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弁当のバラン

 高校生の頃、母が作ってくれた弁当を友人に見られたくなかった。バランのせいだ。

 バランとは、おかず同士の間に挟む葉っぱを模した小さなビニールシートだ。おかずを入れるカップ型のものは、フィルムケースやフードケースとも言われるが、我が家ではそれらを総称してバランという。
 母は弁当にわざわざバランを用意しなかった。それはいつもアルミホイルを千切ったもので代替されていた。ハサミで切るでもなく、手で千切られたアルミホイル。男子高校生の弁当にオシャレやこだわりが詰め込まれる時代ではなかったが、やはり友人たちの弁当と私の弁当は違った。昨晩の残り物のおかずが、バランによって生活臭をさらに放出している。それが何だか恥ずかしかった。「汁が漏れてご飯がべちゃべちゃになるから、これ(バラン)やめてよ」なんて文句を言ったものだ。千切られたバランの切れ目からは、子育て世代の朝の多忙さが滲み出ていたはずだが、その頃の私にはまだ分からなかった。

 最近、久しぶりに母が作った弁当を食べる機会があった。私が体調を崩し、看病にあたってくれた妻も子供たちの夕食を用意する余裕がなかった。両親にお願いし、子供たちを預かってもらうと、私たち2人分の弁当も用意してくれた。
 透明の蓋から覗く弁当には、丁寧に盛り付けされた彩り鮮やかなおかずが見える。揚げ物に対してキャベツの千切り、ニンジンの赤に対してピーマンの緑とゆで卵の黄色。子育てが完全に終わり、60代後半の大人の余裕が弁当から感じられる。それでも、そこにはあの頃と変わらない我が家のバランが敷かれていた。

バラン「おお、久しぶりじゃん」

 白ご飯と漬物の間に挟まれた銀紙はそう言わんばかりだ。いるのが当たり前すぎて、その安定感に思わずフっと笑ってしまう。恥ずかしさと懐かしさが同居した記憶が蘇ってくる。あの頃の私はなんてくだらない事を気にしていたんだろう。
 人の心は弱ったときほど素直になる。病み上がりの軋む身体に、親の親切が染みわたる。あの頃の恥ずかしかった記憶が、自分にしかない大切な思い出へと変化した。毎朝早く起きて弁当を用意する大変さが今なら分かる。私は支えられていた。

バラン「あんたが気付ける歳になったんだね」

時間をかけて変わって行く気持ちがある。そう気付いた病み上がりの夜だった。


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