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手段と目標そして目的

 またまた世間では新株の影響で、まん延防止措置の地域が増えそうですね。なかなかコロナ禍が終息する見込みも立たない中、さすがにどのお店も疲弊ひへいしてしまいますよね・・・
 こればっかりは何を優先すべきかという問題とも絡むため、何をどうすれば終息するのかと言えないのがつらいところです。
 ただ言えるのは、今できることをやっておくこと、それだけです。
 できないことを並べるより、できることを考えていくことが大事です!
 別アカウントで書かせていただいているnoteで、「心のなかの幸せ」と題して書かせていただいたのですが、その中でも触れさせていただいていますけども、残念な思い込みで罪を犯してしまった事件なのかなと思っています。

 今回は、このお話を深堀りした内容で書かせていただきます。

Ⅰ.フレームワークの中でしか活動しない

 教育論者ではないので、あまり「今の教育が悪い!」とかは言いたくはないのですが、例えば、他国の算数の計算と日本の算数の教え方が違うってことをご存知ですか?
 日本であれば、

1+1=2

のように、「=」の前までの計算式を書いて答えを導きだすやり方を教えています。

しかし

海外では、「答えが”2”になる計算式を書きなさい」という問題になったりします。
 これは何を意味するかと言いますと、答えは一つではないということです。
 比べて、日本の教え方だと答えが一つでしかないのです。
 「だから何」「何がダメなのか」と聞く方もおられると思います。
 実は、この教え方が今の日本の社会に出る子どもたちを育てている元凶がんきょうなんです。

なぜなら

この教え方は、限られたフレームワークの中にしか答えが存在しないということを教育現場で叩き込んでいることになるのです。
 こうした思考回路で育てていくと、頭の中でいろんな可能性を排除するモノサシの基準がおかしくなってしまい、共通テストの初日に起こった事件のように、「これしかない」と思考停止してしまい、自分の選ぶ道すらもかなり限定的な思考で選んでしまってしまうのです。
 このことは、別アカウントで書かせていただいたnoteにも触れさせていただいていますので、そちらをご覧ください。

 日常生活の中の答えは、今までの経験してきたこと以外にあることも多々あるに、そのことを最初に除外してしまっているのです。
 柔軟な発想を阻害する教育方法は、グローバル化を推進するのであれば辞めてもらいたいですね!

Ⅱ.それは手段か、目標か、それとも目的か?

 よくある勘違いの一つに、やっていることが手段か目標か、それとも目的かもわかっていない人がまだまだたくさんいます。
 例えば、よく出す事例ですが、施設を作ってそれで人が来てまちに賑わいを生み出すという勘違いです。
 行政でもよくありがちな事例ですが、施設をつくる(=ハコモノをつくる)のは、目的でしょうか?目標でしょうか?手段でしょうか?

どう思われますか?

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