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【やりたいことを見つける】ことは一生できない

こんにちは。

Koyaといいます。

2018年4月現在でリクルートに入って、社会人3年目となり、なんとなく自分でもビジネスの場でどういうことが向いている向いていないがわかってきたところです。

私の会社は文化的に、同期や先輩と話していても

「ずっとこの会社で勤め上げる訳ではない」

という人が大勢いる状態にあります。

当然私も、将来は

「自分でやりたいことできたら会社でも作って独立するかな〜」

とか

「やりたいことが外の環境でできそうなら転職するかな〜」

なんて思いは新卒当時から持ちながら今に至ります。

先輩や同期たちを見ると、確かにやりたいことを見つけて転職や独立していく人が大勢いる一方で、変わらぬ毎日を過ごし続けて一見すると動いてすらいないような方々もいます。

「この違いはなんだろう??」

と考え始めました。

学生時代や新卒の頃は、会社に入ればいつか自分もやりたいことを見つけることができる。そう思っていましたが、最近は

気づいたらこのまま30歳とかあっという間じゃないか?

という感覚に漠然と襲われるようになっていました。

これまで、学校という授業やテストという指針を与えられて自分自身を規定せずとも行動することができ、次の環境に移ることのできたコミュニティに属していた時間が長すぎて、

会社というある種経済合理性で大半の動きが決まるコミュニティに入った時に、自分自身が次の環境に移るための動き方・人との関わり方・成長の仕方がわかっていないなと感じました。

なので、【やりたいことができたら】ということは、自分自身にフォーカスが当たらない環境では勝手に見つからないのではないか?と薄々感じてきて、それが気づいたら30なんてあっという間にくるな。という感覚に繋がってきているように思います。

以前参加した、CommunitySummitTokyo2018で批評家の宇野常寛さんが

「何者になる」なんてことをいっているやつは大間違いで、人は勝手に「何者かになっている」

と、話されていた。登壇しているコルクの佐渡島さんも幻冬社の箕輪さんもSHOWROOMの前田さんも、何者かになろうとしていたわけじゃなくて、気づいたら勝手に今の自分になっていた、と。

それを聞いてすごくしっくりきたことがあって、

それはタイトルに書いている、【やりたいことを見つける】

ということは、おそらく本質的には間違っていて、

本当にやりたいことは【見つける】という行為をする前に自分自身がそれを実行してしまっていて、見つけられる具体や言語化される頃にはすっかり【やりたい】から【やっている】状態になっているような気がします。

だからおそらく、

【やりたいことをやっている状態】には自分自身のやりたいと思う種が見つかるようにアンテナを高くするとか、自分自身の想像できる範囲で具体的にやってみるとか、そういうことがまずは1歩目なんだろうと思います。

(この辺りはプリコミットメントとか強制力とか一貫性の原理とか、納得感のあるキーワードは思いついているけどまだ体系化されていない時点で行動は変わっていかないので、引き続き考えるテーマ)

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そんな今自分はどういう状態になっているかでいうと、1つサービスを作ろうとしています。

最近SNSをやっていて、TwitterやInstagramでは全く面識のない人のフォローしていても、その人の言葉や写真が好きだからTLに流れてきても問題ないのですが、
Facebookで「この人誰だっけ?」みたいな人の投稿が流れてくるとすごく違和感を覚える、
ということがありました。

そこでふと、

オンラインのつながりのハードルがどんどん下がってきて気軽に繋がっていくけれど、
その人のことを全然知らない・ましてオフラインでも関わりがある人ごく一部。ということを実感しました。

SNS黎明期の頃は、
オフラインで繋がっていた人に申請し合ってオンラインでも繋がっていたので、違和感はなかった。
それが、SNSが当たり前になってきた現在では、オンラインでどんどん人と(一見)繋がってきているけれど、
内実それは形骸化したつながりになってしまっている。
それにふと、とても寂しく感じました。

これが、今の自分の【やりたい】の種となっていて、この寂しさがなくなる暖かなつながりを増やすサービスを作ろうとしています。

まだまだ検証することはたくさんあるので、この種を育てていく上での学びや発見はこれから投稿続けようと思います。

(興味のある方はぜひ一緒に作りましょう)


まとまりありませんが、この辺で。


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