死なないことが生きること?


『生きてるんじゃなく、死んでないだけ』

いつか、どこかで見た、誰かの言葉。
グサッときた。こんなに自分を表す言葉があるんだとハッとした。

私はよく、この世から消えたいだとか死にたいだとか、全て終わりにしたいだとか、そんなことを口にする。それは“願望”とも言えるだろうが、じゃあ例えば今ここに首を吊る道具も環境も揃っていたとして、実行に移すかと聞かれたら、そんなことはしないだろう。
死ぬ勇気すらないのが私だからだ。私にとって死ぬことは、“願望”というより“理想”に近い。

小さな子どもが「将来はケーキ屋さんになる」「綺麗なお嫁さんになる」とキラキラした夢を語るのと、五十歩百歩ではないだろうか。叶う叶わないは別として、漠然とそうなればいいと思っているだけであって、一部を除いては、そうなるための行動はしない、できない。

死ねないから、仕方なく生きてるだけ。それが私。というか、人間なんて大体そんなものなんじゃないだろうか。


ならいつ「死んでない」じゃなくて「生きている」になるのか。持論だが、その人生の価値なんて終わってからでないと分からないのではないか。

私たちがこの息を絶やすとき、そこに何が残っているのか。どんな人が、物が、空気が、感情が遺されているか。それによって、と言ったらおかしいかもしれないが、私たちが「生きた」証は、そこで初めてぼんやりと形になると思う。

だからこそ、私たちは「死にたい」と口にする。終止符を打って、自分の生きた道はどんなものであったか価値をつけたい。生きた証が欲しい。無意識ながらに。

生と死は表裏一体。死にたい人間ほど、生きたい人間なのだ。


初投稿で少し(だいぶ?)重い話を失礼しました。このへんで。
死んでない、生きているあなたに、幸あれ。

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