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赤い開拓者トマト、の話

 トマトという野菜がある。

 嫌いな野菜、でおそらくかなり上位に入るやつだ。給食で出たらクラスに5人くらいは残す人がいる。

 傾向も似通っていてケチャップは食べられる、むしろ好きという人が多い。特にダメなのはプチトマトで、食感が大の苦手、というのがトマト嫌いにほぼ共通した特徴だろう。

 この認識が当たっているかは別にして、最近少し考えていることがある。

「トマト、苦手な人の多さに対して採用されすぎではないか?」

 トマトが苦手、という人が多いわりには、料理で出される頻度が高すぎではないだろうか、という疑問だ。

 特にサラダである。トマト嫌いがトマトを頑張って食べるよりも、トマトの入っていないサラダを出す店を探す方が難しいのではないだろうか。

 サラダに対するトマトの採用率が高い理由は彩りだろう。人が料理に対して「赤」を求めた時、トマトが用いられる率は異常だ。

「トマトが赤くなると医者が青くなる」という言葉があるほどに栄養価が高いことでも知られているが、栄養価の高さで採用率が上がるならモロヘイヤはもっと陽の目を浴びているはずだし、パセリは添え物のポジションに甘んじてはいないだろう。

 そもそも赤い野菜、もっと言えば「赤い食材」が世の中に少なすぎはしないだろうか。

 トマトの瑞々しく艶やかな「赤」に対抗することのできる食材を考えてみて欲しい。パプリカ、赤ピーマンくらいだろう。彼らは彼らで味のクセが強い。そしてトマトほどの汎用性に欠ける。

 サラダの他にも、ピザやパスタ、ハンバーガー、スープなど様々な料理にトマトは登場する。その上、冷やしトマトに焼きトマトなんてものもある。まさに煮てよし焼いてよしのオールマイティな食材だ。

 トマトは「赤い食材」というブルーオーシャンの開拓者なのである。赤だけど。

 しかし苦手な人からすればそんなことは関係ない。苦手なものは苦手だし、食べたくないだろう。よけたところでなんか味が残っている気がするし皿に乗ってるのも嫌だ、という人も当然いると思う。

「サラダにおけるトマト」と同じようなポジションに「二郎系ラーメンのニンニク」がある。ニンニクの入っていない二郎系ラーメンとは、まさにトマトという彩りのないサラダのようなものではないだろうか。

 その必要性に対してニンニクは臭い、刺激の強さによって敬遠されることもある食材だ。だから店では「ニンニク入れますか?」と聞かれる。トマトも同じように扱えば良いのだ。

「サラダにトマトはお入れしますか?」

 これで丸ごと解決である。トマト嫌いは食べなくて良くなるし、皿にポツンと残される悲しいトマトが生み出されてしまう可能性も減るだろう。

 ああだこうだとトマトについて話してきたが、僕自身は別にトマトが嫌いではない。むしろ好きな方である。幼少期は、おやつ代わりに大きなトマトを丸かじりしていたこともあるらしい。

 周りのトマト嫌いの多さをきっかけに真剣に考えた結果が「トマト入れますか?」である。我ながらトマト嫌いに寄り添ったアイデアではないかと思っている。

 だがもし僕がアルバイトだったら、これからサラダを注文されるたびに「トマト入れますか?」と聞くことになるのは絶対ごめんだ。

「このサラダはトマト抜きで、これは普通、残りはマシマシで」なんて言われた日にはきっとそのバイトを辞めるだろう。そんな身勝手な、トマトに関する考察である。

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