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死んでしまった父親との思い出

こんにちは! 猿田信司です。

私の、唯一の家族だった、
両親はすでに死んでいます。

七回忌も終えました。

私は今でも、両親の月命日どちらかに、
毎月お墓参りに行っています。

不思議なもので、生きている時より、
死んでしまった今の方が、
両親のことをよく思い出します。


我が家は、貧乏な家庭でした。

中学生のころまでは、
家にお風呂が無くて、
銭湯に行っていたくらいです。

おもちゃの類も
買ってもらった記憶はありません。


ですが、今思い出しても、
そんなにツラい記憶ではなく、
楽しかった記憶しかないです。

父親の話

私の父親は、いつも仏頂面で、強面で、
子供心に怖かったのを覚えています。

特に叩かれたりとかも無かったですし、
なぜ怖がっていたのかはわかりません。

今思えば、昭和の父親の威厳、
のようなものがありました。


父親は、近距離の
トラック運転手をしていました。

毎日、同じ時間に帰ってきて、
晩御飯は必ず家族3人で
食べていたことを思い出します。

毎晩、テレビで野球を見ながら、
晩酌していました。


私が今でも、野球が好きじゃないのは、
父親のせいかもしれませんね(笑)

父親との思い出

そんなに遊んでもらった記憶もないのですが、
今でも覚えていることがあります。


私が子供のころ、近くに住んでいる子供を集めた、
子供会というのがあって、
ソフトボール大会が行われていました。

私も、その子供会のソフトボールチームに、
ほぼ強制的に参加させられました。

私は、運動音痴なので、ライトで8番、
俗にいうライパチという、
一番下手な人がやるような
お荷物の存在でした。

それを見かねたのか、近くの神社で、
練習を兼ねて、よく父親と
キャッチボールをしていました。

フライやゴロをとる練習。

今思うと、仕事から帰ってきて、
疲れているだろうに、
私の練習に付き合ってくれていました。

子供のころは気づきませんでしたが、
父親のやさしさに、今気づきます。

新聞配達

もう一つ、父親のことで、
強烈に覚えていることがあります。

私が小学校6年生のころ、
どうしても、ラジカセが欲しくなりました。

買ってもらえるはずもないので、
自分で新聞配達のアルバイトをして、
ラジカセを買おうとしました。

朝刊の配達なので、朝5時起きです。

今は、できないと思いますが、
当時は、小学生でも
新聞配達はできていたんです。


その時も、なぜか父親が、毎日のように
新聞配達を手伝ってくれていました。

普通に仕事もあるのに、朝早くから、
私の手伝いをしてくれていたんです。

私が父親なら、そんなことは
とてもできないと思います。

お墓参りに行くと

お墓参りに行くと、
こんなことを
よく思い出します。

死んでしまって、
もう二度と会うことができないからこそ、
思い出すのかもしれません。


あなたも、ご両親が健在なら、
今のうちにできることをしてあげてください。

死んでしまったら、
もう何もしてあげられません。

私は今でも、
「美味いもの食べさせてあげたかった」、
「温泉に連れて行ってやりたかった」
などと思うことがあります。


ですが、私にはもう何もできません。

今は、負担に感じているかもしれませんが、
失ってからでは遅いんです。

少しだけでも、優しくしてあげてください。


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

私のつたない人生・文章でも、面白いと思っていただけたらサポートしてくださるとうれしいです(^^)