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推薦入試って結局どうなのよ??

昨今炎上しがちな大学入試における「推薦入試」について超個人的に意見を述べます。

自己紹介(興味ない方は飛ばしてください)

私は推薦入試を使って大学に入学した者です。具体的に説明すると、「特別公募制学校推薦型選抜」という制度を使って、某県立公立高校から日本国内の某公立大学の医学部医学科へ入学しました。私が利用したこちらの制度は、よく議論される私立大学への指定校推薦や、東京大学など難関大学の推薦とはまた違った制度で、「内申点+共通テストの点数+英語の資格+40分間の面接」を基準に合否が決まりました。なんなら最後の面接でかましたベシャリで医学部に入ったといっても過言ではありません。
このような少し特殊なタイプの入試を経験したため、この記事で私が伝えたい趣旨は皆さんが知りたい・聞きたいこととは違うかもしれません。なのであくまで個人の意見としてお付き合いください。そしてこの制度を使ったが私と同じ意見を持っているとも限らないので、その点もご了承ください。

一般入試制度は維持すべきでは?だけど・・・

まず、私の立場としては「一般入試制度(筆記試験のみの入試)を維持すべき」という意見を持っています。しかし、だからと言って推薦入試を廃止するべきだとは思いません。むしろ様々な推薦の形式を拡充しても良いと考えています。現在多くの人は「推薦入試は格差を広げる」となんとなく考えていると思いますが、私自身は特定の形式を取ることで、今世間で議論されている体験格差(経済的資本や文化的資本に由来する)や経済格差に影響されない入試を実現することも可能だと思うからです。

一般入試は平等(equality)だが公平(equity)ではない

いきなり抽象的ですが、平等性と公平性の観点から一般入試について一歩踏み込んで考えてみます。

平等とは「かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。」

デジタル大辞泉

公平とは「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。」

デジタル大辞泉

上記のような辞書的な説明ではわかりにくいので、こちらのSusan K. Gardner氏が平等と公平について説明している動画の一部の画像をご覧ください。彼女の説明では「平等は全員に靴を与え、公平は一人ひとりの足に合う靴を与える」とされているので、今回はこのイメージを持っていただいて議論します。

左:平等 右:公平

https://digitalcommons.library.umaine.edu/univ_publications/2529/

下のMetaのサイトもわかりやすいです。

さて、言葉の定義をした上で私は「一般入試が一番平等(に機会を与える)」という意見には賛同します。しかし、平等性においてベターかもしれませんが、前述のような公平性があるとはいえないと考えています。
平等性に賛成するのは、筆記試験を受験する、というだけならハンディキャップがない限り誰にでも答案用紙に全て自力で記述・記入することができるからです。また、筆記試験には「答え」が用意されているので、それをもとに採点者が厳密に採点しさえすればその点数・評価は誰がみても同じなので平等と言えるでしょう。何千人もの受験者を一気に序列づけて処理する上では現実的な方法だと思います。
では、公平性がないというのはどういう理由か。

一般入試でも経済格差は影響してるじゃん

個人的には、この一言に尽きます。より具体的に言うと、「学力」をつけさせるために課金してきたパターンがほどんどよね〜ということです。
いわゆる難関大学に進学する人は「進学校」と呼ばれる中学高校に進む人が多いのですが、都市だと私立の中高一貫校がほとんどです。公立高校出身の方もいますが、それでも高校受験や中学受験の段階ですでに塾に通っていた人がほぼ全員だと思います。経済的な優位性が学習環境への投資のしやすさと結びついているならば、議論の上で無視できないのではないでしょうか。

そもそも子供の教育にお金がかかるのは明らかですが、私立の中高一貫校に通わせるために小学生から塾に通わせて、進学した後も大学受験のために塾に行くというのはめちゃくちゃお金がかかります。世の中には様々な理由で(多くは経済的な理由で)大学進学や高校進学すらも諦めなければならない子供達がたくさんいます。(もちろん早くから才能やスキルを活かしたいというポジティブな理由で10代半ばから自立している方もいますよね)
私も高校生の時までは教育にかかる金銭の事情はあまりわかっていませんでしたが、大学に入ってバイトを始めて自分でお金を稼ぐようになったり塾業界に指導側で関わったりするうちに、教育にかかる料金の相場を知ってひっくり返りそうになりました。

経済的な理由以外でも、都市部と田舎では文化や情報へのアクセスのしやすさ、学校への通いやすさなどが段違いです。それに性別という観点では、女性は生理などにより体調のコントロールがしにくい(月一で瀕死状態みたいな)状況が思春期開始ら辺からずっと続いて部活も勉強も課外活動もしないといけないというある意味ハンデのようなものを抱えています。
他にも家族のサポート体制の有無やヤングケアラー、虐待、メンタルの問題など、全てを挙げれば全員がハンデを抱えていると思います。

人には人の乳酸菌的な感じで、人には人の悩みが大なり小なりありコンプレックスがありどうしようもないビハインドがあります。そして多分、私からみて「何不自由ない生活」をしているお嬢様のあの子やおぼっちゃまのあの子にも彼らなりの地獄的なところが人生にはあってきたと思うので、考えなしに羨ましいとはあまり言わないようにしています。

なので、いくら受験日の条件をそろえたところで、一般入試それ自体は様々な不運や格差を解消できるほどのシステムではないというのが私の印象です。もちろん、極貧家庭で育ったり厳しい状況の中でも夢を諦めずに努力し続けた方が筆記試験一本勝負で合格した、というのは本当に本当にすごいと思います。ただ、その想像を絶する努力の分、犠牲にしてきたものや悔しかったことも多いのではないでしょうか。

私はこれから教育を受ける子供たちには、なるべく苦労せずにのびのびと育ってほしいなと思いますし、それぞれに適した評価方法があっていいのではないかと思います。その形式はもっと自由に考えられていくべきです。
そして、学生の分際で烏滸がましいですが、教育というのは入試方式のどうのこうのや大学受験の結果という次元の話ではなく、「子供の成長過程そのものが充実しているかどうか」が本質だと思うので一部に見られる「一般入試さえあれば挽回できる」という表現はこれまでに述べた理由から少々乱暴なのではないかと感じこのような記事を書きました。

まとめ

私はまず一般入試vs推薦入試という安易な二項対立の議論はあまり生産性がないのでやめるべきだと思っています。
今後の社会の流れとして、大学受験等で推薦入試が広がっていく方向になるのは間違いないと思っていますが、一方で、ハイレベルな大学の推薦で見られるようなあまりに華々しい業績がインフレしていく現状は問題視しています。代わりに、従来の平等性において優れた一般入試に加えて、様々な評価軸を設けた公平な入試制度が必要だと考えています。そして子供たちの成長過程が充実したものになるような奨学金制度などがより整備されていくことを期待しています。

最後に、この記事では一般入試に頑張って受かった方を貶す意図は全くなく、むしろみなさん向上心があり素晴らしいマインドを持っていらっしゃるからこそこういう話題は白熱してしまうのだと思います。みんなでガッツを持って日本、世界を良くしていきたいですね。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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