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2020年というか、ここ数ヶ月を振り返って。生まれた子どもが、急に年を越せないかもしれないとなって。

書き初めnoteです。皆様、2021年も、よろしくお願いします!

2020年は、社会情勢が大きく揺れ動いた一年でしたが、僕にとっては、年末に向けたここ2ヶ月の出来事が衝撃的で、自分の人生観に少し影響するような気付きもあったので、忘れないように書き記しておきたいと思います!

第二子が産まれました!

まず、僕は、仕事が趣味になっているような、いわゆるワーカーホリックです。経歴としても、大学をすぐに中退し、就職をしたこともなければ、そのままベンチャー企業の創業メンバーとして個人事業主から始まり、24歳で独立をし、地元北海道で起業。出歩くときはいつもMacがお供、デートのときも、家族水入らずの時間でさえも、特に違和感を感じずに電話に出て仕事に行ってしまう、そんなことが当たり前の感覚を持ってしまっているような人間です(とても寛大な心を持つ家族に感謝。笑)

それでも、第一子が生まれてからは特に、少しずつですが、家族との時間を大事に、身近な人へ感謝を伝えることを自分なりに実践をしてきたつもりです。また、コロナによって、家にいる時間がそれまでよりは比較的増えたこともあり、1歳にして、娘や妻から”家族を顧みないパパ”というレッテルを貼られる寸前な時期もありましたが、在宅時間でコミュニケーションが増えたことで、徐々に家族との時間を増やすこともできました。

そんな中で、2020年11月、第二子が誕生。

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第一子のときは、緊急帝王切開による出産でした。一般的には、その後は帝王切開による出産が多いようですが、私たちは、帝王切開ではなく、経膣分娩を選択し、VBACと言われる手法で出産を決めました。(なぜVBACを選んだのかはまた改めて。)

ただし、コロナ禍の出産のため、僕は、出産に立ち会いはおろか、病院に立ち入ることもできず、ひたすらに着替えや差し入れをナースステーションに持っていくことしかできず、日々、無力感を感じた毎日でした。。。

そんな中でも、妻は初の経膣分娩にも関わらず、一人で頑張ってくれて、元気な男の子を出産してくれました。母子ともに無事の知らせを聞き、安心をして、翌日からは、予定通り、出張先へと向かいます。

退院直前の異変

家族も増えたので、より一層、仕事に励まねば!!と、いつもより力が入ってしまっていたのを今振り返ると思い出します。そんな中、明日に迫った退院予定日、ようやく、子どもとも会えるタイミングですが、入院中の妻から、

「心臓に雑音があるみたいで、何か先天性の病気を持っているかもしれない」

とLINEをもらいます。それでも、予定通り退院ができたこともあり、そこまで大きな話ではないのではないか、、、と思っていました。

その後、何度か通院をして精密検査を重ねていく中で、徐々に疾患の全体像が見え始めてきます。あるとき、検査通院のときに、父親も同席をしてほしい、と連絡が入り、担当の医師から病状を説明してもらいます。

結論から簡単に言うと、心臓に生まれつきで、あってはいけない箇所に穴が複数箇所あり、(なおかつ、その後の検査でさらに太い血管にも異常があり)その影響で、ミルクを飲むときには、常に息が上がってしまう状態になってしまい、ミルクがなかなか飲めない状況でした。

まずは、対処療法ではあるものの、薬で様子を見ながら、かつ、成長に伴って穴が塞がる(小さくなる)可能性もあるので、もう少し体重が増えて大きくなってから、心臓手術で根本治療をする必要があるという話でした。

突然の心臓手術と言われ、医療ドラマに出てきそうな症状や医療用語が飛び交う中で、頭が真っ白になりそうになりながらも「早くても年明けくらいからは、準備が必要かもしれないね」という先生の言葉もあり、このときもまだ緊急性が高いわけでもなく、自然と塞がっていく可能性もあるし、大丈夫だろうと、高をくくっていました。

明らかに体調が悪化していく

しかし、その数日後、明らかに体調が良くなく、ミルクもだんだん飲めなくなってきました。元々心不全状態なこともあり、血の巡りが悪いせいか、手足が常に冷たく、唇も冷たいプールに入ったような紫色でしたが、さらに血色が良くない状況が続きます。さすがに少しずつ不安になっていく中で、急遽、再度精密検査をすることになり、病院へ足を運びます。途中、担当していたスタッフの方の中で、コロナウィルスの陽性が出たため、濃厚接触には当たらないものの念の為、PCR検査を受けるなど、病院側も札幌市のコロナウィルス感染症の第3波が拡大する中で、厳戒態勢へと切り替わっていきます。(結果は陰性でした)

そして、担当の医師からは、

「できるだけ早く手術ができた方が良い。先伸ばししても良いことはありません。もしこのままであれば、年を越すことが難しくなるかもしれません。確認しますので、明日にでも入院してもらうことはできますか」

と、言葉を発した次には、手術体制が整っている病院へ連絡をして、空き状況を確認してもらいます。通常の手術帯は、年内の空きが無かったため、別の時間帯で手術を予定してもらえることに。コロナウィルス感染症の関係から、不要不急の手術は自粛されている中でも、この子の場合は、「必要緊急」です、と、看護師からも補足説明をもらいます。

日に日に症状が悪化していく中で、風向きが少しずつ変わり始めていたことを感じた瞬間でした。

コロナウィルス感染症対策のため、当然ながら入院中の付添や面会はできませんでしたが、手術の事前説明(同意書の記入)は、父親も入室が許可されました。

初めて立ち会う、事前説明。数十枚に渡り印刷された術式の資料と同意書を、なるべくわかりやすく説明をしてもらいましたが、目に入ってきたのは、ただ一箇所でした。

「手術の危険率:10%」

これはあくまで理論値であり、リスクはそこまで高くはない、と医師から説明を受けますが、生後生まれて1ヶ月の新生児が、胸を開いて手術をするのには、それ相応のリスクが発生するというのを、ようやく実感した瞬間でした。

手術は成功したけれども

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手術は無事に成功したと医師から説明があり、ICU(集中治療室)で、多くの医療機器や管に繋がれながらも、容態は安定しているようでした。経過はとても良好で予定よりも早くICUから出られるかもしれない、と説明もありました。

ひとまず、安心です。

ただし、身体がまだ小さく、穴の大きさが想定よりも大きいことから、人工心肺装置を付けて心臓の穴を修復するための手術は、数カ月後に行います。今回は、穴があることで、血液が流れすぎている血管を縛って抑える一時的な術式でした。人工心肺装置をつけるため、今回以上のリスクがあるのですが、まずは、年を越せないかもしれない、ということを回避することができたことに、安堵しました。

手術翌日。

ICUへの面会は、制限された時間帯の中で限られた時間だけ許可をされていました。手の消毒をして検温をして、いざ病室へ向かうと、担当医の他に見慣れない先生が何人か集ってきました。

開口一番に、謝罪から始まります。簡単に言うと、医療インシデントとして報告する事項、つまり医療事故(ミス)が起きてしまった、とのこと。ただし、幸いにもいち早く異変に気づき、大事には至らなかったのでご安心してください、という内容でした。

ここで、いくら医師やスタッフの方を攻めても仕方がないし、コロナ禍で疲弊している医療現場ではこういったことが今後も増えていくよね、、、と冷静に妻と話をしていたのですが、帰宅してからはようやく、本当に問題がなかったのか、子どもの健康に影響が無いのか不安に襲われます。(具体的な内容は伏せますが、30秒〜1・2分程度、脳に酸素が行っていなかったということでした ※説明の度に、若干増えるので、さらに心配が助長されました。笑 こういうときは、最初からブレずに話した方が良いですね。笑 )

仕事柄、自分で調べることは得意な方ですが、さすがに細かい文献などを調べても、また、症例があまり多くないのか、よくわからず、知人の医療関係者に相談にも乗ってもらい、確実に0とは言い切れないものの、大きな影響はない範囲ではないか、という意見をもらえて、ようやく安心できました。(その後、医療機関側からも、何度か脳の検査などもしてもらって、今のところは異常がないという話をもらっています。ですが、この先にどうなるかは、誰にもわかりません。)

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その後、ICUを無事に出ることができて、看護師さんが24時間管理してもらえる子ども用の病室に移動し、年末年始は、病院で過ごしましたが、無事に、子どもは年を越すことができました。(もうしばらく入院をして様子を見たら退院できそうなくらいまで回復しています。すごい。)

まだまだ、本番の手術はこれからですし、今後の容態がどうなるかはわかりませんが、まずは目先の山を乗り越えた感じがして、一安心。

身近な人にこそ感謝、生きているだけで丸儲け

この2ヶ月くらいの出来事と、そしてコロナ禍における社会情勢が大きく変わった2020年。改めて、この2つを忘れてはいけないと思い、書き記したいと思います。

身近な人にこそ感謝

まずは、このコロナ禍で多大な負担がかかっているであろう医療スタッフ関係者の方、実際に担当していただいた方以外も含めて、高度な医療機関が社会にあるということを実感しました。同時に、健康については、自分自身より意識を高めて生きたいと思います。

そして、仕事関係者の方、家族含めて身近な方たちにも多大な心配とご迷惑をおかけしました。そして、何より、身近な存在であればあるほど、こういったときには真っ先にに力を貸してもらい、融通を利かせてもらったりだけ以上に、勇気をもらうこともできました。一人で考えれば考えるほど、悪いことしかよぎらない夜に、ふざけたメッセージでクスっと笑えることが、とても大きい存在でした。また、意外と、子どもが心臓の病を持っていたという方は多くて、びっくりしましたが、先輩の体験談というのはとても心強く感じました。追い詰められたときほど、これは仕事の場面でもそうですが、身近な存在に感謝の気持ちを忘れてはいけない、ということを改めて思い返す機会となりました。(身近な存在なほど、当たり前になって、感謝の気持ちがあっても伝わらないことが多くなってしまう)

生きているだけで丸儲け

明石家さんまさんの言葉だそうですが、コロナ禍で社会情勢が不安定な中で、まさに、生きているだけで丸儲け、ということを感じた1年でもあります。

こういった社会情勢だからこそ、普段より危機感を感じて行動するので、ついつい仕事にベクトルが行くタイプなのですが、、、こんなときだからこそ、家族や身近な人との時間がとても大切で、それを大切にしていける生き方をしたいと改めて思った一年でした。もちろん、たまには、家族との時間を忘れてメールを見たり返したり、電話に出ては、突然仕事に消えたりするかもしれないけれども、家族を犠牲にして何かを得るのではなく、家族と一緒に向き合っていくこと、どちらかじゃなくて、両立をしていくこと。これからも、掲げた志を持って、社会をより良くしていくために、自分の使命を全うしていく生き方をしたいなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。これから、忘れないように、自分のためにアウトプットをしましたが、もし同じような境遇の人にとっても何かしら力になれるのだとしたら嬉しく思います。僕も実際にそうやって乗り超えて来られました。

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