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『偽物語』とパスカル『パンセ』

 西尾維新の小説およびそれを原作としたアニメ『偽物語』に於ける有名な一節として、次のようなものがある。

「正義の第一条件は正しいことじゃない。強いことだ。 だから正義は勝つんだ。 いい加減それくらいわかれよ。それがわからないうちはおまえたちのやっていることはいつまでたっても――ただの正義ごっこで偽物だ。」

 これは、主人公・阿良々木暦が彼の妹である阿良々木火憐と阿良々木月火に対して放った台詞である。原作だと上巻、アニメだと第4話に登場する。
 暦の二人の妹——火憐と月火は、「ファイヤーシスターズ」と名告り、いわば「正義の味方ごっこ」をしている。尤も、「ごっこ」というのは兄・暦から見た評価であって、本人たちは「ごっこじゃない」(火憐)「正義の味方じゃなくて、正義そのもの」(月火)と主張している。この彼女たちの活動を問題視した兄は、いつか二人と話をしなければならないと思っていたが、そうした矢先、火憐がついに事件に巻き込まれてしまう。月火のSOSによって家に駆け付けた暦は、火憐に何があったか話すよう求めるも、彼女は頑なに答えようとしない。埒が明かないと感じた暦は、いったん妹たちの部屋を離れ、彼女らに協力していた友人・羽川翼から事情を聞き出そうとする。そして妹たちの部屋を去る際に、彼が二人に対して放った言葉がこれである。

 実は、これと同じようなことが、パスカルの主著『パンセ』に於いても述べられている。以下、その部分を引用する。

「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧政である。(中略)それゆえ、正義と力を一緒にしなければならない。そのためには、正しい者をして強くあらせるか、強い者をして正しくあらせなければならない。正義は議論されがちである。力は承認されやすく、議論を無用とする。それゆえ、人は正義に力を与えることができなかった。というのも力は正義に反抗し、そちらは不正でこちらこそ正義であると主張したからである。かくして、正しい者を強くさせることができなかったので、人は強いものを正しいとしたのである」

孫引き元:https://pascul.amebaownd.com/posts/1567760/

 やや難しい言葉で書かれているが、分かりやすく言い換えると次のようになるであろう。
 すなわち、正義と力はどちらか一方だけでは成り立たない。だから、両者を一緒にする必要がある。方法としては二つあり、正義に力を与えるか。あるいは力に正義を与えるかである。
 しかし、前者を採ることは難しい。なぜなら、何が「正義」であると考えるかは人によって異なるからである。そのため、たとえ正義に力を与えたとしても、「お前の『正義』は間違っている」と反論される可能性がある。一方、力は非常にはっきりしており、正義のように「何が『強さ』か」というような問題は起こらない。「強さ」の定義は人によって異なることがないからである。だから、「強さ」というのは「正しさ」に比べ、どんな人にも認めてもらいやすい。正義のように、「お前の『強さ』は間違っている」などと言われることはない。
 よって、正義に力を与えることは出来ないので、力に正義が与えられることになるのである。要は「『正しい』から正しいとされるのではなく、『強い』から正しいとされる」ということである。

 やはり哲学者の書いた文章だけあって、なぜ強い者が正義となるのかが三段論法的にしっかりと説明されている。阿良々木暦の発言は、要はこの結論の部分を取ってきたものである。しかし、本質的なところはしっかりと捉えられている。偉大な哲学者とほぼ同じことを述べているわけであるから、名言として扱われるのはさもありなんといったところである。
 この言説に従えば、「ファイヤーシスターズ」はいわば「力なき正義」であると言うことが出来るだろう。暦は上の妹の火憐に対し、次のように言っている。

「確かにお前は正しいんだろう。お前はいつも正しい。それは否定しない。だけどな、それは正しいだけだ。お前はいつも強くない。強くない奴は負けるんだよ」

 月火が「正義の味方じゃなくて、正義そのものだよ」と言っていることからも分かるように、彼女たちは強さ云々の前に、まず自分たちが「正しい」と思っている。つまり、「強さ」よりも先に「正義」を考えているのである。しかし、先ほども見たように「正しい者をして強くあらせる」ことはできない。「強い」から「正しい」とされる――これが正義の本質であり、彼女たちはこの点を見落としている。だから、彼女たちがそこを誤り続けている限り、彼女らは本当の意味での「正義」にはなれない。そういう意味で、「ファイヤーシスターズ」のやっていることは「正義ごっこ」であり「偽物」であると言うことが出来るのである。

*  *  *

 ところで、『パンセ』のこの一節は、アニメ『PSYCHO-PASS』に於いても引用されている。具体的には、1期の第16話「裁きの門」の敵役・槙島聖護まきしましょうごが主人公・狡噛慎也こうがみしんやと対峙する場面に於いて、槙島が次のように引用している。

「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため、人は正義に力を与えることができなかった」

 基にした訳文が違うのか、或いは槙島が自分の言葉で言い直したのか、先ほどの引用と文章が若干異なるが、言っていることは同じである。
 そもそも、私がパスカルのこの言葉を知ったのは、このアニメがきっかけであった。『パンセ』そのものを読んで知ったわけではない。初めて見たのは確か高校1年生の頃だったと記憶しているが、このような正義観は当時の私の印象に深く残った。ほかにも、ルソーの『人類不平等起源論』や全能者のパラドックスなど、このアニメをきっかけに知ったものはいろいろとある。やや衒学的ではあるものの、少なくとも1期は面白かったと個人的には思っているし、こうした哲学的な思想・考え方を知るきっかけとしては良いアニメであると思うので、哲学に興味のある人はぜひ視聴することをお勧めする。

 余談であるが、槙島のこの発言に対し、狡噛は次のように返している。

「悪いな。俺は、誰かがパスカルを引用したら、用心すべきだとかなり前に習っている」

 これは、槙島によるとオルテガ――スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットの引用であるという。調べたところ、彼の著書『大衆の反逆』(桑名一博訳、白水社)に於いて登場するらしい。
 ありえないとは思うが、もし火憐が兄のあの発言に対し、狡噛のような反論をしたら、果たしてその後どのような展開になったであろうか。尤も、そのような発言ができるくらいなら、そもそも「正義の味方ごっこ」などしないと思うが、考えるより先に体が動くような彼女がいきなり教養の高い発言をしたら、それはそれでギャップがあって面白いかもしれないと思った。


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