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自分の好きなものを語る時、の話

 自分のことは自分が一番よくわかる、なんて言ったりするけれど実はそうでもなかったりする。

 最近「僕はこういうのが好きなんですよ」という話をすることが多い。大学を卒業してコミュニティが変わり、新たな交友関係が増えたからだと思う。

 好きなもの。例えばエヴァとかヒップホップとかガンプラとか、そういったものだ。こういったことについて人に話すことで改めて「僕はこんなにもこのコンテンツが好きなのだな」と気が付くのだ。

 僕は昔から、一人で何かにのめりこむことが多いタイプだった。きっかけはどうであれ、興味があるものは一人で勝手に調べてハマっていく。だから、というのも変だけれど、僕の「好きなもの」の世界にはいつも「僕の好きなものを僕より好きな人たち」がいた。

 エヴァンゲリオンはTV版『新世紀エヴァンゲリオン』放送当時からの熱量あるファンには到底及ばないし、ヒップホップは海外の、しかも一部のアーティストしか聞かない。ガンプラに至っては、その辺の模型屋に行くだけで愛と熱量のこもった作品達が並んでいる光景を見ることができる。

 そう思っていた。

 学生の頃、自分の趣味の話をすることは少なかった気がする。友達との共通の話題にそういったものは無くて、僕は「僕の好きなものを僕よりも好きな人たち」を見上げながら一人でコンテンツを消費していた。

 上ばかり見上げていたものだから、僕自身はずっと山のふもとに居るものだと思っていたのだ。この歳になって初めて、僕は周りの景色を見渡すということをしたのである。気づけばずいぶんと高く登っていた。

 知識の量や、グッズにかけた金額などでは「好き」は測れないと思う。それは先んじるものではなく、結果的に付いてくるものだからだ。だから僕の言う「好き」は基準なんかなくてとても曖昧なものである。だけど人に「好きなもの」の話をするようになって、僕が好きなコンテンツに対して人並み以上には愛や熱を持って喋っていることに気が付いたのだ。

 人と話すときについ情報量が多くなってしまうもの、喋っているだけで楽しいもの、気軽には勧められず思わず慎重になってしまうもの。それら僕が魅力を知っていて、話せる相手がいるだけで嬉しくて、かつ好まない存在も見えてくる程度には長く触れているものは間違いなく「好き」なのである。

 謙遜や卑下をして「いや、そこまで好きではないですね...」なんて言わなくても良い。僕は間違いなくそれが「好き」なのだから。なんて、人に対して早口で語った後に改めて自分のことを考えているのだから、やっぱりヲタクは救えない。

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