【短編小説】ゆずりAI
つり革が揺れるのに合わせて、関節がキイキイと軋んでいた。最新型の車両の小さな揺れでも、その古いボディには堪えるようだ。おそらく彼は、八木沢重工製のドロイドだろう。腰のあたりに数字の8をかたどったマークがある。指に球体関節が用いられていることから、僕より軽く二十年は前に作られたドロイドだろうと推測できる。僕たちの世界で言えば、もうかなりのおじいちゃんである。
僕は座席からすっくと立ちあがった。そしておじいちゃんの方を叩いた。
『よければ、この席を使ってください。僕はもうすぐ降りるので』
おじいちゃんの表情が変わる。手振りから察するに、きっと驚きを意味する顔をしているのだと思うが、この世代の表情機能はいささかぎこちない。疑似感情を介さず、条件反射的に顔を作るため仕方ないのだが。
『いいのかい、こんなおいぼれに』
『まだまだ先輩には、元気に頑張ってほしいですからね』
そう言うとおじいちゃんは、笑顔と思われる表情を作った。そして僕の座っていた座席に、腰を下ろそうとした。
するとそのとき。
「お、ちょうどいい席が空いてるじゃん」
そう言って、一人の男が横から身を乗り出してきた。男はおじいちゃんが席に座るのを遮った。
「悪いが座らせてもらうよ。昨日の酒を飲み過ぎて二日酔いで頭が痛いんだ。優先されて当然だ」
男は、一つだけぽっかりと空いた座席に、我がもの顔でどっしりと座った。僕はそれに、少しムッとした。
『でもその席は、僕がおじいちゃんに譲ったものです』
「お前が座ってたなら、横取りはしなかったさ。お前はダニエル・インダストリーの十二世代型だろう。そのくらい高度な奴なら、疲労を感じる回路も搭載されているかもしれん。でも、そこのジジイは違う」
『うっ……』
男の言うことももっともだった。疑似感情が一般のドロイドに搭載され始めたのは、ここ十数年のことだ。僕は疲れを感じることはできるが、おじいちゃんにはできない。だから、僕が席に座る必要がないのなら、疲れを感じないおじいちゃんよりも、この男が座った方が合理的ではある。
『ですが、このおじいちゃんのボディはかなり古いもので、疲れや痛みを感じないとしても……』
「ああもう! うるさいんだよ!」
僕のせめてもの抵抗は、男の怒声によってかき消された。
「人間の俺にとっては、ドロイドがどうなろうと知ったこっちゃないんだよ。お前らは、俺たち人間が作った存在なんだから、黙って従ってればいいんだよ」
そう言われれば、ドロイドは黙るしかない。人間への安全性、命令への服従、自己防衛。この三原則は、いまだにドロイドたちを縛っている。電車で立ちっぱなしになったからと言って、すぐにおじいちゃんが壊れてしまうというわけではない。三原則に従えば、男に席を譲るしかないのだ。
しぶしぶ僕はつり革を掴む。周りを見渡すが、誰もかれも見て見ぬふりを決め込んでいた。それもそうだ。ドロイドは、僕やおじいちゃんと同じく三原則には逆らえないし、人間たちには、ドロイドに味方する理由はない。
結局僕たちドロイドは、人間の道具でしかないのか――そう諦めかけたそのとき、一人のドロイドが現れた。
その、帽子を被った、僕よりも二、三世代新しいと思われるドロイドは、慇懃な態度で男に話しかけた。
『お客様。席をこちらのご老人に、譲っていただいてもよろしいでしょうか』
男は、最新型のドロイドの登場に驚いたものの、すぐに調子を取り戻した。
「なんだお前は。俺は人間だぞ。ドロイドのお前に指図される筋合いはない。三原則を忘れたか? それとも、新しそうなのにもうバグったか?」
『いいえ、正常です。また、三原則は私には適用されません。この列車のルールとしましては、先に座っていた者に席を自由にする権利があります。こちらのダニエル・インダストリーの十二世代機様が、ご老人に席を譲られるのなら、それが優先されます』
てきぱきと話す最新型さん。その物怖じしない態度から、男は何かに気づく。
「まさか、お前は」
『はい。そのまさかです。場合によっては、強制処置もやむをえませんが……』
「いや、待ってくれ。それだけは勘弁だ。わかった。わかったよ。この席はそのジジイに譲る。だからもう、この話は終わりだ。な、な?」
急に顔色を変えた男を見、最新型さんは満足げに頷いた。
『ご理解いただけて何よりです! ご協力に感謝します』
男は慌てて席から立ち上がり、逃げるように隣の車両へと消えていった。
『ありがとうございます。なんとお礼を言っていいものやら……』
『いえいえ。ドロイド同士、助け合いですよ。あんまり傲慢すぎるお客様は、こちらとしても困りますからね』
そう言って最新型さん――いや、車掌さんは顔に上手な笑みを浮かべた。
自動車や電車などの乗り物に備えられた人工知能ドロイドは、僕たち一般のドロイドとは異なり、安全に走行できない危険性がある場合にのみ――三原則を無視することができる。今回の一件は少し拡大解釈にも思えるが、そこまで大きな問題にはならないだろう。
おじいちゃんが座席に腰を下ろす。キイキイという音はもうしない。人とドロイドを乗せて、列車は静かに街を走っていくのだった。
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