とあるシナリオライターの雑記①『縁はコントロールできる』
善行をどれだけ積んでいようと、犯してしまった罪の重さにそれが影響することはない。
そんなことは百も承知だが、与えられた恩を仇で返す大人がものすごく多いことを、大人になってから嫌というほど実感している。
ひとつ気に入らないことがあれば、それだけで人間関係を裁量する。
過去の一切合切が『今』の都合に合わせて搔き消える。
それを僕はしばしば『逃げる』と表現する。
思えば、子どもの頃はよく恩を仇で返すことをしていた気もする。
でも、大人になってからやるなよ、と思う。
或いは、大人になれていないのだろうか。勘弁してくれ。
とまあ、そういう理不尽について考えてみると、人と人との縁について毎度思うのだ。
自分の進化または退化によって、関わる人は自然と変わる。
類は友を呼ぶ、を換言すると、同じ人間レベルの人たちが縁によって集合する、となる。少なくとも僕はそう考える。
これは高校生くらいの頃から実感していたことで、怠惰で無味な生活を送り、とても褒められたもんじゃない生活を送っていると、不良に絡まれやすくなったり、見下したくなるような連中から見下されるなんてことが起こる。
逆に、目標に向かって必死に努力をしていたり、清い心で生きていると、自分より上のステージにいた人たちとの関わりが生まれる。
こういった経験に心当たりがある人は少なくないはずだ。
まさに摂理であり、この世のルールとさえ言ってしまえるのではないか。
悪い縁を切るために身を削る必要はない。自分が成長すれば勝手に縁は切れるのだから。関わりたくない人は、こちらから離れずとも、勝手に消える。
ただし、気をつけておかねばならないこともある。
自分が消える側になってしまった場合でも、同じように縁は切れることを忘れてはならない。
この摂理について、日々意識して過ごしていると、人間関係というものは自分の在り方である程度コントロールできることに気付く。
久々にこのことを思い出して、コントロールできるということを忘れてしまっていたので、備忘録としてアウトプットしてみた。
縁はコントロールできる。もちろんそれは完全ではない。
しかしだ。完全ではないだけなのである――。