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寮を出て東京で二人暮らしを始めた私

18歳で会社に入り、会社の寮に入りました

友達もでき、悪くはないのですが、
やはり寮は不便でした。

通勤時間が1時間半かかっていたし、
最寄り駅にコンビニもなくて、
途中コンビニがある駅で一回電車を降りて、コンビニに寄り、
もう一度電車に乗って最寄り駅に行ったりしていました。


とは言え、高卒で入社して3年目で、
給料もそんなに多くはありません。

そこで、寮で友達になったY君と
二人で部屋を借りて、
寮を出ることになりました。

寮ではY君と一緒にいました

寮に入り、何年か経つと、
どうしても同室の人との仲が悪くなります。

六畳一間で、常に顔を合わせている状態なのもあって、
話しすらしなくなりました。


私は、部屋は違っていますが、
パソコン好きという共通点がある、
Y君と仲良くなりました。

部屋には寝に帰るくらいの感覚で、
休みの日なんかは、ずっと一緒に遊んでいました。


あまり店もないんですが、
休みの日はご飯を食べに行くのも一緒に行っていました。

二人で夜中に30分以上歩いて、
コンビニに行ったりもしました。

それに、二人で運転免許を取りに
自動車教習所へも一緒に行っていました。


二人で話していても、
「寮出たいね~」という話になることもあり、
どうせなら一緒に住もうか?と盛り上がっていました。

部屋探し

二人で寮を出るにしても、
やはり自分の部屋は欲しい。

そこで、部屋が二つある、2K以上の物件で、
それぞれの職場にも近い場所の物件を探しました。

当時はまだ、インターネットも発達していなくて、
部屋探しは自分の足で調べるしかありませんでした。


いろいろ考えて探した結果、
東京都蒲田区のマンションにしました。

当時で、家賃は10万円くらいで、
ふたりで折半すれば、一人5万円で東京に住める!!

それぞれの職場にも近く、
私は通勤時間が1時間半から
40分くらいになる!!

二人で不動産屋さんに行き、
賃貸契約をしました。

銀行口座を一つ作り、そこに家賃や光熱費を
お互い入れるという形にしました。

引っ越しのために車を手配

寮だったので、引っ越しと言っても、
荷物はほとんどありません。

カラーボックスとかテレビとかくらいなものです。


契約したのが、ちょうど5月の連休の少し前で、
一旦、実家に帰っていたのですが、
Y君が格安で車を手配してくれたんです。

その車で引っ越しをしないか?という話でした。


ですが、Y君も免許取り立てで、
一人で東京までその車を運転していくのはしんどい。

なので、一緒に免許を取った私にも、途中で合流して、
車を運ぶのを手伝ってくれないか?と言われました。

免許取り立てで、私も運転したことはなかったのですが、
自分で引っ越しできるというのも魅力的だったので、
その提案に乗りました。

広島で待ち合わせ

連休終わりに合わせ、広島で合流し、
そこから高速道路で、
東京まで帰る作戦を立てました。

私は、生まれて初めて、
広島駅で降り、Y君を待ちました。

やってきたY君が車でやってきましたが、
私が思ってた以上に古い車でした。


そこからが大変でした。

高速道路に乗るまでも遠かったですし、
高速道路に乗ってからも大変でした。

なんというか、ハンドルを真っ直ぐに握っていても、
車が少しづつ左右にぶれていくんです。

タイヤも細く、すぐグラグラします。

そんなボロ車でしたが、二人で交代しつつ、
12時間くらいかけて、寮まで戻りました。

大変でしたが、サービスエリアに寄ったりして
楽しかったのを覚えています。

いざ引っ越し

次の日、寮を出る手続きをして、
車に二人分の荷物を載せました。

大した荷物もないので、
全部車に載せられました。

すでに部屋は借りているので、
荷物を運びこんだら、
ついに二人暮らしの始まりです。


ちなみにですが、このボロ車は、
引っ越しが終わったあと、
すぐに処分しました。

駐車場も無かったですし、維持しようと
思わないくらいのボロ車でしたから。

今思えば、レンタカーでも借りれば済んだのに、
なんでわざわざ広島から運んできたのか。

当時は、そんな知恵もありませんでした。

二人暮らし

それぞれの部屋は六畳で、
寮では二人で住んでいたのに、
広さが倍になりました。

これは本当にうれしかったです。

ついに自分一人の部屋ができた!

それに、ユニットバスでしたが、お風呂もあって、
好きな時間にお風呂に入れるのもうれしかったです。


ですが、これまで寮生活だったので、
冷蔵庫すらありません。

そこから少しづつ、二人でお金を出し合って、
必要な家電なんかも買っていきました。

冷蔵庫、炊飯器といった家電や、
鍋やフライパンといった調理器具。


私がよく覚えているのが、電子レンジを安く買える広告があって、
二人で行ったのは良かったんですが、
電子レンジが予想以上に重く、結局タクシーで帰ってきて、
結果的には高くついたことです。

ご飯はどうする?

ルールとしては、基本的には、
食べ物は各自で用意することになってました。

平日は、お互い会社で忙しく、
帰ってくるのも遅かったので、
あまり会うこともありませんでした。

休日は、ご飯だけ炊いて、
おかずは各自用意することになりました。

そして、なぜかご飯を炊くのは私の仕事になりました。

大した仕事じゃないですけど。


お互いインドア派なのもあって、
休みの日もあまり会うこともなくなっていました。

ですが、別に仲が悪くなったわけではなく、
お互いの部屋にいったりもしてました。

Y君が会社を辞めるまでの数年間、
二人で住んでいました。

ある意味、寮ではない、本当の独り暮らし
に近い形で生活できた時間でした。


ですが、そんなY君ともあの事故
疎遠になってしまいました。

今では、連絡先もわかりません。

今思うと、こんなに仲が良かったのに、
なんであれくらいのことで関係を断ってしまったのか。

自分のあさはかさを思い知ります。

私が今、孤独なのも、自分のせいなんだろうな、
と思います。


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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