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価値観の変化

まだ自分の中でもまとまっていないから、書いていいものかどうか悩ましいところだけど、まぁ、自分自身の中の整理のためとでも言うか、そんなつもりで書いてみます。もし、気に入らなかったり、それなぁ~なんて意見もあるかも知れないですけど。

自分は写真、カメラを始めて5年目突入したところで、まだまだ奥が深くて、いろいろ知りたい、試したいって感じで写真を撮っているんだけど、自己表現=アウトプットするプラットホームがInstgramと自分のブログサイト(写真中心)だけで、SNSなんかでは500pxとかeverybody x Photographerなんかの濃いサイトもあったりなんだけど、あれこれ器用に扱えはしないと分かっていたので、SNSはインスタのみで行くことにして、ようやくフォロワーさんも増え、メッセージやコメントを日々貰えるようになって、嬉しい限りなんだけど、それとは別で写真展なんかも時間やタイミングが合う限り行くようにしているんだけど、そんな中でアーティストさんと話する機会があったのだけど、やっぱSNS中心だと妙なバリアみたいなものを感じることがあって。
「あー、インスタでやってる人ね」という言葉。
最初は「え?何が問題??」とビックリで、初めて人種差別に遭遇した時の気分を再体験したようなw

とある写真家さん。ここでは、逆に「あー、若い人だからだよ」とか「あー、年配の写真家さんはね」と偏見になっても嫌なので、そゆ情報は抜きにして、とある写真家さんの個展を見に行って、ちょっとそういう言い方をされたのがやたら気になって。とは言え相互フォローを。
その写真展の翌日、ちょっとメッセージを送りました。その方の写真が本当に素晴らしくて、カッコよくて、とても気に入ったので、また機会があったら向かいますね~なんて感じでメッセージしたものの、いわゆる既読スルーってやつでw

いやいや、スルーされたなんて、メソメソなんてしてないですよ(泣)
で、そこで気になっていた思いがウワワ~っと自分の中から浮上して。
その写真家さんはコンテストの話を良くしていたな~って。
こういうこと言ったらいけないんだろうけど(?)、自分はコンテストとか、そういうコンペティションとかって類のこと(言い方悪くてごめんなさい)って、全く関心や興味がなくて、否定している訳でもなく、単純にそういうものって自分の世界の外?というか、別の星のことのように感じるというか、まぁぜんぜん関心なくて。でも、その写真家さんは〇〇先生に会って写真を見てもらいたいとか、〇〇〇先生にも連絡とらなきゃとかってことを言ってて、なんかすごく不思議な世界を見た感じで。
そっか、この人からすると、自分の写真に関心がもたれたり、気に入ってもらうことよりもコンペティションで賞を取ることの方が重要なんだと思って。まぁ、もちろん個展に来てもらうことも意味があるんだろうけど、きっとそれ以上なんだろうなと。

じゃ自分はなんだろ?と思ったら、特に思いつかず。何となく始めたインスタ、フォロワーさんが増えることに有難いと思いつつ、まだ販売をしていないものの、写真を買いたいと連絡が入ったり、販売するべき!なんて意見を貰ったりして嬉しい限りなんだけど、自分の価値ってそこなのかな~?と。

で、その写真家さんの価値観?というかコンペで賞を取りたい、〇〇先生や〇〇〇先生に認められたい!みたいなものを自分に当てはめたらどんな感じがするだろうかと想像してみたら、何の喜びも感じなくて。

※ ↓ ここから毒っぽいこと書きます。ごめんなさい。
いやまぁ、〇〇先生に認められて、仮にそれで賞につながっても賞金10万とか20万とか、良くても50万とかでしょ?ううん。特にいいや、オレの給料それ以上あるし、そんな賞金あまり興味ない。(というか、写真系の賞金、金額低すぎw)☆☆☆賞受賞!とかって肩書書いても、読んで分からない人にはまるで意味ないしとか、そういうビッチな言葉が頭の中を駆け巡り・・・ごめんなさい。

じゃ、フォロワーがもっと増える!となるとどう感じるか?
当たり前に嬉しい。もっと幅広いオーディエンヌに見られて、意見が貰えたり、自分が撮った時に感じていたことが伝わったりすると、とにかく嬉しい。何の説明もなく、タイトルと写真だけで、それを見た人がその時の自分が感じていたこととか伝えたいことを感じ取ってくれると、それは大きな喜びだと思った。
逆に伝わらなかったり、批判っぽいことも飛んでくるけど、それはそれは考えさせられるし、もっと自分の写真に対する考えとかがハッキリするから、その批判した人の意見に合わせるのではなく、もっと自分の意見が伝わるような写真を撮ろうって気になるし。

そうか、価値観の違いなんだよね、これは。
どっちが良い・悪い、どっちが上でも下でもない。

そういえば、少し前にコンペティション番組(ストリーミング)で観ていた時に、あるコンペティターがいいところまで行くんだけど、いつもその週のトップにはなれなくて、最終的に自分から離脱したエピソードを思い出した。そのコンペティター曰く、ここで認められなくても自分には〇〇〇万人のフォロワーがいて、〇〇〇万人のサブスクライバーがいるから、それでいいって。(じゃ、なんで出場したの?ってツッコミたくなるんだけど)

その「〇〇〇万人のフォロワーがいるから」という一言、番組の中の審査員(その道のプロたち)からすると爆弾のような発言だった思うけど、ひょっとしたら、ストリーミングで視聴しているビューワー数なんかよりももっと大きな数字のフォロワーがいるとしたら?なんて考えてみたら、番組の審査員に認めてもらうって、・・・???なんてうまく天秤にかけられないような感覚になると言うか。

どっちが良いとか悪いとか、上とか下じゃなくてね。

そうか、インターネット、コンピューター、ソーシャルメディア、SNS、世界は新しい価値観と古い価値観とまだ融合していないし、融合できていないし、その始まりにしか過ぎないんだろうなって思った。

ますます自分もどうしていきたいのか、ちゃんと考えないといけないんだなって思った。

※文中、クソ野郎なこと書いてごめんなさいでした。

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