教育過程において終の決断が乏しい気が…自己責任で始・終を決断できるのはメリット。昨年の退職の1歩が3歩にも4歩にもなった。今年もそうなれば‥
教育課程は終わりが決められている。一方社会人は自己責任で決めることができる。嫌なことはやらなければいいし、環境を変えたければ変えればいいと、、これほど大きなメリットを使わないわけには行かない。そんなことを考えていた年度末。
さて2年連続で仕事が変わるわけだが物語上全く問題がない。と言うよりは1つのところにいるよりも十二分にプラスだ。1歩が2歩になると言うことを大泉洋が先週の初耳学で言っていた気がする(ながらだったので確かではない)。昨年度の退職と言う1歩が3歩にも4歩にもなっている気がする。退職から出会えた数が圧倒的に増え様々な話が舞い込んでくるようになり(おかげで2つ夢が増えた)、保育園での勤務をしながら学校で保育の授業をしと変化がおくあった気がする。働き方の問題もあるが…
教育課程は卒業と言う単位を取れば、年齢を重ねれば勝手に訪れる。これにより終わりの決断が乏しい気がする。もちろん自分の土俵がある、環境が最高と言う時には当てはまらない。今年の行動で感じたことはやめることも始めることも判断し動けることが多くある。少し前の時代よりも終については寛容だった気がするが。
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