスは、ヒトの姿を留める事すら難しくなっているようだった。ある者はヘソから上を無くし、ある者は末端から泥に還元されていく。
 どれも泥に変わっていく、嫌でもそう自覚されるのに表情は変わらず、あるいは穏やかな笑みすら浮かべて床に身を散らす。
 異常は益々異常を起こし、踊るように身をくねらせて壁に激突し四方に泥を散らす者、近くにいた同じ顔を抱きしめ、その拍子で同時に泥に変わっていく者さえいた。
 世界の終わりのようだ。
 ヒトの形をした物が僕の目の前で全てを終わらせていく。同じ顔が、僕と同じヒトの形をしたカノジョ達の死はまるで一つの作品にすら思えた。
「雰囲気に飲まれ易いタイプ?」
「僕は魔女の君とは違って、ただの学生だからね」
 笑いながらそんな事を返す僕だが、内心はケイに感謝している。彼女の一言が僕を現実に戻してくれる。
 死に急ぐカノジョたちを見ていて平気でいられるわけがない。
 どこか取り残された孤独感を、そうして僕もカノジョたちを同じ行動をとらなければいけないのだろうか。と、さえ思わせてくれる。
 その中で生きたヒト、というのはとても心強かった。
「君は学生? 魔女の学校はないの?」
「魔女の学校なんて私は通った事ないわ。下手に知識を広めて危険に、自然を歪めさせる訳にはいかないから」
「秘密主義みたいな感じ?」
「技術職、機密情報だってある」
 BB弾を補充しながら彼女は言う。
 やはりその恰好、武器で魔女と自称するのはやや難しく思える。思考こそ読めないだろうけれど顔で判断したのだろう。彼女は不機嫌そうにトイレから出てきたホムンクルスに発砲する。
 泥――……。
 人糞と血液と精液で作られた彼女たちにトイレは不要ではないのか。人権すらない泥人形は、それでも人間のフリをさせられているのだろう。そう思うと不憫でならなかった。
「ホムンクルスを作った人はさ。どうして、こんな事に手を出したんだろうね」
「大事な人を失ったからでしょ。好きで好きでしかたないって一種の依存だと思う。……その依存先が突然いなくなったら誰だって耐えられないと思う」
「ケイは、あのおじさんが依存先?」
「心に強く残ってるっていうのは、好き嫌いじゃない。その中にはトラウマだってある――……とにかく、彼はそれ程あの女性を愛していたんでしょうね」
 ケイは淡々とそう言うけれど、言葉の端々に何か重いものを感じさせるような素振りを見せる。何か言えたらとは思うけれど、僕はそこまで出来た人間ではなかった。ただ俯いて異臭を放つ泥を見つめるしかできない。
 下手に慰めて何も分からないのに傷つけてしまう方が恐ろしいと思った。

 2

 二階の探索はあまり良い結果を見つける事は出来なかった。日記の一つでもあればと思ったけれどそんな都合よく情報は落ちていない。
「パソコンがない」
 少し経ってからケイが言った。
「持っていない、とか?」
「印刷機器はあるのにパソコンは無いの? 繋ぐコードもあるし、パソコンを一台置くのにちょうどいいスペースがあるわ」
 ケイは机の上に手を置きながら続ける。確かに机の窓なりにある小机にプリンターが置かれておりパソコンに繋ぐ優先は机の上に伸びたままだ。
「パソコンを持って逃げたのかも」
「行動範囲が極端に狭いホムンクルスを置いておくかしら……。でも、そうとも考えられるわね」
 机の引き出しの中に、目ぼしい物は無かった。
 それでも少ない本棚にケイの興味をそそられる物があったのだろう。
 彼女はまるで家主のようにその本を抜き出すと、持参したバックへしまっていく。あまりにも堂々とそんな事をしているが盗用で犯罪行為だ。
 咎めようとした僕に彼女は未来を先に見ていたのだろう。キッと僕を睨みつけながら本を仕舞う。
「それは泥棒だよ」
「見つかりもしない家主と口もきけないホムンクルスに了承を得るべきかしら? それとも犯罪行為だとするなら、あなたは不法侵入及び強盗のそれね」
 僕がそんなに憎いのだろうかと思わせる程、彼女は攻撃的にそう言いつけると五冊目の本に手を伸ばした。先程までの穏やかな彼女とはまるで違う、その豹変ぶりに僕は何も言い返せなかった。
 ケイはペラペラと紙を捲っていたが、ふと動きを止める。
「どうしたの?」
 僕は尋ねながら恐る恐る覗き込む。どうやら厚めの本はアルバムらしい。ホムンクルスに酷似した女性と優しい顔をした男性の写真があった。
 アルバムは何度も見られていたのか、それとも扱いが乱雑だったのか表紙は汚れ写真には指紋が幾つも見えた。汚れたアルバムは覗いて、写真はとても幸せそうなものに見える。
 お腹には赤ん坊もいたのだろう。腹の大きい女性の写真の下には妊娠六ヶ月目とその幸せが綴られていた。けれど、そのアルバムは途中から白紙になっていた。
 ヒラリと、アルバムから紙が落ち拾い上げれば「魔女紹介」という名刺である。後ろには乱雑な、筆記体にも思える字体で金額と指定場所、そしてホムンクルス、そう書かれていた。
「君たちに相談したわけか」
「紹介したのは意地の悪い魔女でね。『どうせ出来ないだろう』とバカにしながらホムンクルスを教えたの。私はそれの尻ぬぐいに来た」
「その魔女は?」
「今は謹慎処分中。こんな状況では、追加処分があるでしょうね」
 きっと連絡しているのだろう。携帯電話を弄りながらケイは答える。あまりにも真面目に文章を打ち込んでいるからだろうか話さなくても良い事を話しているように感じた。

 3

 アルバムと名刺を写真に収めながらケイは他に資料がないか再び机の中を探る。
 手持ち無沙汰な僕は、それでも彼女の仕事を手伝っていると形だけは見せたく本棚を探る。一体何が情報となるか分からない。
 本棚を探りながら僕は頭痛を感じていた。先程まではなかったのに頭の中がジクジクと痛む。声に出す程でも寝なければいけないという訳でもないが、頭が重く感じるのはとても不快だった。
 きっとこの異様さに、体調不良を起こすという事で体が拒絶反応を見せ始めたのだろう。この頭痛を少しでも忘れる為に、僕はケイの嫌う無意味なお喋りをする。
「封印をあと一箇所、壊せばいいんだね」
「そう。だけど、言った通り厄介な魔法も加わっているから私がやる。あなたは帰る事だけを考えて」
「また、さっきと同じ魔法なのかな……」
「そうでしょうね。『壊されないようにする』というのが第一の目的でしょうから。どうせ部屋の中に入ったら作用されるんだからそこまで心配しなくてもいいわ」
 ケイが言い終わる前に、ふと楽し気な声が聞こえた。
 この家に入って来て声というものは僕とケイ以外聞いたことがない。僕は反射的に声の主を探した。ホムンクルスも数が減っているのか姿が見えない。もし、ここに僕と同じように迷い込んだ人がいるのならば助けてあげるのが道理だろう。
 ケイといえば携帯を弄ったまま微動だにしないし恐らくその声には気が付いていない。
「ケイ。声が聞こえる、多分僕みたいに迷い込んだ人がいるんだと思う」
「そう」
 ケイは冷ややかにそう言うけれど、動こうとしない。
 二分、いや四分経っただろうか。痺れを切らした僕は、せめて廊下だけでも見ようと歩きだした。
 ココにいるのは大抵泥であり、攻撃的にも見えなければ動くだけでもその四肢を壊してしまう脆い物である。だから、そこまで怯える事は決してない。けれど、今年の夏、あの忌ま忌ましい経験した僕は、どうしても警戒せずにはいられない。
 そっと頭だけ出して、廊下を確認する。
 泥も声の主もいない。フローリングに泥が無いのは、きっと他のホムンクルスが掃除をしているからだろう。
 ケイの所に戻ろうとした時階段を下りる少女の姿が見えた。黄色いシャツにジーパンのその少女は、老婆のような白い髪をしていた。少女はホムンクルスでも見たのだろう、今にも泣きだしそうな顔で走って行く。きっと階段を使ったのだ、足音はパタパタと遠ざかっていく。
「あの!」
 僕は反射的に彼女を追いかけた。
 この騒ぎならさすがにケイも気が付くだろう。そんな気持ちのままそうして階段を駆け下りていく。

 4

 ペタペタと聞こえる足音からするに彼女はきっと裸足だ。チラリと見えた容姿、そしてこの足音に嫌な予感がしてたまらない。
 ホムンクルスが一体も見えない事を良い事に僕は彼女の後を追って行く。といっても彼女は相当足が速いのか一向にその背中を見る事も叶わない。
 階段を下りて廊下を走り、そして階段を再び下りる。
 一階から下りれば、それは地下室と呼称する場所だった。
 フローリングだった床が石畳に変わり、埃の無かった家が地下室だけはこうも埃が積もっている。
 一番近くにあった扉を細心の注意を払いながら開けるが、中は誰もいない。
 この部屋は太陽光すら差し込まない。
 窓には全て遮光カーテンが閉められていた。そのカーテンの前には棚が置かれ、何が何でも暗さを保持したいという気持ちが見えた。女性が使うような家具はどれも埃が積もっていて使われた形跡はない。
 安心したくて窓に近寄り棚によって隠れきれてない遮光カーテンを少しだけ捲る。それだけで日光が差し込んできた。背伸びをして外を見る。ここは地下なのか僕の目線で丁度地面と人の足が見えた。
 人の足――……。
 それは、もしかしたらホムンクルスかもしれない。けれど、履き潰された白いスポーツシューズには見覚えがある。どうにか上を見ようと体制を変えて再度覗き込もうとし――……僕はギクリと動きを止めた。
 この部屋、そして僕のこの行動一つ一つに覚えがある。あの白いスポーツシューズは、あの持ち主、そしてあの足の本人。
 頭が、心臓が、それ以上考えたくないと悲鳴を上げた。頭痛がより一層強くなり、心臓はバクバクと五月蠅くなり続ける。
 咄嗟に逃げ出そうとする僕の前に、扉を静かに閉める人が居る。
 白髪で赤い目をした少女。
 悲鳴を上げなかったのは、あまりの恐怖と驚愕に声が出なかったからだ。
「外は危ないのよ。マリアと一緒にいよ?」
 今年の夏。忌ま忌ましいあの事件。僕は頭を抑える。頭痛は強くなり続け、もはや頭が割れてしまいそうだった。
 幾度となるカウンセリングで僕はあの事を少しずつ忘れていった筈だ。悪夢も見なくなったし、暗所が怖いと思う事も少なくなった。忘れる努力をしていた僕を現実はこうも嘲笑う。
 僕の目前で、死んだ筈のマリアが微笑んでいた。


 

少年と傷跡


 1

 男の一撃はマリアの肩に直撃し、彼女は悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
 飛び込んできたマリアの表情は笑顔からそして不意に背後からきた強烈な痛いみに驚き、そして苦痛に歪み、大きな瞳から涙がこぼれる、そんな一連の動きを僕は目の前で見るしかなかった。
 ドサリと彼女が倒れたあと悲鳴は二つ上がった。痛みに泣き叫ぶマリアと、彼女を間違って傷つけてしまった大きな男。
 あの表情の変化を僕は目と鼻の先で見ていた。見てしまっていた。あの時出した彼女の叫び声も、痛いと泣く声も確かに聴いている。
 この家に巣くうのはホムンクルスだ。僕がトラウマとして心に強く残っている彼女が、ホムンクルスを守る魔法陣によって作動し作られているのもわかっている。
 彼女は、とっくに死んでいる。
 それは分かっている。自覚している。こうして僕は心を病んで何度も何度もカウンセリングに足を運んでいるのは彼女の、彼女の家族のせいだ。
 だというのにどうしても僕は彼女が泥で、人糞で、血液で出来ているとは思えなかった。汚れの目立つ黄色のシャツやジーパン、興味津々といった具合で僕を見つめるその赤い瞳、それらがニセモノとは考えられない。
 あの時のように現状を理解していないのだろうマリアは僕を見てニコニコほほ笑んでいる。何も知らないからほほ笑んでいられるのだろう。
 僕の手を取ろう近寄るので、咄嗟に後ずさる。それにショックを受けたのだろう、彼女の眉がハの字を、口はヘの字を書く。
「マリアと遊びたくないの?」
 僕に拒絶されてもめげないマリアは、そんな事を聞いてくる。どうにか彼女を傷つけないように、それでいて「ごめん」と謝る自分のなんと気の弱い事か。
「ごめんね。今は……出来ないんだ」
「じゃあ、いつ遊べる? 明日? すぐあと?」
 ろくな教育を受けていない彼女の話し方は独特だ。十代くらいの体なのに言動は六歳程にしか思えない。
 それはきっと僕が本物のマリアを見た時に思った事を彼女の印象を、鮮明にホムンクルスを守る魔法陣が映し出しているのだろう。
「今の用事が……終わってから」
「よーじ? マリアも手伝える?」
 どうして強く拒絶できない。彼女は泥で出来ている、僕たちとは違うから傷つく心なんて持っていないのだ。動けば、きっと彼女は足の指から泥に還元される。人糞と血液、精液で出来た汚い塊でしかない。
「手伝えないよ。難しいし……」
 だというのに、僕の一言に彼女は酷く傷ついた表情を浮かべる。
 今にも泣きだしそうな赤い目に、僕は目のやり場に困る。そんな目で見ないでほしい、本当に手伝えることはないのだ。手伝った瞬間に彼女は泥に還元される。

 2

 ケイに助けを求めようとして、僕は単独行動したのを思い出した。
 きっと彼女はついて来てくれるだろうという考えは儚く散る。そういえばマリアを追いかけるとき後ろからケイの足音は聞こえなかった気がする。
「フラスコを見てないかな?」
「ふらすこってなーに?」
 マリアに聞くけれど、予想通りの返答が来る。
 マリアはずっと家に閉じ込められて何も教わっていない。彼女が食べていたであろう人肉や、人の血液なんて、……まして彼女の餌となる為に何人もの人間が行方不明と告げられたのかすら。
「ガラスで出来た容器なんだけど……いいや。僕廊下に出たいんだけど、退いてもらっていいかな?」
 フラスコを守る魔法だというのに、マリアはすんなり退いてくれる。居心地悪さを思いながら僕は廊下に出て隣の部屋の扉を開ける。
 そこは死体安置所だった。
 入り口から見える限り死体は最低でも四つ。二段ベッドにそれぞれ裸の死体が置かれており、どれも冷え切っている。冷え切っているというよりは凍っていると表現した方がいい。
 腐臭を防ぐ為か、冷房が必要以上に効いている。その二台稼働してある冷房の強さは、この部屋に来たばかりの僕の体温も高速に奪っていった。
 音を立てながら扉を閉める。
 ここも、この部屋もあの時の場所だ。魔法陣はきっとあの屋敷内をも作り上げている。僕があの出来事を少しでも早く忘れようとしているからか、そこまで覚えていないからなのか、記憶が曖昧な場所は全てぼやけており、それが一層恐怖心を煽る。
 荒い呼吸のまま僕は痛みを持つ頭をガンと扉にぶつけた。この痛みで動悸も、頭痛も治ればいいなんて思った。けれど、そうはいかないようだ。ヨタヨタと後退し壁にもたれかかる。
「はいらないの?」
 後ろでマリアがそう尋ねる。部屋の中をきっと見ていないのだろう、興味津々といった具合に僕と扉を交互に見ている。
「入りたくないんだ」
「でも、何かを探しているんでしょう? 部屋はココしかないよ? マリアが開けてあげよっか」
 僕の静止を聞かず、マリアは扉を開ける。
 彼女があの光景を見てパニックに陥るのをどう止めようか判断する前に、そのパニックになったのは僕だった。
 扉の先には死体安置所なんかではなく、代わりに森が広がっていた。
 マリアを照り付ける日差し、纏わりつくつくような熱い風。夏の森。振り返れば、扉は既に消失している。
 いつの間にか、森の中に僕たち二人はポツンと立っていた。

 3

「何が……一体どうなっているんだ」
 僕はようやく扉から視線を外し、振り返る。
 目前に、あの大きな男が立っていた。あの夏、吸血鬼と呼ばれた殺人鬼。食べる為に僕の友達であるニックを殺し僕らに襲い掛かった恐怖の対象。
 そんな大柄な男は、涙で、鼻水で汚れている顔を益々くしゃりと憤怒に歪め、そして僕に向けて包丁を振りかぶる。
「おにいちゃん!」
 と、同時に僕の元へ、丁度僕と大男の間に入るように、現状に気が付いていないであろう笑顔のマリアが割って入った。
 それは一瞬の出来事だった。
 恐怖のあまり笑いそうになる。今、自分がどんな顔をし、彼女を見ているのか分からない。
 男の一撃はマリアの肩に直撃し、彼女は悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
 飛び込んできたマリアの表情は笑顔からそして不意に背後からきた強烈な痛いみに驚き、そして苦痛に歪み、大きな瞳から涙が零れる、そんな一連の動きを僕は目の前で見るしかなかった。
 ドサリと彼女が倒れたあと、悲鳴は3つあがった。痛みに泣き叫ぶマリアと、彼女を間違って傷つけてしまった大きな男、そして僕だった。
「やめてくれ! 見たくないんだ!」
 泣き叫ぶ僕は地面に崩れ落ち、痛む頭を押さえる。
 マリアの顔が思い出されて忘れられない。
 この二人も泥だ、ホムンクルスに間違いない。
 これは既に起きた出来事なのだ。だというのに、地面に突っ伏しヒクヒクと体を痙攣させるマリアは一向に泥に還らない。大男は、あの時と同じように悲鳴を上げ、そしてどこぞへと走って行った。
「いたい。いたいよ……」
 マリアの声は弱々しくなっていく。
 生が消えていく、虚ろな瞳で僕を見つめる。
 あの時、助けに来てくれた隊員に介護されている時、彼女は僕を見ていた。見ていたと思う。あの赤い瞳で僕に「死にたくない」と訴えかけていた。
 これはあの時の記憶だ。僕は再び見ているだけなのだ。
「フラスコを……」
 頬を伝うのは涙だ。呼吸がし難いのは、嗚咽を出して泣いているからだ。視界が涙で歪む。思い出したくない事をこうも鮮明に映像だけではなく、肉体として、たとえ泥で出来ていたとしてもリアルに作られてしまった。
 あの時のケイも同じだったのだろうか。
 葬儀で刺された挙げ句、焼死体で発見された叔父を見たのだろう。そして彼女はその叔父を――……たとえニセモノだとしても撃ち殺したのだ。
「フラスコを割らないと……」
 僕はケイのように強くない。だから、次第に生気を失っていくマリアを二度も殺す訳にはいかなかった。

 4

 動けない僕だったけれど、森の中でキラリと輝く物を視界の隅でとらえた。
 フラスコであってほしいと願いを込めながら、それに駆け寄ってみればここには似つかわしくない僕が求めていた物が置かれてある。
 森の中で黒い靄を出すフラスコ、それに血を注ぐ為の不思議な機械が置かれている。
「これだ」
 フラスコは黒い煙を吐きながら延々とホムンクルスを作ろうとしている。
 丁度、一つ作ろうとしているのだろう、フラスコから眼球が確認出来た。僕に壊されないように再びマリアを作ろうとしているのか、その眼球に赤い瞳が浮かんでくる。
「これがあるからいけないんだ」
 血液を入れるチューブを乱暴に引き抜き、異臭を放つフラスコを手に取る。
「なぁ、何してんだよ」
 ふと、懐かしい声に僕は止まった。
 目の前には友達のニックが立っている。
 アレも泥だ、ホムンクルスだ。
 彼はあの大きな男によって殺された。あの時の目を、僕は見ている。けれど、目の前にいるのは、懐かしい声で懐かしい笑みを浮かべる僕の友人だ。
 あまりの懐かしさに、僕は再び涙を流す。
 彼の葬儀は誰もが泣いていて、悲惨な死に方をした彼に僕は最後の挨拶すら出来なかった。彼の顔を見る事すら叶わなかったのは、彼の両親が誰にも見せないと言っていたからだ。
「前に言ってたお化け屋敷の探索だっけ? 俺も連れて行ってほしいんだけど」
 人懐っこい笑みで死んだ筈の友人は笑う。
 また前みたいに世間話がしたい、彼の就職先はどうなったのだろうか。僕の日常は一変した、結構大変だったけれど前には確実に進んでいる筈、今はもう筈だったになってしまったけれどそんな話がしたい。
 僕が持つフラスコからは白い手が伸びてくる。あと少しでここから再びホムンクルスが生みだされる。
「ごめん」
 そう答えるのが精一杯だった。
 もうこの世にいない友人を見てしまったら、僕はもう二度とフラスコを割る事が出来ない。叫び声は僕のだったのか、フラスコの中に今か今かと待っていたホムンクルスだったのか。
 パシャンとフラスコが割れるより先に、ニックは「いいよ」と優しい声で言ってくれたような気がした。
 フラスコが割れた瞬間泥が四方に弾け飛んだ。森を見せていた世界が、空間が溶けるように異様な色でグルグルとかき回されながら本来の姿に変わっていく。
 後ろを振り返れば倒れていたマリアも泥に戻っており、目の前にいたであろうニックの場所にも泥が一つ山になっていた。
「おかえり」
 ケイの声に僕は再び我に返った。

 5

 気が付けば、僕はクローゼットの前に倒れていた。
 フラスコは割れて床に散らばっている、
 クローゼットの中も、僕も泥まみれだった。そして、僕の側にはミイラ化した男の死体が転がっている。その死体はもう何年も前だろうが胸には大事そうにノートパソコンを抱いている。
「最初に「行かないで」って言ったのにね」
 そう咎めるケイの声音が優しいあたり、彼女なりに労ってくれているのだろう。辺りを見回せばケイが「パソコンがない」と言っていた二階の部屋に思えた。
「何があった? この死体は?」
「クローゼットの中にフラスコがあっただけ、魔法陣が少しそこからはみ出ていて本棚を漁っていたあなたが偶然踏んだの。……それで……、ちょっとあったみたいだけど、あなたはクローゼットを開けてフラスコを手に取って割った。この死体がホムンクルスを作った男。血液を与え過ぎて死んだってところ」
 ケイはそこまで言うと少し悩んで「怖かったでしょう。おつかれさま」と言葉を足した。そして死体からノートパソコンを奪い取った。証拠隠滅、といったところだろうか。
「嫌な体験だった。君は強いんだね」
 魔女だから。とだけ彼女は答えると、座り込んでいる僕に手を伸ばした。
 甘えて僕は手を握ろうかと思ったけれど、自分がホムンクルスの種で汚れている事に気が付いて慌てて手を引っ込めた。が、それをケイは強引に掴み僕を立たせる。
「汚れちゃったけどいいの?」
 彼女は黙ったまま指を鳴らす。すると、不思議なことに服に付着していた泥が落ちた。
「魔法?」
「魔法じゃない。泥は落ちる物だから」
 不可解な言葉を残しケイは歩き出す。床に散らばる泥を避けながら僕たちは階段を下りていく。
 僕が最初にいた部屋に戻ってきた。
「早くしないとあなたの友達が肝試しに戻ってくる。あなたはもう一度ここに入ってこなくちゃね」
「僕は……遠慮しておくよ」
「それが賢明。彼らも目的も無く歩き続けて疲れているだろうし」
 彼女は開いている窓の前に立った。ここから出たら、普通の日常に戻れる事が出来る。

 6

「いい事知りたい?」
 早くこの家から出たくて窓に身を乗り出した僕に、ケイは突然そんな事を聞いた。僕は身を乗り出したまま「うん」と頷く。
「私の名前。ケイじゃない、ホタルっていうの。天城 螢あまぎ ほたる 。日本人じゃないあなたには難しいと思うけど」
「個人情報は機密じゃないの?」
「売名行為くらいはしたいから」
「売名って……」
 僕は笑いながら振り返ると、そこにはもうケイの姿はない。
 代わりに「おーい」と言う友人らの声に僕は慌てて窓から飛び出た。
 地面に着地した途端パタンと静かに窓は閉ざされ、鍵がゆっくりとかかった。
 僕はその一連を見届けたあと、友達の所へと駆けて行った。
 皆、相当歩き回ったのだろう、各々くたびれた顔をしている。
「ごめん。やっぱり気持ち悪いから帰る。探検なら君たちで行ってくれる?」
 すると、友達らは皆不思議そうに顔を見合わせるとまじまじと僕を見た。
「探検? 俺らはお前を探しに来たんだぞ」
「『息子がいない』って、お前のお母さんに頼まれてきたんだからな」
 話が変わっている。と、思ったが、言葉にしなかった。ホムンクルスを見られない為のケイの魔法なのだろう。
「散歩してたら迷子になったんだ。ごめん」
 僕がそう答えると、『見つかってよかった』だの『危うく警察に連絡するところだったんだからな』などとそれぞれ言ってくる。
「ごめん、ごめん」
 僕は適当に謝りながら、先程まで入っていた家をチラリと見る。けれど、そこにあったのは、似ても似つかないドアも窓ガラスさえないただの朽ち果てた家だった。
 先程までの事がまるで夢のようだ。
 悪夢には違いなかった、けれど、それでどこか大事な物のように思えた。
 僕は友達に、ホムンクルスではない人たちに呼ばれ、そうして再び普通の日常に帰った。

 

少年と


 春。

 あれから僕は、あのような恐ろしい出来事にはあっていない。
 あの後、両親からとても怒られ、外出禁止条例が出された。それだけではない、カウンセリングの回数も増えた。それに加えて両親や親戚は、僕に対して少し神経質になった。けれど、それは心配してくれるが故の仕方ない事だ。と、そう割り切れるようになったのはつい最近の事だ。
 二回。僕が体験した出来事は、まだ悪夢として出てくる事が多い。その度に飛び起きて、ここは自分の家だと何度も自分に言い聞かせている。けれど、たとえホムンクルスの友人でも「いいよ」と許してくれたのは心の救いだった。
 ケイ――……。アマギ・ホタルとの再会は出来ていない。
 本名こそ教えてくれたが、彼女が所属するという魔女会の連絡先さえも僕はついぞ知りえなかった。
 またあのような出来事に巻き込まれれば彼女に会えるのかもしれない。けれど、心配してくれる両親や親せき、友達を見れば優先すべきは自ずと決まっていた。

「ホタル、あまり離れるなよ」

 家族の買い物途中、そんな声が聞こえて僕は立ち止まった。
 慌てて声の主を探せば、そこには、荷物を大量に持った白髪の男性とまぎれもないケイの姿があった。
 ケイは未来を見て識っているのだろう、明らかに僕を見ると一瞬だけ笑みをこぼした。僕が声をかけるよりも先に、彼女たちは人ごみに消され、そしてすぐに居なくなってしまった。
「どうしたの?」
 不思議そうに尋ねる母親に僕は「何でもない」と返す。母親は不思議そうに、少し心配げに僕を見ていたけれど納得したのだろう。そうして僕は歩き出した。

END

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