見出し画像

いちばんいけないのは、選択しないこと

———人生は選択の連続でできた物語だ。正しい正しくないは一人一人の中にあって、人々はいくつもの選択をして生きていく。


6月5日、湯木慧さんのワンマンライブ「拍手喝采」を拝見しました。

歌や言葉にこめられたメッセージがたくさん伝わってきて、いろんなことを感じ、考えました。

曲を聞いて涙が抑えられなくなったのも初めてだったし、1つのライブの中で希望、喜び、悲しみ、勇気、恐怖、尊敬、といった色々な感情を感じたのも初めてでした。


まとまらないのですが、心に残っている湯木さんの言葉と、そこから自分が思ったことを書き連ねていきます。


誰がいいとか悪いとかじゃなくて、一人一人の中に正しい正しくないはあって、人生は選択の連続でできた物語で、一番いけないのは選択しないこと、考えないこと、動かないこと。

コロナになって、人々は様々な制限を強いられて、言われた通りにしか動けなくて、”大胆な選択”ができなくなってしまいました。だけどもうそんなのやめにしよう。こんなんじゃどこにも進めない。自分の人生のための選択を。

私は、世間的に良くないことを承知の上で、感染対策をしっかりした上で会場に足を運びました。初めて聞いた時から歌詞がストレートに心に刺さってきて、ラジオで聞いた生歌が素敵だと思って、絶対にライブ会場で生の歌が聞きたいと思っていたので、私は会場に行くという選択をしました。
湯木さんのこの話を聞いて、私は自分の選択を肯定することができました。私の中でこの選択は正しかったと自信を持つことができます。

だけど、普段生きている中で、誰かに選択を委ねてしまったり、成り行きに任せようとしてしまうことがよくあります。だけど、誰の人生か、誰のための人生か、考えて、選択することから逃げないようにしようと思いました。

マスクによって、伝えるための大事な手段である口を塞がれてしまったけど、手が残っているじゃないか、拍手で想いを伝えることはできる。それなのに、それすらもできないって思ってしまうような風潮がいやで、そう思って欲しくなくて、今回のライブのタイトルを「拍手喝采」にした、とおっしゃっていました。

たしかに、コロナによって、口だけじゃなくてコミュニケーションを塞がれてしまったのではないかと思います。

オンラインが主流になって、音を出すのは登壇者だけ、それ以外の人はみんなミュート。拍手をするときも音は出さずに、拍手のイラストのスタンプを押すだけ。
文字でのやりとりも、個性が出るような手書きの文字ではなく、画面上の文字に代弁した言葉を送り合っている。
その人自身から出た表現を直接伝える術が塞がれてしまったと思いました。画面上に見え、聞こえてくるものは、ほんもののようなにせものだと感じます。

それでも、感情を絶やさないで、生きるために最後まで伝え続けたい、と思いました。


思いを言葉や歌にして伝えて、相手の心を動かすって、本当にすごいことだと思います。私ももっと考えたことや感じたことがあるのに、じょうずに伝えられず、もどかしくてたまりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?