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なぜ『推し』をつくるのか?

さて、V界隈の皆さん最近卒業と転生で少し盛り上がっていませんかい?
私はフォローしている好きなnoter(あってる?)の記事を読んだのと、〇じ〇〇じの大物Vtuberが転生したという情報が欲しくもないのに流れてきたので改めて考え機会があり、少し思考を文にしたくなった。

いきなりだが皆さんはなぜ『推し』を推しているのですか?
元気をもらうため、応援したいから、なんとなく、『最推し』と仲がいいから、などなどたくさん理由はあるだろう。

しかし私が思うに根っこには、
・現実での自分の周りにそこまで感情を動かしたい人がいない
・しかも自分の強い感情を身近な人にはぶつけたくない
という考えがあるのではないでしょうか?

少なくとも私にはそういった思いがあります。
なので、私は『推し』には会いたくない系の厄介オタクです。
すみません脱線しました。おじさん特有の自分語り付きの脱線、ご容赦ください。

では、そういったある意味マイナス(?)の感情で『推し』をつくっている私からみた卒業と転生はかなりシンプルです。
私は、だれが何と言おうと『推し』が卒業したらそれは死と同義と捉えます。転生しても中身が同じなら同じという意見にはまっったく共感できません。
Vtuberは設定(濃淡あるが)に基づいたキャラとその魂が組み合わさって初めて『推し』なのです。魂だけでもキャラだけでも意味はありません。
いづれ世襲制のライバーがでたとしたら私は、親子と捉えます。同じ『推し』ではないです。
なので、自分としては転生も好きにすればいいし、卒業も好きに決めればいいと思います。人生一度きりの長いようで短い大切なものです。いくらライバーになったとはいえ個人を失ことなんてありません。生きている『推し』ならば当たり前です。
永遠など無いのです。また、無いからこそあなたは今の『推し』に出会えているのです。唯一無二の無限コンテンツなんて無い。今は今の『推し』を、昔は昔の『推し』を、そして明日には明日の『推し』がいるものなのです。
それが良いか悪いかとかそれこそどうでもいいのです。あなたの人生なのに生き方を人にとやかく言われる必要が無いように、『推し』の推し方なんて勝手に決めて勝手に推せばいい。
(※)わかってると思いますが、推しや他者に迷惑をかけるとか法律違反とかそういうことじゃないですよ。自由にも範囲があります。

『推し』側も【推す】側ももっと自分を大事にすればいいだけ、
そしてその結果が転生、卒業ならお互い笑ってあるいは涙でそれに向き合えばいいだけです。
寂しさが無いとは言いません。心に穴があくこともあるでしょう。
でも今の『推し』推したくて、『推し』にしたのではないでしょうか?
最初の思いを、忘れないでいたいものです。

最後に、ふと昔すごく好きだった曲のフレーズが思い浮かんだのでそれを残して終わります。曲はlivetuneさんのファインダーです。

君だけのファインダーに映る景色はすべて私が歌にするよ失った時間も未来も切り取っちゃえば笑顔だけみてたいの


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