BoA

早速、掲題の件ですが、何を隠そう平成元年生まれ = H世代の私にとって、このワードを叩けば、名称未設定のままの記憶の断片たちがランダムにヒットする。様々な匂いの残るシーンが、走馬灯というよりも『速報!歌の大辞テン!!』の徳光和夫のバックで明滅するスクリーンの様に流れ出していく。
(ここでOffsetは「キャチプレイワ!」"Catch up REIWA" 意訳すると "着いてこいよ令和"と合いの手をチラリ☆ 俺がミーゴスだったなら)

画像はおそらくQuavo


GOT the Beatの荒々しくも美しいデビュー曲により、私の記憶の扉がぶち破られる。穴の向こうで反町隆史がはにかむ。

BoAでーーーーーーす!!


Spotifyにおいて、BoAのトップソングは"メリクリ"になっていた。おいおい…確かに超短期間に一世を風靡した着うたフル(キャチプレイワ☆)でその名曲を聴いた覚えがないわけではないが、それをトップに据えるには、議論の余地がありすぎる。そこを駐車場にしておくには惜しいほどに。やろうと思えば5人制のドッヂボールもできるだろう。くそドッヂボール。大嫌いだ、ドッヂボール。頭はセーフ!とか狂ってるのか?アウトだろお前ら人を囲ってくそが



"VALENTI"のマキシシングルは宇多田ヒカルの"Can You Keep A Secret?"と併せて所持していたし、どちらもB面の歌詞まで焼き付いている。

そういえば、両曲におけるラテンフレイヴァーは当時の流行りだったのだろうか?雑に少年時代を振り返ると、KinKi Kidsの"硝子の少年"や郷ひろみのアーチーチーアーチーリビダビーダーローカーみたいな曲が流行っていた気がするが、それらは当時の大人たちにしてみたら、時代の気分みたいな感覚だったのだろうか。それが確かにあったとすれば、この2020年代にも、その熱はまた再燃しつつある気もする。

驚くことにここから現代の話を展開するわけではなく、少年時代の話にステイ。何を犠牲にしても守るべきものがあるとして。

BoA。小学校から中学校まで一緒で、成人後もフットサルをしたりちょくちょく集まっていたフッドの友人 みっくん が大好きだった、BoA。

DA PUMPとFIRE BALLも好きで、ダンスも得意、大学時代の海外旅行では大麻草を全面にフィーチャーしたTシャツを着用していたことから、不当にも通関に止められていた、みっくん。(ストップすべきはヘイトでは)

ふたりエッチとまじかる☆タルるートくんを愛読し、虫歯だらけで不真面目だけど、運動神経抜群な左利きの俊足。中学のサッカー部でも輝いていたし、ロングスローも得意で、公式戦ではなぜかハンドスプリングスローイングをかましていたし、その理由は今も不明なまま。みっくん。

もちろんドッヂボールも強かった。とくに小学生の頃は凶暴な印象が強く、私にサッカーとDragon Ashをもたらした学年のカリスマの前歯すらふざけて折ってしまったやんちゃ坊主。みっくん。

そんなみっくんはいつの間にか音信不通となってしまい、地元の友人も誰も連絡が取れなくなってしまった。


どこにいますか?



私は日常の中で、時よりみっくんのことを思い出す。その頻度は徳光和夫の涙より少ないが、生活の中で☆を眺めるひとときよりは多い。


年も明けたし、なにか書こうとつらつら書いていたらみっくんのことを書いていた。私はみっくんに会いたい気がする。
何かのきっかけでみっくんが私のこの文章を見つけてくれるんじゃないだろうか?いま思いついた。そんな期待を込めて、今年一年くらいはみっくんへ捧ぐくだらない記事を連載しよう。去年はプライヴェートでほとんど文章を書かなかったので、これは30代の私のリハビリであり、20代のみっくんへのトリビュート。そして30代のみっくんへのラヴコールだ。すべてではないけれど、ずっと何かが欠けている様な気がする。私にとって今みっくんが、それに当たると思うんだよ。

つづく


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