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今も残る「男子のみ」学生寮 阻害される地方女子学生の学び

I女性会議富山県本部から、東京にある学生寮(富山県人寮)が男子用しかない問題について自治体に働きかけたいという連絡があった。これを機に、全国の状況を調べると、6割以上の県人寮が男子のみ対象であることがわかった。


全国の県人寮

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まず、なぜ女子学生が差別されてきたのか、その背景を振り返ってみたい。
かつて「女人禁制」であった旧帝国大学では、東北帝大で1913(大正2)年、女子の入学が初めて認められた。その後、九州帝大が1925(大正14)年、東京文理大と広島文理大は1929(昭和4)年、北海道帝大と大阪帝大は1935(昭和10)年と続く。それから11年後、東京大学に初めて女子が入学したのは1946(昭和21)年。146年の歴史のうち、女子が学び始めてからは77年しか経っていないのだ。
1962年には、東京の大学の男性教授らによる鼎談「大学は花嫁学校か─女性学生亡国論」がラジオで放送され、議論を呼んだ。番組は、結婚のための教養しか求めない女子が、学科試験の成績が良いだけで男子を弾き出して入学し、学者と社会人の養成を目的とする大学の機能を損ねている、と批判する内容だった(『早稲田公論』1962年6月)。
日本はまだ「明治」なのかと思わざるを得ない。男子学生に「下駄をはかせる」入試が、多くの大学で当たり前のように行なわれていたのも頷ける。

●厚待遇の男子学生


さっそく、全道府県の設置する東京都内と大阪府の県人学生寮を調べてみた。その結果、約62%が男子のみ、約65%の男子が優遇されている(募集人数が女子より多い等)ことが明らかになった。
地方から都内への進学にかかる費用は、月約14万円(全国大学生活協同組合連合会2022年10〜11月調査『第58回学生生活実態調査概要報告』、都内相場+2万円を上乗せ)。物価高騰の昨今、より高額となるだろう。寮費の安さは、都内への進学のしやすさにつながる。
左表は、調べ得る範囲で道府県別学生寮を一覧にしたものだ。例えば、朝夕食事付きで3万8000円(岡山・男子のみ→東京都文京区「備中館」)は破格。食事なしでも1万9450円(宮崎・男子のみ→東京都千代田区「宮崎県東京学生寮」)には驚く。表中の男女の横に「*」をつけた寮では、前述の通り男子優遇がある。
多くは道府県の育英会が運営管理しているが、一部の寮には税金が使われている。中には地元の裕福な篤志家が同郷の青年のために邸宅を寄贈した寮もある。寮では、地元の企業説明会や道府県によるイベント、就職相談会、県知事との面会まで行なわれることも。全ての寮のホームページをくまなく見たが、「ボーイズクラブ」のノリが滲み出ている寮も多いので、興味があれば見てほしい。
地方男子学生を応援したくないわけではない。地元のつながりが悪いとも思わない。しかし、苦楽を共にする同郷・同窓生という固いつながりが、社会に出てからの地位やビジネスチャンスの「優遇」につながる可能性を考えると、地方出身女性の均等な社会進出に格差が生じるのは想像に難くない。
そもそも地方女子学生には「地方」かつ「女子」という足枷が2つある(「大学進学における『地方』と『性別』の『足枷』」寺町晋哉/2021年)。「東京は男女とも70%以上の進学率だが、男女とも40%前後の都道府県もある」という都道府県格差。それに加え、「学力は女子がやや高いにもかかわらず、保護者の教育期待は子が女子よりも男子の方が高い。また、2003年に行われた保護者調査において『子どもに望む学歴』が『大学以上』の割合は、地域差よりも男女差の方が遥かに大きかった」という指摘もある。保護者側に、女子よりも男子に「コストをかけよう」という傾向があるのだ。女性の結婚の足枷にならぬよう、「貸与型奨学金」というローンを娘には背負わせまいとする可能性も指摘されている。
ちなみに、都道府県別の女子の大学進学率ランキング(2017年3月)をみると、上から東京、京都、兵庫、広島、奈良、神奈川、大阪。ワースト10は鳥取、山口、長崎、佐賀、山形、青森、岩手、新潟、北海道、沖縄と続く。地方に私立大学が少ないという理由もあるとはいえ、「平等」とは何かと、改めて考えさせられる。

●全ての人が学び、暮らせる社会に


経済的に平等な学生支援は、例えば「家賃補助」が考えられる。寮に固執する必要はない。住宅に関する柔軟な社会保障制度の必要性は、「居住福祉」を研究する葛西リサさん(追手門学院大学地域創造学部准教授)も述べている。
また、「大学の無償化」が実現すれば、進学のハードルは格段に下がるだろう。もっと突き詰めれば、「大学進学しなければ安心して生きられない」脅迫的社会を変える必要がある。性別に関係なく、望む人が望む職業を生業にでき、単身でも大家族でも、安心して暮らせる地域社会が最終的な到達点ではないだろうか。
先日、盛岡市のホテルで観たテレビCMに驚いた。「おばあちゃんはこんなに素敵な人(介護者)に支えられてきた」「私も介護職を目指そう」というもの。女子学生だけが登場し、「ケア労働は女」という固定概念を感じさせられた。
こうした「性別役割分業」や賃金格差など女性差別を増長させ、困窮に追いやってきたのが「男性稼ぎ主型モデル」だ。しかし、社会情勢は大きく変化している。「1990年代以降、新自由主義による『雇用の崩壊』は男性の非正規労働を増加させ、もはや男性稼ぎ主モデルは崩壊しつつあるといえる。にもかかわらず、税と社会保障制度はあいかわらず男性稼ぎ主モデルを標準にしており、それによって男性稼ぎ主を持たないシングルの女性の貧困を招いている」(『論点・ジェンダー史学』野依智子)。
既に「男性稼ぎ主型モデル」は、社会の実像とはかけ離れている。賃金が安く共稼ぎしなければ生活できない、結婚や出産を諦めざるを得ない…こんな状態が30年以上も続き、差別が温存されているのが「令和」日本だ。当然、女性も学び、社会で力をつけたい。そうでなければ生き延びられないからだ。
「男性稼ぎ主型」には見切りをつけ、社会システムを見直すべきだ。今回調査した「男子優遇学生寮」は、差別のごく一部でしかない。学ぶ機会を守り、雇用も守ることがくまなく広がらない限り、社会全体のジェンダー平等は進まない。この問題は、ジェンダー格差と、中央が地方から搾取する問題とが重なり合う、社会の本質的な課題でもあるだろう。


(吉田 千亜)


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