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アラサーになった日の話

ある日、25歳になった。
バーチャル上では17歳を頑なに通してる僕にもそんな時があった。

アラサーの定義は曖昧だが、四捨五入をして30歳になることをそれとするならば、
この時に僕はアラサーになったことになる。

アラサーになって一番最初に出てきた感想は、

「あぁ、このまま30歳になってしまうんだろうな」

だった。

ワナビーおじさん

僕は夢だけは色々持ってる人だった。
声優や歌手、脚本家だとかそこら辺のものは大体夢見てた。

周りは優しい人ばかりだったので、

「夢があることは良いことだ」
「自分には夢がないから羨ましい」

みたいなことを言われてきた。
ある意味幸運な話である。

でも僕はそういった言葉や、
夢見ることの尊さに驕ってなにもしようとしなかった。

養成所のような技術を磨く場所へ通うわけでも、
自分の実力を試す場所にも臨んだわけでもなかった。

文字通り本当のホントになにもしなかった。

そんな僕に四半世紀という人生の節目は残酷なほど静かに訪れた。

「マジでなににもなれてないやん…」

僕は「ごく一般的なワナビー」から、「ワナビーのおじさん」になろうとしていた。

別にただ生きていく分にはなにも問題ないことなのには間違いないが、
死刑宣告を受けたような気分で布団にもぐりこんだ記憶がある。

幼いころに夢想したキラキラした生活を送る大人の自分。
僕は強く夢見ることで、その切符を手にしていたと本気で思っていた。

百歩譲って仮にそうだったとしても、
切符は自分から家の外に出て、駅に向かった人にしか使えないのである。

背筋を伝うもの

「やばい…こわい…」

ただただ、そんな言葉が頭にいっぱいになっていた。
「焦り」とかそんな生易しいものじゃない。

大げさかもしれないが、それでもなお過ぎ続けていく時間から、
じっとりとした死の匂いを感じた。

25歳になった時に「あっという間に30歳になるな」と感じたということは、
30歳になる時にはおそらく「あっという間に40歳になるな」と感じるんだろう。
40歳になる時には、下手すれば60歳を身近に感じてしまうかもしれない。

そしてそんな「あっという間」を重ねた先に人生の終わりがある。

子供のころは死の存在は知りつつも、
自分が永遠を生きているような気分でいたが、
アラサーになった瞬間、いよいよもって死と地続きの自分の命を感じざるを得なくなった。

「僕の人生にはなにもない」
「でも、それでも何も問題はない」
「だって、誰しも日々を重ねていけばどうあれど終わりを迎えるのだから」

そんな優しい平穏が、厳然とそこにあった。

僕はグルグルと回る目で、ハンドルでも握るかの如くギターを手に取った。


アラサーから始める一歩

そこから僕は初めて歌を作った。
拙い曲だったけど、今になって聞き返してみても意味のある曲になった。

そして近場のライブハウスにも飛び込んだ。
スマホで片っ端から行動圏内のライブハウスを調べ、
敷居の低そうなイベントをやってる場所を探してその日のうちに転がり込んだ。
コネもクソもない状態からのスタートだったから、
人間関係も文字通り一から築いていくことになった。

今でもそのライブハウスにはお世話になっており、
そこで人前で歌う経験を積んでいった。

されど続く道


だからといって物語がハッピーエンドになったとか、その気配を感じるようになったとか、そういう話ではない。
今もまだ道は始まりもいいところであり、全ては分からないし、
さして状況が変わってるわけでもない。

もしかしたら後々になって

「あの時、すべてを受け入れて諦めてりゃ良かったのに」

と思う瞬間が来たっておかしくはないと思っている。


でも

「それでも何かをしたい」
「なんだかわからないけど、このままじゃ我慢ならない」

そんな思いが湧いてくる限りは、
少なくとも家の布団に引きこもってない方が良いのは確かなんだと思う。

今日も自分の作り出すものの拙さに悲鳴を上げつつも、
それすらも残さずに漫然と日々を過ごした先に待つものの恐ろしさを僕は知っている。
だから、これからも醜くもがいて恥をさらしながらも生きていこう。

あれから数年、
さらに30歳が近くなって、なおのことそう思った。

…バーチャルでは17歳なんだけど。


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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

TwitterやYouTubeでVRChatにちなんだ曲を公開しているので、よかったら覗いてみてください。


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