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インターステラーが人生イチの映画になった話

無限に続くように思えるほどリアルな宇宙も美しかった。でも一番美しいと思えたのは、地球の、一面に広がる緑のコーン畑でした。



世の中はTENET一色ですが、あえての旧作「インターステラー」について語らせていただきたい。

というのもTENETに向けたカウントダウンということで、公開前日まで各映画館で「ノーラン祭り」が開催されており、そのきっかけで「インターステラー」を観に行ったらめちゃくちゃ刺さってしまったのです。来週TENET観に行くつもりがインターステラー熱が燃え盛っているので一旦吐き出さないと全然テネれない。

この映画は2014年公開ですが、当時は東京に越して1年目&出張も多くすっかり観るタイミングを逃し。でもそのおかげで初見がIMAXという大変贅沢な体験になりました。

ちなみに、いまAmazonでPrime会員には無料配信してます。すごく良い映画なので未見の方はぜひ観て欲しい。観て欲しいけど、正直この映画は映画館で体験するからこそ刺さる映画だと思います。だから家では観なくてもいいと思う。二枚舌だけどw でも何年後か、下手したら10年くらい先かもしれないけどまた映画館でやってくれるはず(ノーランの次回新作あたりに)だからその時は絶対に観に行って欲しい!きっと何年経っても色あせないし、本当に素晴らしい体験ができると思います。

概要は以下に省略。


さて。ここからは死ぬほどネタバレするので気になった方だけどうぞ。ただの愛の暴走なのでぬるーく見守ってください…。





いやぁ…吐くほど泣きましたインターステラー。何回も観ても嗚咽が出ます。私の映画至上ぶっちぎりを掻っ攫っていきました。今ならインターステラー好きな全人類と親友になれる気がする。

これから好きな映画を聞かれたらインターステラーとしか答えません。

ストーリーは主人公家族の日常から始まります。冒頭で触れた、コーン畑を疾走する古びたトラック。

この映画で扱う要素のひとつに「不可逆」がありますが、この時点で”戻らない美しさ”が凄いのです。ノーラン監督の実写へのこだわりはもはや狂気なので(褒めてる)畑もゼロから育てちゃったというのは有名な話ですが、なぎ倒されていく作物の迫力と、二度と同じ瞬間は撮れないだろうと思える画の強さ。そして、娘役マッケンジー・フォイの溢れ出る刹那的な美しさが本当に本当に素晴らしい。

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端正な顔立ちもさることながら、それ以上にこの年頃の女の子にしか持ち得ない美しさが凄い。大人になる過程にしかない、不可逆な輝き。映画を観ているこちら側ですら、彼女が大人になっていく様を見たいと思わせる魅力的な女優さんです。

主人公が家族を残して宇宙に行くことは予告ですでにわかっているし、おそらく何年も離れ離れになるであろうことは容易に予測がつくわけです。人生の様々な喜び悲しみを体験し大人になっていく姿を誰よりも見守りたいであろう父親が傍を離れることの重みに、もう想像だけで号泣させられるわけですよ、この時点で(早い)。


ストーリーはというと、要は地球は滅亡の危機にあり、人類存続の希望をかけ宇宙へ…という話(雑ですが)。いわば滅びゆく種族である人類ですが、元パイロット・エンジニアである主人公クーパーの前に2つの選択肢が提示されます。人類を移住させるプランAと「種(受精卵)」を運び人類を存続させるプランB。プランBはすなわち今地球で生きる命を諦めるということであり、子供を持つ彼には到底受け入れられるものではありません。クーパーは家族のためにミッションを引き受ける献身的な役どころです。

ところがですね、短期間に何回も観るとだんだん、違う視点でも見えてくるわけです。

クーパーはその実、自分の欲望に実直で夢見がちな男でもあります。元パイロットでエンジニア、農業を嫌いながらも生きるために作物を育て、冒頭では子供たちに「適応して生き延びるんだ」と諭しながら自分が一番理想を捨てられない。

ストーリーの中では時々「土台」という言葉が、”誰のために、何のためにそれを成すか”という意味で使われます。クーパーの「土台」は間違いなく子供たちであり、彼らの未来を思わなければ無謀な旅に出ることはあり得なかったでしょう。ただし同時に、宇宙は彼自身の夢の場所でもあった。探検家・開拓者としての高揚、彼はそれを捨てられずに旅に出るのです。子供たちは自分たちが大人になっても帰らない父に、私たちを捨てたのか、と届かない問いをすがる想いで送ります。もちろんクーパーは捨てたつもりなど無いのですが、愛する子供たちの成長する姿を見守れなくなることもわかった上で夢を捨てられずに宇宙に出たのだから、ある意味では実際に子供たちを捨てたと同じこと、とも言えるでしょう。

ただし、それは序盤の話。「土台」は徐々に「本質」へと変わり、子供たちと生きて再会する望みが薄くなるにつれ、主人公は「子供たちのために」という想い強めていきます。

そう、ここ大事。

クーパーの行動原理はあくまで”自分が”大切にするものを中心としており、人類のためというような大義名分では無いのです。個人の願いに向かってしか動けない身勝手で人間臭い主人公であることが、この映画に必要不可欠な要素だったと思うのです。

宇宙に出たばかりのクーパーは、いかに早くミッションを達成し地球に早く帰れるかを第一に考えています。ですが、旅路の障害の中で、彼はやがて地球に帰ることから、人類を救うことに希望を切り替えていく。しかしそれは彼が成長(ここではあえて成長と表現する)したからではありません。その星での1時間が地球の7年というミラー博士の星で、トラブルにより取り返しのつかない時間をロスし、次行く星の賭けに負け、裏切られ、燃料がつき、最後は帰ることを諦めてでも人類の存続に必要なデータを地球に送ろうとします。

「人類」という主語が使われていますが、紐解けばクーパーは一貫してただ子供たちのために動き、それが結果的に人類の助けにつながっただけ。もちろん人類存続の使命という視点はゼロでは無いのですが、どちらかと言えばそれは結果論であり、入り口は全て自分の家族のためです。

中盤、プランAは実質不可能であり、その事実がクーパーたちには伏せられていた事実が発覚するのですが、その理由をマン博士(使命感が強く、人類存続に信念を持ちながら移住不可能な星にたどり着いた、計画の中心人物)が諭すように語ります。人間は弱い、自分たちが滅亡するとなったとき、種の存続よりも自分や目の前の家族のことを真っ先に考えるだろう。だから嘘をついた、と。それはまさにクーパーのことであり、博士達が恐れた人間らしさそのものなわけです。

ところがその後、クーパーはプランAに不可欠な、だが手に入れることは不可能だったはずのブラックホールの量子データを手に入れ、地球に届けることを叶えます(もちろんクーパーだけで成し得ることでは無いのですが、そこらへんは映画をご覧ください…!)。子供たちへの愛情だけのために。

つまりは、愚かなほど人間らしい人間であることが鍵だった、ということ。科学者たちが足枷になると切り捨てた、家族愛というエゴによって人類救済が遂行されるのです。

さらにもう一つのエピソードとして、同じ宇宙船クルーであるアメリアが「愛」について語る場面があります。旅の途中、マン博士のいる星とエドマンズ博士のいる星とどちらに行くか?という選択で、彼女はエドマンズの星を提案します。エドマンズはアメリアの恋人であったこと、そしてアメリアは科学者ですが手前の星で理論想定外の事態に直面し後悔を残したことで、非科学的な選択を試みます。愛に呼ばれている、愛は観測不可能な「力」の一つである、それに従ってみたい、と。

結果的には理論に基づきマン博士の星を選ぶのですが、蓋を開ければエドマンズの星こそが人類が移住できる可能性のある星(=正解)でした。

そう、正解を引いたのは愛なんです。愛に導かれて正解にたどり着いた。なんて非科学的な!


インターステラーは物凄い考察に基づいて細部まで作られた映画です。理論物理学者キップ・ソーンが携わり、映画のための研究により論文まで発表した、ガチ中のガチです。

そもそもこの映画に大しての評価は「SF映画の傑作」でしょう。監督の徹底した作り込みと事実検証、そして難解な設定と時間軸。いわば「ノーラン節」と言われる、監督の頭の中を覗きに行くような感覚を求めている方が多いのだと思います。なので、この感想はちょっと的外れなのかもしれません。

でも私は、こんなに細部までこだわり、正確に、見た事のないものまで恐ろしく忠実に計算し尽くして表現された世界なのに、最後を決めるのは柔らかで不確かな「愛」だということに心底痺れたのです。

重力だけが次元を超える。つまり、愛は重力なんですよね。結論。

監督は愛を示すためだけに、この壮大なスケールが用意したのだと思いました。凄まじい手間と時間そして大金をかけ、オーディエンス含めとてつもない人数を巻き込み、SF映画の超傑作を生み出してなお愛なんていう普遍なものを完全ストレートで全世界にぶちこむなんて、恐ろしすぎて震えます。それはもう、愛に対する愛がデカすぎる。めちゃくちゃ愛を信じてなかったら、こんな事できるわけないですよ。ノーラン監督の狂気を別の意味で垣間見た気がしました。


あー、真面目に語ってしまった。でもまだまだ想いの丈は書き切れないのです。ストーリーだけでなく、インターステラーは音楽とキャラクターも素晴らしい。


インターステラーの重要な要素、それは音楽です。

ハンス・ジマーは映画で伝えたいメッセージを凄まじいブーストで観客の心に叩き込んでくる天才だと思う。そんなに難しい旋律では無いのに全場面で号泣してしまいます。

マン博士に奪われた母船を奪還すべく超高速で船をドッキングさせる場面が個人的に一番好きなのですが、音楽が兎にも角にも最高。成功するってわかっているのに毎回拳を握り締めて祈ってしまうのですが、間違いなく音楽のせい。

ハンス・ジマーは「人間が地上から天へ手を伸ばすことの究極の表現」をできる場所を探し、イギリスのテンプル教会のオルガンを使用したそうで。もうその発想が天才。

IMAXで響き当たる迫力と美しさは凄まじく、家で観るのと一番の違いは音の部分なのかな、と思います。もし家で観るときはヘッドフォンをしてできるだけ音を大きくして観るのがおすすめです。

そしてね…このシーンは音楽もさることながら、マシュー・マコノヒーも素晴らしいよね…。気絶しておかしくないほどの重力負荷に屈しないところに元パイロットの経験と強い意志がうかがえるし、やり遂げたあとの「baby」でごはん延々食べれる。

あと途中変な生き物映ったと思うんですけど、あれは萌えキャラです。クルーをサポートするAI搭載ロボットなんですが、ものすごく可愛い。主人公との相棒感も最高にアツい。板だけど。

ちょっとこの子たちの話をはじめると別なスイッチが入るので(ロボ好き)やめておこうと思います。あー本当に可愛い。(フィギュアが欲しい)

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上記のシーンだけでなく全編通して、マシュー・マコノヒーの演技は素晴らしいです。23年をロストして溜まったビデオレターを観るシーン、5次元の世界で「俺を引き止めてくれ」と涙するシーン、どれも失ってしまった時間に対する絶望と愛情が伝ってきて胸が締め付けられます。

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仲間がクーパーに言うんですよ、家族より人類だろう、君は帰りたいだけだ、と。そんなの当たり前ですよ。10歳の女の子が33歳になる23年間が本人の体感2,3時間で吹っ飛ぶんですよ。一番輝いて二度と戻らない時間じゃないですか。相対性理論を語るどの科学者たちよりも、クーパーは時間という不可逆なものの価値を知っていたからこそ、手放してきたこと、そして騙されてしまったことの後悔が凄まじい。そういう感情がクーパーの表情ひとつひとつに細かに表されていて滅茶滅茶心が揺さぶられました。

あとなんか船を操作するときの呟くような、恍惚感溢れる感じも凄い良いですよね。マシュー・マコノヒー、声と発音がいい。耳触りが良く、好きです、とても。


そして、忘れられないキャラクターとしてロミリーとトムのことだけは触れておかねば。

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マン博士に寄り添える相手、それはロミリーだったはず、と思うんですよね。

本筋ではないので詳しくは描かれないけれど、時間の流れが違う星でロストした23年間、地球と同じ時間の流れを保つ母船で待っていたロミリー。船内にひとつでも穴が開いたらジ・エンド、壁ひとつ隔てただけの死を恐れて膝を抱えていた彼が、仲間に運命を預けてひとり、23年(最初は数年で帰ってくる予定だったのに)待つのは相当に苦しかったと思うんですよ。それはまさしくマン博士の言う”試される”ことと同じ体験で。マン博士がコールドスリープから目覚めたときの涙は本物だったと思うと、欲しい言葉を持っているのは同じ孤独を体感したロミリーだったと思うんですよね…。もうそれだけでマン博士絶対許さないんですけど。

それだけの体験を乗り越えたロミリーはもう少し報われて欲しかったな、と思います。


そして、主人公の息子のトム。

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初見は何だこいつ、と思いました。他の方のレビュー見ても概ねよく思われていないキャラクター(おかげで全然画像が無い…)。ティモシー・シャラメがケイシー・アフレックになるっていうだけで受け入れがたい(ごめんなさい)のに、素直な少年だったはずのトムは大人になり、病気の妻子を医者に診せる事さえしない。完全に「閉じた」人間になっていました。

でも、彼はそうせざるを得なかったんだよなぁ、と2周目以降で段々とわかってきました。

ミラー博士の星でロスした(父親が不在の)23年間、どんな思いで生きてきたかが耐え難く伝わってくるのは、マーフィーよりもむしろトムの方です。序盤からマーフィーを中心に描写がされるけれど、注視して見ればトムも同じくらい父を誇りに思い愛していることが表情でちゃんと表現されています。

父を誇りながら次席で卒業をし、ガールフレンドが出来、結婚し娘が生まれ、愛する娘を病気で亡くしてしまう。次に生まれた子供には父親の名(クープ)を名付ける。トムも本当に父親が好きで、そして父親が帰ってくることを妹と同じくらい強く信じていたはず。でも彼は家族が出来、苦しみを背負い、諦めることを覚えてしまった。帰ってこない父親や変わるはずのない未来に期待することに疲れ、ただ生きること、そして死ぬことを選んだ。クーパーが最初に言った「適応して生きていく」という言葉通りに。

トムだけでなく皆がそうやって耐え忍び生きているんだろうと思うのです。あの世界ではマーフィーの方が異端なのです、10歳の頃からずっと。

生きるために死んでいくことを選んだトムと、生きるために見えないものを掴もうとするマーフィー。選んだものは違ってしまったけれど、トムもマーフィーも本質は一緒なはずです。どちらも父親を愛し、信じたい気持ちが真ん中にある。

そう思うと、本棚のメッセージを読み取ったマーフィーが、父は私たちを捨ててなどいないのだと、トムを抱きしめるシーン。あれはトムへの救済のシーンであり、トムの心が息を吹き返す初めのシーンなのではないかと思います。

最後の帰還では、存命には間に合わなかったのかトムは出てこないけれど、年老いたマーフィーを囲む家族たち、すなわちクーパーの孫やひ孫たちはとても大人数でした。あれだけの人数なのだから、そこにはきっとトムの子供たちの姿もあったはず。

クーパーとトムの絆も、映画にこめられた愛のストーリーのひとつなのだと私は思っています。


いやー語り尽くせない。

本当はTARSとCASEの有能ぶりだとかブランド教授の苦悩だとかブラックホールの美しさや四次元立方体の凄さだとか語りたいことがまだまだあるのですが、凄まじい長さになるのでそれはまた次回…。

TENETのおかげでなんとなく足を運んだインターステラーでしたが、本当に観てよかったな、と思っています。好きな映画はなんですか?と聞かれたら、間違いなくインターステラーと答えるでしょう。余程の出会いが無い限り、不動の一位になりそうです。

最初に、家では観なくてもいい!なんて言いましたが、ここまで書いた通り、音楽や宇宙描写の素晴らしさと同じくらい人間模様が丁寧に描かれた映画です。役者の表情や台詞をしっかり読み込めるのは配信の方が上だと思うので、未見の方にはやっぱり観て欲しい。

そして映画館でリバイバルがあった際には絶対に観にいくことを強く強くお勧めします!

インターステラー、本当に良い映画です。TENETでノーラン作品が気になった方も、この機会に合わせて是非ご覧ください。






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