0.1gの誤算とヴィジュアルシーンについて(そんな大層な話ではない)
先日テレビにて放送された「ジロジロ有吉」にて特集が組まれた、バンギャルの生態。
ヴィジュアル系バンドではなく、そのファンであるバンギャルに焦点を当てた、「何故そっちなんだろう」感は正直あったのだが、ここで焦点が当てられたのはバンギャル全体…というわけではなく、特定のバンドのファンのことだった。
そのバンドが、「0.1gの誤算」。
現代の多様化しすぎているような気もしないでもないヴィジュアル系のフィールドの中で、特異とも言える存在の彼ら。
彼らに対してうまく言語化できなかった自分の想いが番組のお陰でなんとなく形にできたので、それを書き記しておこうと思う。
元来ヴィジュアル系というのは大小あれど抽象的なモチーフやテーマがあって(例えば"耽美"とか"昭和歌謡"とか、言い換えればそれが≒コンセプトである)、
それを音楽に落とし込むことによっていわゆる「世界観」というものを形成する所から始まったものである。
特に2000年代以降はバンドに対してのコンセプトが強く求められた。とあるバンドにレーベル所属の話が出た際に、特に明確なコンセプトを提示して活動していなかったが故に所属の話が白紙になった、なんて逸話もあるくらいだ。
そんな中、自分にとっては0.1gの誤算がモチーフにしているものというのがいまいち掴みきれてなかった。
曲調も様々、ノリも様々、特にツイッター等でよくバズってるような新しいノリも多いが故に、それまでの「◯◯系」というサブジャンルに明確に分類するのも難しい、というのもあるだろう。
衣装等のモチーフもその時々で大きく変わり、ある時はコテオサ、ある時は耽美…といった具合に見るたびに変わっている。
そんな彼らが今回テレビで持ち上げられたことによって改めて思わされたのが、彼らの一番のモチーフ、コンセプト(本人達がそう明言していない以上コンセプトという言い方は適切ではないのかも知れないが)を敢えてあげるとすれば、「エンタメ化されたヴィジュアル系」なのかな、という。
長い歴史の中で、ヴィジュアル系というものは世間からは特異なもの、いわゆる「色モノ」扱いされることも多々あった。
それこそかの有名なXの「やしろ食堂」のエピソードの頃からそういう運命にはあったんだと思う。(やしろ食堂が分からない人はお父さんお母さんか年上のバンギャルさんに聞いてね)
そういう背景もありつつ様々な”お化粧バンド”によってシーンが発展を遂げてきた中で、そういったバンド達は世間から十把一絡げに"ヴィジュアル系"という枠で括られた。
そのせいで被った悪例ももちろんあったが、ヴィジュアル系とはこういうものだ、という確固たる枠組のお陰で他ジャンルとは一線を画したものとしてここまで発展してきたんだろう。
そんなヴィジュアル系という枠組がどんどん出来上がっていく過程で、「◯◯系」というサブジャンルが細分化してきたり「◯◯ギャ」というファンの固有名詞ができてきたりという、ヴィジュアル系という一つのフィールドの中で色々な文化が現れてきて、それも含めてファンは楽しめるようになってきた。
昔は「Xに憧れて」「LUNA SEAに憧れて」といった一つのバンドが手本だった所に、「ヴィジュアル系が好きで」とシーンそのものに対して憧れを持って飛び込んできたバンドマンも現れてきたのは正にそういったことなのかと。
今第一線で活躍してる人の中にも自分を「ギャ男」と呼称する人がいるように。
今回タモリ倶楽部でもジロジロ有吉でもバンド単位でなく"バンギャ"に焦点が当てられたのもその延長線上の話だと思っていて、要するに"バンギャ"は"ヴィジュアル系"が作り出した一文化である、と言える。
"バンギャ"としての在り方や生き様も広い意味でのエンタメの一つなんだろう。普通の人にはない生き方がある。
話を戻して、0.1gの誤算が体現しようとしているものはこの
「長い歴史の中で一つのエンタメとして昇華されてきた」
「色んな系統や世界観がある」
「お客さんが一般人とは別の世界の住人として語られる」、
30年にわたって少しずつ形を変えながらも続いてきた、今のヴィジュアル系そのものなんだな、というのが自分の持った感想だ。
そこがはっきりしているからこそ、スッピン限定ライブとか小学生以下限定ライブとかにもチャレンジできるんだろうな、と。
「ヴィジュアル系はステージでは必ず化粧をする」だとか、
「若い女性がメインのターゲット」とか、
"ヴィジュアル系として"の固定概念をある意味打ち壊しにかかっているように思える試みにも果敢に挑戦できるのは、この今のヴィジュアル系というシーンを「ヴィジュアル系のファンとして」見ているからなのか、と。
ヴィジュアル系が多くの前例からハイカルチャー化したことによって「ヴィジュアル系はこうあるべき」といったある種の固定概念も生まれるのは当然で、
それを崩すことは美徳ではないという考え方ももちろんあって然るべき(自分の中にもそういう考えはもちろん存在する)ではあるけれども、
時にはその概念に上手く乗っかり、時にはその概念を根底から覆しにかかり、今こうしてヴィジュアル系の中で異質な存在として在り続けることに成功したのは、
正にバンドとしての手腕であり、狙いなのではないのかな、と思うわけだ。
メンバーがヴィジュアル系好きを強く公言していることもあって、
ちゃんと「好き」でやってるが故に
「バンギャってこういうことやっとけば喜ぶんでしょ?」
という浅い悪知恵のような所は少なくとも自分には見えていないし、
好きだからこそバンギャが喜ぶものも理解しているし、そこはアーティスト目線というよりある意味一ヴィジュアル系ファン目線とも言える。
正直な話をすると、彼らのアプローチの仕方が、長年のギャ男生活を続けた所為で凝り固まった自分の固定概念外の所にあったものだったりしていまいちピンとこないこともあったりはした。
(これは当たり前だがバンド側には何の非もない)
けれど、テレビというフィルターを通してバンドとそのファンに焦点が当たった様を見て、先に述べたようなことなのか…と妙に腑に落ちた。彼らが体現しているのは具体的な先人のそれをなぞりつつ自分達の色を出す、
のようなこれまでのヴィジュアル系の在り方とはまた違う、
「一エンタメとしてハイカルチャー化されたヴィジュアル系」
だったのである。と思う。自分は。真偽の程は分かりませんよ。
言い切りはしないけど、自分はそういうものだと思って今後も0.1gの誤算の音楽を聴いたり彼らのエンタメを楽しんでいこうと思う。
おわり