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2021年8月談論会要旨・浅見了「PKルール」における(3)と(5)の解釈

この文章は、2021年8月に話し合われた内容を纏めた当時の記述である。

1. 第一の解釈

 PKルールにおける(3)と(5)の内容は、いずれも振聴に関わる。我々は後者について当初、同巡内振聴がいずれの時点で解消されるかに注目しつつ、次のような解釈をした。それは、同巡内振聴が解消されるのは普通、自摸番が来た時点とされるが、PKルールでは打牌を済ませた時点とされ、したがって、今度の自摸は同巡内振聴の未解消時に当たるため、振聴の適用によって摸和が規制される、というものである。この解釈は、次巡に入る時点が自摸時と打牌時のいずれであるかを問題にしている当該項目を素朴に読んだ場合の帰結であり、無論、巡の境界と同巡内振聴の解消時点を同一視する立場を取る。

2. 第二の解釈

 次に、我々は改めて振聴の定義を検討し、その効力は栄和の規制に留まるものと仮定した。摸和一般を振聴による規制の適用範囲外とするこの仮定に従えば(3)の振聴に関する記述を字義通り解釈することは困難になる。そこで我々は、振聴のために栄和できない手牌と原理的に同一であるはずの手牌による摸和は、本来は振聴の適用範囲外であるものの、振聴に相当する効力によって規制されるものと考えた。また、それに伴って(5)に対する当初の解釈を撤回し、翻って次のような解釈をした。それは、自摸番が来た時点での最後の自摸以後における打牌以後に栄和を見逃していた場合、少なくとも見逃した時点で、手牌は同巡内振聴のために栄和できないものになったと見なせるが、自摸番が来た時点での手牌は最後の自摸以後における打牌以後、原理的に同一であり続けてきたはずであるから、手牌が振聴のために栄和できない手牌と原理的に同一であるはずの今度の自摸で和了することは認められない、というものである。つまり、この解釈では、手牌が原理的に同一であり続けるはずの期間に注目しつつ、その途中で手牌が振聴のために栄和できないものになった場合、それ以後における当該期間内の和了を一切不可としている。その要点は手牌が変化し得る時機のみにあるため、これに従えば、当該項目が問題にしている巡の境界の如何は、本質上、振聴による規制の適用範囲とは無関係と見なすことになる。

3. 第三の解釈

 最後に、我々は今一度、振聴の定義まで戻り、その効力は必ずしも栄和の規制に留まらず、理論上、摸和を規制の適用範囲外とする普通の規定は一種の特例であるものと仮定した。この仮定に従えば(3)の解釈は容易になる。そこで我々は、PKルールにおける振聴と摸和の関係に対する見解を改め、振聴のために栄和できない手牌と原理的に同一であるはずの手牌による摸和は、原則通り振聴の適用によって規制されるものと考えた。これに従おうと(5)の解釈そのものは直前と変わらないが、摸和を振聴による規制の適用範囲内とし得る今度において、同巡内振聴が解消される時点としての巡の境界は、既述のような、手牌が変化し得る時機と等しくなると推理される。これを認めると、例えば闇聴で栄和を見逃した直後の自摸で槓した場合、その時点で巡が移り、そのまま打牌することなく嶺上開花の成立によって和了し得ることになる。しかし、この帰結は、次巡に入る時点を打牌時としている当該項目の内容と矛盾するものである。この矛盾を解消する方途は三つ考えられる。第一に、直近の両解釈を放棄して当初の解釈に復すること、第二に、振聴の効力は栄和の規制に留まるものとした以前の仮定に復すること、第三に、暗槓と加槓を一種の打牌と見なすことである。ところで(5)の要点は本来、巡の境界の如何にあったはずだ。ゆえに、結局それを不問とするに至る以前の仮定に不満な点が残ることは否定できない。最後に挙げた方途について、搶槓を伴う栄和の対象となり得る加槓を打牌と同一視することは、必ずしも不合理とは言えない。更に、本来の加槓が明刻子を槓子化することに照応させ、暗刻子を槓子化する行為として暗槓を捉え、この点で加槓と同一視し得るならば、帰結として、両方の槓を一種の打牌と見なすことは可能である。もっとも、浅見がこの格外な想定をしているとは必ずしも言い難く、よって我々は、PKルールを解釈する限りにおいては最初に挙げた方途を採用するのが穏当であろうと結論するに至った。

4. 追記

 最終的には当初の素朴な解釈に復したが、依然として不満な点は残る。浅見の記述に従えば、PKルールにおける巡の境界が打牌時であることは否定できない。しかし、槓を含む、手牌が変化し得る時機を巡の境界とする我々の着想と比して、当該規定は根拠に乏しく大雑把なものと言わざるを得ず、ゆえに浅見は、原義における打牌なしにも手牌が変化し得る時機が存在し得ることに思い及ばなかったか、あるいは思い及びながらも、当該規定を「完先特有」の不徹底として、そのままPKルールに採用したものと推察される。後者は、例えば(1)が、最初の副露以後の大明槓で槓子を成した翻牌のみの成立による和了も、原則通り不可としていることから類推したものである。また(3)については、振聴の定義を俎上に載せた両解釈において僅かに言及したものの、結局、十分な考察には至らなかった。その要因は、第一に、議論の本旨が(5)の解釈に置かれていたこと、第二に、そこで問題になっている一般に同巡内振聴と呼ばれる事項が、浅見が(3)で指摘している振聴の範囲にそもそも入らない、という可能性を否定できなかったことにある。

(文責・色川木通)

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